イエスはよく知っていた、マルクスも知っていた

(ねられない)
フェミニストたちに、「もっとたのしんで運動すれば良いのに」って書いたら、「あーら、男性さまは余裕がおありで。あたしらそんな余裕はございません」とイヤミをかまされた。
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堀田善衛「路上の人」に、「イエスは笑った」を証明する為に、命がけで、アリストテレス「喜劇論」を探すフランチェスコ会の修道士が登場した。
僕は「イエスはよく笑った」と思っている。
そもそもイエスは、会食が大好きでしばしば人を集めて宴席を開いている。そして「酒とご馳走を用意してくれなきゃダメじゃないか!」と母親(聖母マリアの訳だが)を叱りつけたりもしてる。「だっておまえ、そんなものうちにはないわよ!」と困り果てたマリアがオロオロすると、「仕方ねえなあ、、、」とばかりに、どこからともなく自分で調達してくる(聖書では超能力で作り出した事になってるが)。
ただただありがたい説教をする為なら、酒も料理もいらないだろう。しかし歓談の為には絶対に必要だったのだ。笑いと愉しみの中に包まれていたからこそ、イエスはあそこまで突っ走れたのだろう。
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マルクス資本論」は、切迫感のある本だ。ひたすら暗い重い貧乏と弾圧と不潔と疫病と絶望の状況が報告され、マルクスが、その現況を分析突破しようと格闘する様子が、この上なくスリリングな本だ。
しかし、この本、そこら中にギャグが仕込んである。「マルクスは、『ガリバー旅行記』のスウィフト並みに罵倒の天才だ!」って誰かが書いてたけど、論敵をコケにしまくった罵倒芸やら、いかめしい古典文芸のパロディやらが満載されたテキストでもある。
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「笑い」「愉しさ」なしには、「生きていたくない」「もうダメだ」という切迫した状況の突破なぞ、思い至れる訳がないのだ。
エスはよく知っていた。
マルクスも知っていた。