漫画/劇画の不連続面


「漫画」は常に安全健全で、体制護持の幇間役だった。
その系譜を継ぐのが、やくみつるとかか?
若年層の圧倒的な支持と圧倒的な売り上げ、年長者からの顰蹙と教育関係者からの一斉攻撃を一身に背負い、毀誉褒貶の波間に危うく成立したのは、「劇画」だ。
その系譜は・・・思い当たらん。途切れたのか? コミケとかにあるのか?
「漫画」と「劇画」。
このふたつは一緒にならない。



「マンガ」の歴史で問題にすべきは、「漫画少年」と「影」の間の切断面だろう。若しくは、大城のぼる佐藤まさあきの間にある不連続面。
その辺りで何かが途切れ、なにかがはじまった。
「技法」の問題ではない。漫画家の「態度」とか言ったものが大きく転換したのだ。その結果、「マンガ」の社会的位置すらが大きくシフトした。


しかし、これら二つの時代を区分ける特権的な漫画家として、「手塚治虫」の名前を持って来るのは、間違いの素だ。手塚は、その両者を器用に行き来してみせている。「劇画」が集中砲火を浴び文部省PTAの猛攻にあっているような時代に、秋竜山と並んで「文藝春秋漫画賞」を受賞してみせるような漫画家を歴史的結節点に持って来ても何も見えて来ない。
旧帝大医学部卒」やら「医学博士」やらの学歴肩書きに守られてか、「劇画」全盛の時代にも手塚は、良心的な児童教育関係者から軽蔑されることのなかったお墨付きの漫画家であり、エログロ低俗な「劇画家」とは区別されて認識されていた。