ブルース・リーと大山倍達


Huluで、ブルース・リーの「ドラゴンへの道」を観て、驚いたのは、「ニッポンの空手」が悪の権化として登場すること。
ローマに着いたブルース・リーが目にする光景は、ニッポンの空手に熱中して、中国カンフーを軽蔑する在欧中国人たち。彼らを啓蒙して中国カンフーを憶えさせるところから映画が始まる。で、悪者たちが外国から呼び寄せるのは、日本人の空手家(「話にならないくらい弱い」って設定)と、アメリカ人のニッポン空手チャンピオン(チャック・ノリス)。ブルース・リーが、このニッポンの空手を使う悪者アメリカ人を完膚なきまでに倒して、物語は終わる。
って、ことは、気になったのは、ブルース・リー映画以前に、「空手」こそ最強であり、カンフーなぞ演武にすぎない、って風潮があったってこと?
これがわからない。
「そもそもなんで香港人が『ニッポンの空手』を嫌うんだ?」と思って、ブルース・リーの英語Wikipediaを観たら、香港って、ニッポンの占領下だったことがあるらしい。

Although many of his peers decided to stay in the United States, Lee Hoi-chuen returned to Hong Kong after Bruce's birth. Within months, Hong Kong was invaded and the Lees lived for three years and eight months under Japanese occupation. After the war ended, Lee Hoi-chuen resumed his acting career and became a more popular actor during Hong Kong's rebuilding years.

http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee#Family
こんなん習ったか? 僕が知らないだけ? 「Japanese occupation of Hong Kong」って、1941年〜45年まで日本の占領下だったらしい。ブルース・リーが、1940年生れだから、5歳までは日本の占領下で過ごしたことになる。
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ところで、「空手」。
ブルース・リー以前に世界中でしられていた「ニッポンの空手」がわからない。で、思い当たる人物は、「大山倍達」しかいない。

もしブルース・リーが、敵視してた「ニッポン空手」が、大山倍達極真空手だと話はややこしい。というのも、大山倍達は、朝鮮系の日本人で、極真空手っていうのは、謂わば「ポストコロニアルな武道」だから。
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で、大山倍達Wikipediaで調べると、これがまた面白い。日本語のWikipediaと英語のWikipediaで記述内容がかなり違うのだ。
英語版には、戦後、大山が、朝鮮民族の祖国統一運動に参加し、それへの挫折から空手へ向かった、とあるが、日本語にはない。
英語版には、1952年に渡米し、グレート東郷とともにプロレス興業をしていた挿話がない。

Korea had been officially annexed by Japan since 1910. During World War II (1939–1945) there was much unrest throughout Korea. As South Korea began to fight against North Korea over political ideology, Oyama became increasingly distressed. He recounts, "though I was born and bred in Korea, I had unconsciously made myself liberal; I felt repulsion against the strong feudal system of my fatherland, and that was one of the reasons which made me run away from home to Japan."[2] He joined a Korean political organization in Japan to strive for the unification of Korea, but soon was being targeted and harassed by the Japanese police. He then consulted with a fellow Korean from the same native province, Mr. Neichu So, who was a Goju Karate expert.[2]

1952年(昭和27年)にプロ柔道の遠藤幸吉四段と渡米、1年間ほど滞在して全米各地で在米のプロレスラーグレート東郷の兄弟という設定(Mas. Togoのリングネーム)で空手のデモンストレーションを行いながら、プロレスラーやプロボクサーと対決したとされる。ビール瓶の首から上の部分を手刀打ちで切り落とした時、観客は驚嘆し、「Hand of God」「Miracle Hand」などと形容された[要出典]。

日英のWikipediaを併せると次のようになる。
大日本帝国時代の外地に産まれた朝鮮系日本人が、大日本帝国陸軍士官学校入学をめざすも失敗、その後、一帝国軍人として十五年戦争に参戦、しかし敗戦。日本国籍を失い、占領下の日本(Occupied Japan)で、民族運動に目覚め、「朝鮮人」として祖国統一運動に参加するも、ここでも挫折。そして、日本空手に出会い、才能を発揮し、アメリカや日本でのエンターテイメントな興業を経て、世界で、「日本の空手家」として知られるようになった。
これが大山倍達だ。
このような複雑な曲折を経て出来上がっている大山倍達=Mas Oyama=Choi Yeong-euiの「ポストコロニアルな武道」が、ブルース・リー=Lee Jun-fanにとっては、Japanese Occupation(「三年零八個月」)を連想させる悪の権化に映ったってのは面白い。
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然も、「空手」って、「日本の」っていうが、本来は、琉球起源。薩摩藩=鹿児島県の植民地だった琉球発祥で、日本列島本土に渡来したのは、大正期に入ってから。空手の流派を築き、威張っていた家元たちからして、元は、鹿児島県の植民地に暮らした琉球人であって、日本人ではない。そもそもが、ポストコロニアルな起源を持つ武道のようだ。この辺を考えてみると、祖国統一運動に挫折した大山青年(この時、朝鮮籍)が、「空手」に向かったのも必然なのだろう。

(引用は、Wikipediaより)









追記:
2013年5月10日
なんかモヤモヤが残る大山倍達宮本武蔵にしろ武道家の功績って、モヤモヤするもんなんだろうが。力道山グレート東郷と組んで、プロレス寄りのエンターテイナーとして活動してる時期があるんで、なおさらモヤモヤ。
道家の功績は、このモヤモヤを愉しむものなのかもしれないけど、モヤモヤさせとかないで、徹底的に調べてる方もいらっしゃるようで、検索かけたら、「大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」」ってサイトが出て来た。よく調べてあって面白い。読んでると時を忘れる。文献実証は、説得力があって面白いねえ。
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 このサイト、他の記事もとっても面白い。「空手バカ一代」についての文献実証とか面白くって面白くって。「大山倍達伝」の文献実証も面白いなあ。
大山倍達にしろ、芦原英幸にしろ、普通に当時についての本当の話をしてるんだね。そりゃそうか。梶原一騎の創作が話をややこしくしてるんだろなあ。宮本武蔵をモヤモヤと怪しげな人物に仕立ててる元凶って、吉川英治かも知れないと思った。


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