イエスはよく知っていた、マルクスも知っていた

(ねられない)
フェミニストたちに、「もっとたのしんで運動すれば良いのに」って書いたら、「あーら、男性さまは余裕がおありで。あたしらそんな余裕はございません」とイヤミをかまされた。
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堀田善衛「路上の人」に、「イエスは笑った」を証明する為に、命がけで、アリストテレス「喜劇論」を探すフランチェスコ会の修道士が登場した。
僕は「イエスはよく笑った」と思っている。
そもそもイエスは、会食が大好きでしばしば人を集めて宴席を開いている。そして「酒とご馳走を用意してくれなきゃダメじゃないか!」と母親(聖母マリアの訳だが)を叱りつけたりもしてる。「だっておまえ、そんなものうちにはないわよ!」と困り果てたマリアがオロオロすると、「仕方ねえなあ、、、」とばかりに、どこからともなく自分で調達してくる(聖書では超能力で作り出した事になってるが)。
ただただありがたい説教をする為なら、酒も料理もいらないだろう。しかし歓談の為には絶対に必要だったのだ。笑いと愉しみの中に包まれていたからこそ、イエスはあそこまで突っ走れたのだろう。
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マルクス資本論」は、切迫感のある本だ。ひたすら暗い重い貧乏と弾圧と不潔と疫病と絶望の状況が報告され、マルクスが、その現況を分析突破しようと格闘する様子が、この上なくスリリングな本だ。
しかし、この本、そこら中にギャグが仕込んである。「マルクスは、『ガリバー旅行記』のスウィフト並みに罵倒の天才だ!」って誰かが書いてたけど、論敵をコケにしまくった罵倒芸やら、いかめしい古典文芸のパロディやらが満載されたテキストでもある。
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「笑い」「愉しさ」なしには、「生きていたくない」「もうダメだ」という切迫した状況の突破なぞ、思い至れる訳がないのだ。
エスはよく知っていた。
マルクスも知っていた。

小山田圭吾問題、そして「和光」

なんか時間軸がズレてるよなあ。
「ネットで話題」が、2000年代初頭〜で、
「雑誌のインタビュー」が、90年代。
でも、「小山田圭吾らによる障害者いじめ」の舞台は、70年代。
70年代の差別いじめ全盛時代への猛省が出てたのが、90年代「言葉狩り」で、それへの反発が「90年代悪趣味志向」。

90年代って、世界中で「ポリコレ」が問題になり始めた時期でしょ?
筒井康隆の「断筆宣言」って、1993年。この頃、ようやく「障害者をいじめたり、障害者差別を笑いにしたりしちゃダメだよ」って話がで始めた。

東浩紀が「批評空間」にデビューしたのも、1993年だけど、当時の「批評空間」では、ポリコレ論評いっぱい出てたよ。
絓秀実や渡部直己が、筒井康隆の差別表現を話題にしてたのも90年代。
むしろ「90年代は、ポリコレ全盛期」。
クイックジャパン」や吉田豪が所属していたサブカル業界は、「ポリコレ」「言葉狩り」への反発・逆張りで「悪趣味嗜好」に走っていた。


さらにそれらに先行するのが、「和光学園」の教育方針。
「障害児童」の受け入れ態勢が、まるでなかった昭和(大日本帝国時代~日本国昭和後期まで)の中にあって、積極的に受け入れていたのが、「和光学園」。
だから、小山田圭吾のインタビュー内でも「ヤバいヤツらいっぱいいた」みたいな話が出て来る
小沢健二なんか(飛び抜けた秀才児童だったらしい)が、秀才児童向けの小学校(お母さん慶応出身だし、普通なら慶応へ進学してたんでしょう。もしくは中学から筑駒とか)ではなく、「和光学園」へ入学したのも、当時の進歩的なインテリ家庭(父・小澤俊夫は児童文学に近しいドイツ文学の民話研究、母・小沢牧子は国立精神衛生研究所児童精神衛生部の研究員で「子ども差別」問題に取り組んだりしてる心理学者)の選択。
小沢健二の両親は、「この子は、障害者や『小山田圭吾』なんかと混じって子ども時代を送らせた方が良い」っていう選択だったのだろう。
21世紀的には「ダイバーシティ教育」とでも言うの?そういう教育を実践しようとしてたのが、「和光学園」。

しかし、昭和の「和光学園」の実態は、「小山田圭吾」(彼自体、ダウンタウンに「変なヤツ」と弄られるような、公立小学校ならイジメの対象になるような児童だったのだろう。但し極端な障害はなかった)らによる障害児童に対する壮絶なイジメが、繰り広げられていた、って事。

小山田圭吾」問題、オザケンのお母さん=小沢牧子にインタビューして欲しいよね。
「子ども差別」問題の研究者で和光学園で非常勤講師もしてた児童心理学者が、息子の中学生時代の友人(ひょっとすると家に遊びに来てたかもしれない)が、壮絶な障害者いじめをしていた実態に就て、なんて言うだろ?


https://twitter.com/WORLDJAPAN/status/1415680102872981520

ミュージアムのこと

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10年前のmixi日記読み返したら、平木さんや川崎市市民ミュージアムのことを書いてたのを発見。面白いんで再録。

ミュージアムのこと
2009年02月27日15:18
最初に平木さんにあったのって、はじめて川崎市市民ミュージアムへ行った時。
「おまえか、履歴書に似顔絵貼って来たのって? ワハハハハハ」っていうのが第一声だった気がします。その時は「なんでこのおっさん、そんなことで笑うんだろ?」と思ったのを覚えてます。まあ笑うか。早大漫研の先輩だった細萱さんのコネでミュージアムへバイトで行くことになったんだけど、履歴書のために写真撮るの面倒だったから履歴書の写真貼付のところに似顔絵描いて送ったのでした。今思えば、無茶苦茶だよな。何考えてたんだろ。
バイトとは言いながら、僕は思いっきり遊びに行ってました。
愉しかったよなあ、20年前のミュージアム。マンガがあって、写真があって、映画があって、濱田庄司の皿もあって、ひそかに安田靫彦の「草薙の剣」なんてすごい絵まであったりしました。元妻と知り合ったのもミュージアムの訳だし。いやあ、よく遊んだよなあ。バイトやめてだいぶ経った95年、ひさしぶりにミュージアムに顔出したら、そこらじゅうに僕が描いた落書きが貼ってあって。「・・・・仕事してねえよな、コイツ・・・」とつくづく思いましたです。
いちばん愉しかったのは、MAMA展の準備かな?
予定してた写真部門の展覧会が急に出来なくなって(借りる予定だったコレクションをまるごと創価学会の美術館が買っちゃったんだったと思います)、「スケジュールにふた月穴があく! さあたいへん!」っていうんで、ミュージアムの収蔵品使って一ヶ月ででっちあげたというすごい企画でした。連日終電近くまで作業があって、最後は徹夜だったんじゃなかったっけ? 僕は合宿気分でずっと遊んでました。ホワイトボードに落書きしたり、似顔絵描いたり、写真撮ったり。
平木さんが書く筈の図録原稿があがらないあがらない。平木さんは準備期間中ずっとカンヅメにされてて、それでも終わらなくて、展示終了後ふた月くらい経ってできたんじゃなかったっけ? 個人的には、複製技術時代の芸術史の流れが、すごくわかりやすい良い展示だったと思ってます。あれから大して勉強してないから、僕は、平木さんの「MAMA展」で、近代美術史の流れを抑えてるのかもしれない。まあ、あそこまでばたばたすると身体に染み込んで歴史を覚えますです。身体を酷使するってのは大切なことなのかも。
多摩川河畔でやった「芋煮会」も想い出深いです。
平木さんの奥さんが山形出身で、映画部門の立木さんが東北大出身で、「じゃあ、山形の芋煮と仙台の芋煮をしましょう」ってことで、多摩川芋煮会をしました。竹川さんが持って来た沖縄土産の泡盛をがぶがぶのんで、すげえ酔っぱらって、平木夫人を口説いたような覚えがちらちら。いろいろ思い出すと、なんかむちゃくちゃだよな、あの頃の私。

それにしても愉しかったです、あの頃のミュージアム
あの愉しかったミュージアムの雰囲気を支えてたのが、平木さんだったんだと思います。
平木さん、死んじゃったなあ、と思いながら、いろいろ思い出しました。

経堂「吉野家」について

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 久しぶりに入った吉野家は、お昼時をすぎていたので空いていた。
(中略)
「ナミとタマゴ」
と、言った。
 牛丼の『並』と卵が来ると、私は丼の表面に大地にしみ込む慈雨のように、あまねくトキ卵を広げてかけ、その全体としての味のハーモニーを楽しむべきか、それともご飯の真ん中に石油採掘井戸のような穴を掘り、そこに卵を流し込んで、最初は牛丼を食べていたがある層まで食べ進むと突如濃厚な黄金の卵の鉱脈につき当る、発見と感動に満ちたアプローチを選択すべきかで、しばし思い悩んだ。
 結局、後者をとった。

新井千裕「復活祭のためのレクイエム」1986



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吉野家牛丼再現レシピ

黄金だし10
薄口醤油2
みりん2
白ワイン2
りんごジュース2
砂糖1
塩・味の素・醤油・白胡椒・生姜 各少々

(「吉野家牛丼」作り方 ]より)


www.youtube.com

オーソン・ウェルズの「運び屋」

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自家製ジャンボチキンカツライス


イーストウッドの「運び屋」は、まるきりミスキャスト。加えてイーストウッド監督に撮れる題材でもない。「人生、寄り道、楽しまなくちゃね」とかって感じぜんぜんしないんだもん。イーストウッド、せっかち。じいさんが乗ったトラック、ビューーンってスクリーン横切っていく。よたよた走ってる感、まるでない。


「誰が撮るべきなんだろう?」って考えたけど、老オーソン・ウェルズだ、っていう結論に落ち着いた。
オーソン・ウェルズなら、映画会社が蒼くなるのもかまわず贅沢にフィルムを長回しをしまくって、おんぼろトラックがアメリカの田舎をよたよたよたよた寄り道しながら走るところ撮るだろうねえ。トラックの中では、オーソン・ウェルズが、太鼓腹を揺すりながら葉巻をふかしハンバーガーを齧り怪しげな歌を能天気に歌いあげ、若くもなければ美人でもない上にスタイルも悪いアメリカの田舎女たちにでれでれでれでれと媚を売りまくる。このスケベじじい!
おんぼろトラックに乗った老フォルスタッフのコカイン運び屋。
すげえ観たいなあ。

1980年の千駄ヶ谷「ピーターキャット」

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店の設計は村上氏自身がした。カウンターの椅子は横浜の家具屋で買ったもの

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大きなテーブルは大工さんに2万円という驚嘆的廉価で造ってもらったもの。奥のレンガの壁に時として映画のスクリーンをかけ、マルクス兄弟ものを映して密やかに愉悦

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←このコーナーで 本を読んだり原稿のゲラを見たりする。時には友人とチェスもやる。藤のソファは<ヨーガンレール>で買ったもの。レンガの床は自分で造った ↓ピアノのコーナーはコレクション・コーナーになっている。壁には単行本『1973年のピンボール』の装丁に使われた佐々木マキ氏の原画や靉嘔の作品が飾られ、ピアノの上には猫のオブジェが

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(以上、「ブルータス」9号 1980 12/1「男には隠れ家が必要である」より)
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以下、千駄ヶ谷「ピーター・キャット」についての紹介文。
「ブルータス」5号 1980年10/1「Grey Flannel すべの男たちよグレイ・フランネルだけは着こなさなくてはならない。」掲載。
経営者・村上春樹については言及なし。

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雨の夜のトランペットは胸にしみる。<ピーター・キャット>でバーボン、フォア・ローゼズを飲んだ。

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←カクテル600円、スコッチ(S) 500円

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→営業時間は11:30~24:00まで。年中無休☎︎03-404-0305

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「ブルータス」5号 1980年10/1「Grey Flannel すべの男たちよグレイ・フランネルだけは着こなさなくてはならない。」

1983年の村上春樹宅

「FM fan 1983年No.7 3/14-3/27」(共同通信社)掲載

「音のあとりえ:『芦屋』発『ジャズ喫茶』経由『作家』行き」より

撮影・平郡重典/イラスト・内山雄仁

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音のあとりえ :「芦屋」発「ジャズ喫茶」経由「作家」行き

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イラスト・内山雄仁

☆村上さんの本の層がを担当している佐々木マキさんの絵

☆奥さんの趣味だとかで、ネコの置物がいっぱい

☆THE MARX BROTHERS の映画のポスター

☆この部屋の設計は、すべて奥さんまかせとの事です。ただし、プレイヤーとスピーカーのセッティングは村上さんが指定しました。

☆竹で編んであるやぎの置物  背中のフタを開けると小物入れになる

☆色エンピツが数本

☆村上さん原稿はいつも万年筆で書いています。モンブラン149を愛用

☆スピーカーは自作でJBL ・ツィーター2402 ・アッテネーター3105 ・スコーカーH5039 ・ウーハーD130

☆ピアノ、ヤマハ

 

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イラスト・内山雄仁

☆今は亡き天才ピアニストグレングールドのポスター

☆ネコの置物 メキシコのもの

☆レコード 3000枚ぐらい 6割はジャズで あとはロックとか クラシックなど

パワーアンプ Accuphase P-300

パワーアンプ Sansui BA-3000

☆プリアンプ Marantz 3600

☆プリアンプ Sansui CA-3000

☆プレイヤー GARRARD 401

☆プレイヤー DENON DP-3000

☆オープンデッキ Technics 1500

☆オープンデッキ TEAC X-10R

☆テープデッキセレクタAKAI DS-5

カセットデッキ Lo-D D-88

☆デッキ TEAC CX-350

☆チューナー Technics BOT

☆カートリッジ PICKERING XV-15/625E  SHURE VIS TYPE Ⅲ

☆カメラ Canon AUTO FOCUS AF-35M

 

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FM fan 1983 No.7