自死について


ドゥルーズゴダール・・・ 「ストア派自死」。

成田悠輔的に社会保障軽減目的やら、三島由紀夫風自己顕示パフォーマンスやらの「自死」は、醜悪極まりない。
社会保障費軽減の為に「集団自決」しろだぁ?! なんで政府の財政失敗を死を賭して修復してやんなきゃいけないんだよ! くだらん。
そして、そのモデルが三島由紀夫?! 冗談じゃない。三島由紀夫なんて、自分ひとりでは死ねなくて、ヘルパーさんの介助でようやく死んでる。「自死」ですらない。

しかしそうは言っても、ストア派的な「自死」は選択できていい筈だろう。
「もう死ぬべきだと決断したので死ぬ」っていう選択。
末期延命治療拒否の「ストア派自死」。

イスラーム法学者の中田孝は、決して「自殺」を推奨していたわけではないが、無理やりの未練たらしい延命処置を回避した上での死をすすめていた。

フーコーは、ニッポンの「ハッテン場」のゲイセックスに似て快楽に満ちた「死」に憧れていたようだ。華美狂瀾の集団自殺
桂米朝「地獄八景亡者戯」の「ふぐ自殺」的な自死

僕は、どれでもなく、「救いも希望もない社会で、苦しみのたうちまわりながら生きるより、死んじまった方が楽だし愉しいし、なにより安いから」と、死んでしまいたい。
怠惰に悦楽的な「自死」。
これだ。





「もういいや。つかれたよ。じゃ!お先に!」