ほら吹きペテロ、福音書のマルコ


田川建三訳「使徒行伝」を読む。

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「ペテロって卑怯者なのに、病人を直したとか天使に呼びかけられたとか奇蹟神話が多いなあ」と不思議だった。
田川建三が疑問を解いてくれた、「自分で言いふらしてたんだろ」と。
なるほど!!!
目からウロコ。ニワトリが鳴く前に三度もイエスなんて知りません!!と言って逃げ回ったペテロ、自己保身のためにそのくらいのウソは並べるわな。
エスの伝説(三日後に蘇ったとか水の上を歩いたとか空飛んだとかパンが急に増えたとか水がワインになったとか)も出処は、ペテロらしい。そういえば、どれもペテロが居合わせてる。
こうしてみると、自己保身のためのウソ八百って重要だよね。少なくとも二千年は保つんだもん。

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原始キリスト教会で、ペテロ爺さんは人気者だったんだろう、ってのも予想できる。
献金しなさい献金エルサレム教会に献金しないと救いはないですよ! まず献金!一円でも多く献金!!」と金取り立てて回るイエスの弟ヤコブや、融通が利かない上に他人の言う事なんぞ耳を貸そうとせず頭ごなしに叱りつけては自説を押し付けて回るパウロなんかに比べれば、卑怯者だし性格弱いしいかにも信用出来ない好い加減な男だけど、壮大なウソ八百のホラ話で愉しませてくれるペテロ爺さんの方が人気は出ただろうな。

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もちろん、どの勢力にも肩入れできずに、イエスの思い出だけに殉じようと思っていた者もいたのだろう。
例えば、マルコ福音書の作者、マルコ。
お母さんがエルサレム教会の有力な後援者で、その辺りのスジから、ガリラヤに於ける生前のイエスの思い出を聴いて知っていたのだろうし、イエス生前の使徒や長老たちの噂も知っていた上に、パウロとは大喧嘩をして、袂を分かっている男。
日和見で根性なしでほら吹きのペテロ爺さんが、自分も奇蹟を起こす聖人であるかのように吹聴して回って、そのホラを信じ込む信者も多数いて、でも「イエスをあんなんと一緒にして欲しくない、ペテロはイエスにしょっちゅう『軽佻なことを吹くな!』と叱られてた上に、あろうことか、自分が助かるためなら、『イエスなんて知りません!』とシラこいて逃げ回るような奴じゃないか」という思い。
同時に、イエスの弟ヤコブや母マリアら長老らにも反感を感じていて、「献金献金と取り立てて回ってるが、あいつらは、生前のイエスのことはバカにしてたんだ。それが金づるになるとわかったら長老ぶって。本当のことを書いてやる」と、親兄弟から拒絶されたイエスの逸話も「マルコ福音書」に入れた。
そして、生前のイエスに一度も逢った事もないし、その行いを目の当たりしたこともないクセに、高慢なギリシア語で「聖霊によって語るのだ! 私が語るキリストだけがキリスト・イエスだ! 異論は認めん!」と威張り散らして回るパウロのドグマは、キレイさっぱり排除した。
そのようにして、出来上がったのが、「マルコ福音書」。
教会にとってはとっても都合の悪い本だけど、無視し切れなくって、二千年後まで奇跡的に遺った本かもね。

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田川建三の訳と註で読む「新約聖書」は無類の面白さ。



新約聖書 訳と註 第二巻下 使徒行伝

新約聖書 訳と註 第二巻下 使徒行伝