必読! 松江哲明「童貞の教室」

推薦図書:松江哲明童貞の教室」。

「迷惑っていうのは『かける』もんだから。人に迷惑かけないってことは人と関わらないってことなんだよ」

(松江哲朗「童貞の教室」より)


今年の東京綜合写真専門学校の講義、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」やめて、これにしようかとちょっと思っている。
「童貞力」に最大の敬意を払いつつ、「そうじゃないだろ?!」と真摯に訴えかけて来る松江らが感動的に力強い。
写真関係の人って、「童貞」に居直って閉じこもっている人間が多すぎる。
「童貞力」の暴走は、それはそれで面白いんだが、でもやはり「そうじゃない」んだと確信する。

「ストリート・スナップ」=通行人写真に対する拒絶感って、「童貞をこじらせる」ことへの拒絶感かもしれない。あれって、人間と対峙しているように勘違いするけど、その実、まるで人と関われてない。童貞がうそぶく、「純愛してからじゃないとセックスできない」の相似形。「好きです」とも言わずになにがはじまる? 相手の唾液を啜って股の付け根を舐め回してからじゃなきゃ、なにもはじまらない。 「迷惑をかけるかもしれない」? 確かに迷惑かもしれない。でもそれを避けていてなにがどうなる? 思えば、写真家って童貞に居直ってる。「人間」はそんなに怖いもんじゃないって。「怯え」に居直っていてどうする?

田川建三訳によるパウロ書簡の「男は童貞でいろ!」という、これぞ「童貞王」とでもいうべき、「新訳聖書」のパウロ書簡集と併読するとさらに面白い気がする。「イエス」って童貞だったのかな? あれだけ取り巻きに女性が多かった活動家なんだから、童貞のまま死んだってことはないだろう。「パウロによるキリスト伝説」vs「マルコによるイエス伝」って、「童貞力の暴走」vs「脱童貞への誘い」だったのかもしれない。

理論社の変貌振りがすごいなあ。小宮山量平のプロテスタントなノリの児童文学出版社が、いつのまに杉作J太郎や松江哲朗に「童貞教則本」を書かせるような出版社になったんだろ? 激しい社内抗争を想像して、ちょっと愉しい。杉作J太郎「恋と股間」も早く読みたい。杉作J太郎vs聖パウロ? 対決させたい!

童貞だった頃の自分をいろいろ思い出す。「誰かに向かって土下座して縋り付いてでもお願いする」ってことがまるでできなかったんだな、と。今でも余り出来ていないが、でもやはりするべきだったんだろうと、二十年を経て反省する。大学時代、早大革マル派の活動家だった「キタズミさん」に、本気で「セックスしてください」とお願いすべきだったんだろう。今会ってもきっとできないんじゃないかと思いつつ、なんかの偶然で若し会うことがあったら、二十年を経て、真摯にお願いしてみようと心に誓った。無惨に断れたところで、なくすものなんて何もないじゃん。

四十三歳で、腎不全を患いながら、なに読んでだろうとも思うが、これは力強い良い本。1989年に読みたかった本だ。松江哲朗の映画「童貞。をプロデュース」も見たくなった。





童貞の教室 (よりみちパン!セ)

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新約聖書 訳と註〈3〉パウロ書簡(その1)

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