ベンヤミン卒読「複製技術時代の芸術作品」レジュメ
六章
1)
語義)
タブロー画:タブロー(tableau:フランス語)とは、壁画ではなく、板絵やキャンバス画を指す。また、絵画に於いて完成作品を指す言葉でもある。訓練としてのデッサンとは対称を成し、完成を目的として制作されたもののことを言う。
モザイク画:モザイク (mosaïque) は、小片を寄せあわせ埋め込んで、絵 (図像) や模様を表す装飾美術の手法。石、陶磁器 (タイル)、有色無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施される。この装飾方法は古くから世界的に見られ、宗教画や幾何学模様など様々なものが描かれており、歴史上、カテドラルの内部空間やモスクの外壁などの装飾手法として特に有名である。
なおモザイク (mosaïque) はフランス語で、英語ではモゼーイック (mosaic)。
フレスコ画:フレスコ (fresco) は「新鮮な」を意味するイタリア語。西洋の壁画などに使われる絵画技法。または、その技法で描かれた壁画。(イタリア語では技法または壁画を指す場合はアッフレスコ affresco)。壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く技法。やり直しが効かないため(失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すほかはない)、高度な計画と技術力を必要とする。
古くはラスコーの壁画なども洞窟内の炭酸カルシウムが壁画の保存効果を高めた「天然のフレスコ画」現象と言うこともできる。古代ローマ時代のポンペイの壁画もフレスコ画と考えられている(蜜蝋を用いるエンカウストという説もある)。フレスコ画はルネサンス期にも盛んに描かれた。ラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られている。
ミサ:ミサ曲(―きょく)は、キリスト教の典礼(ミサ)に伴う声楽曲。ミサは本来、カトリック教会の聖体拝領を伴う典礼を指す語であるが、プロテスタントの一部教派には、聖体拝領を行なわない礼拝をもミサと呼ぶものがある。
要約)
「礼拝的価値」vs「展示的価値」として芸術史を書きうる
そもそも芸術は、魔術のためにつくられた
↓
よって、人間によって見られることは想定されていなかった。
「礼拝的価値」:隠れた状態にいることを要請。
(←「展示的価値」はその逆ということだろう)
例:奥の院にあって聖職者しか近づけない神像、一年中帳で覆われた聖母像等
↓
芸術作品の制作が、儀式から解放されていけばいくほど、作品の展示機会が増える。
例:胸像>神像、タブロー>モザイク画やフレスコ画、交響曲>ミサ
2)
要約)
芸術作品の複製技術が多種多様化→作品の展示可能性が大きく増大
↓
作品の性質が、質的に変化
☆①始源時代:芸術作品は絶対的な重みを、「礼拝的価値」に置いていた
↓
そのため、芸術作品は魔術の道具だった。
芸術作品として認識するのは、ずっと後代のこと。
☆②今日:芸術作品は絶対的な重みを、「展示的価値」に置くようになった。
↓
新たなる諸機能を帯びた。
↓
それら諸機能の中で、芸術的な機能が際立って見えるが、時代が経てば、違った認識が浮上することだろう。(ベンヤミンの予言)
↑
マラルメの「芸術のための芸術」派のことを言ってるのか?
今はおまえらが優勢だが、そうそうおまえらの時代はつづかないぞ、と。
ともあれ、「映画」が、この新たな認識への手がかりを提供してくれる筈。
3)
語義)
墨守:城や領地などを頑固に守り通すこと。転じて、古い習慣や自説などを堅く守って変えないこと。 例:「旧習を墨守する」
故事:墨子は、良く城を守り、楚の軍を退けた。
癒着:癒着(ゆちゃく)とは炎症により、本来離れているべき組織同士が臓器・組織面がくっついてしまうこと。
手術によって傷ついた正常な組織同士を縫合すると、その組織はくっついて自然に治癒(創傷治癒)する。しかし、治癒の過程で本来は離れている組織同士がくっつくことがあり、一般にはこれを「術後癒着」と呼ぶ。開腹手術では、臨床的に問題とされない癒着を含めると90%以上の確率で癒着を生じるとされており、癒着防止目的にさまざまな対策が行われている。
癒着に対して骨折した骨が正しくつながる事は癒合と呼ぶ。
企業や政界などにおいて、本来離れているべきものが好ましくない状態で強く結びついていることを、批判的に「癒着」と呼ぶ。
例:政界と財界の癒着、警察組織と暴力団幹部の癒着 など
肝要:非常に大切である。肝腎。
捲む:飽きる、イヤになる、退屈する、飽きて疲れる。
「捲まず撓まず」
智慧:「真理を明らかにし、悟りを開く働き、宗教的叡智。六波羅蜜の第六。また、「慈悲」と対にして用いる。(paajna般若)
要約)
①始源時代の芸術は、実用的に特定に表現法を墨守
1)魔術の手順を踏んだもの(像を彫る事自体魔術を行うこと)
2)同時に手順を指示するもの(先祖の像が儀式の模範的態度を見る者に示す)
3)魔術的瞑想の対象となるもの(先祖の像を注視することが注視するものの魔力を強化)
↓
そんな感じで作られてた。
↓
なんでそんなだったかってぇと、当時の社会にそれが必要だったから。
↓
①始源時代の技術は、儀式と癒着してた。
↓
②現代の機械的技術に比べれば、当然遅れている。
↓
しかし、そんなこたぁ、弁証法的な考察には重要ではない。
↓
問題は、①太古の技術と②現代の技術のあいだの傾向的な差異
①第一の技術:やたらと人間を投入。
②第二の技術:できるだけ人間の投入を少なくする
技術的偉業について
①第一の技術:人間を犠牲に供する
②第二の技術:乗員なしの遠隔操作で飛ぶ飛行機に代表される
①第一の技術:一回性が肝要
→致命的な失敗がおこることもあるし、永遠の価値を持つ犠牲死がおこることもある。
②第二の技術:一回性は全然肝要でない。
→実験が重要。実験を不断に更新して多様化して行くことが重要。
②第二の技術の根源は、人間がはじめて自然から距離をとり始めたところにある。
↓
②第二の技術の根源は、「遊戯」(シュピール)にある。
4)
要約)
「真剣さと遊戯性」「厳格さと無拘束性」
↓
絡まり合って、あらゆる芸術作品に現出している(比率はいろいろだけどさ)
↓
故に
芸術は、①第一の技術にも、②第二の技術にも結ばれている。
とはいえ、
「自然の統御が第二の技術の目的だ」。
↑
これには異論があるぞ!!!
↓
寧ろ、
①第一の技術が「自然の統御」をめざしていた。
②第二の技術は、自然と人間の共同の遊戯をめざすものだ。
↓
故に
今日の芸術の社会的機能は、この共同の遊戯を練習することなのだ。
↓
とりわけ、
映画が、その役割を担う
映画は、その機構との密接な関わりによって条件づけられる
1)知覚、2)判断、3)反応能力をひとが練習するのに役立っている。
ひとは同時に
機構に、
1)奴隷的に奉仕している現状を変革ため
2)機構を用いて解法を達成するため
↓
②第二の技術が開拓した新しい生産力に人間の心性が完全に適応する事が先決だ、
ということを学ぶ。
↑
「機構」ってなにさ????
↓
原註4へつづく。(「適応を促進することが革命の目標」っていう話へ)
原註4)
語義)
僅少(きんしょう):ごくわずか、すこしばかり。
フーリエ:
フランソワ・マリー・シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier、1772年4月7日-1837年10月10日)は、フランスの社会思想家。「空想的社会主義者」を代表する一人。

要約)
- ②第二の技術が開拓した新しい生産力に人間の心性が完全に適応を促進することが革命の目標だ。
- ユートピア
- 労働の苦役からの解放
- 第二の技術を身につければ身につける程に、第一の技術の呪縛圏から自らを解放して行く
- 第一の技術を清算する事で解放された個人が、今や自身の要求を掲げだす
- 第一の技術によっては隠されていた個人の重要問題(愛とか死とか)が新しい解決を求めて来る。
- フーリエは先見的だったねえ。
- 作者: ヴァルターベンヤミン,野村修
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