合理的判断が寄ってたかって不合理な結末を呼び込む



新宿「ベルク」が、まだまだ立ち退き勧告を受けているらしい。
鬱陶しい話だ。
新宿「ベルク」立ち退き問題、「大資本の言いなりになるのは云々」っていう社会正義の部分もあるにはあるんだが、そっちは余り興味がない。本音を言えば、こういう話は、暑苦しいから嫌い。しかし、その暑苦しい鬱陶しさを我慢に我慢を重ね握りつぶしてでも、「ベルク」の主張を全面擁護したい。なぜなら、JR系の街づくり駅施設は、どうしようもなく退屈で、底が浅くてつまんないから。「想像力の貧困な連中の浅はかな野望で退屈な街を押し付けられてたまるか」って話の方が、暑苦しさに勝る。ルミネさん関連のクリエイティブ・プロデューサーやらなんやらがいくら叡智を結集したところで、「ベルク」程に魅力的な店を作れるとは到底思えない。だからこそ、新宿「ベルク」には存続して欲しい。
へんな個人商店が街を活性化するのだ。




手塚治虫の娘、手塚るみ子が「手塚治虫 エロス1000」というアンソロジーを編纂しているらしい。しかし、Amazonレビューの反応は芳しくない。
このことは、割りと嬉しい。
手塚るみ子は、手塚治虫の娘であることは確かだが、経歴を見てもそうだし、水木しげる赤塚不二夫の娘らとの鼎談集「ゲゲゲの娘、レレレの娘、ラララの娘」を読んでもあからさまだが、本人は、マンガに無関係な、ピノコ・タイプの金持ち娘がそのまま年取った、バブル世代女子の、広告代理店上がりのプロデューサー。そんな、「プランニングプロデューサー」とか名乗ってノンシャラと構える連中が弄ったら、手塚だろうが赤塚だろうが水木だろうが、「まぁ「買ってもいいんじゃない?」ぐらいです。はい。」より面白いものにはならないことは、目に見えている。そんなもの買わない。退屈で浅はかで底が見えてるから。





JR系不動産屋にしろ、「プランニングプロデューサー」にしろ、そういう連中が抱え込んだ本質的な欠陥は、「合理的なものごとから踏み出せないこと」「不合理な突出が許容できないこと」だろう。
岩井克人の本に「囚人のパラドックス」という話が出ていたが、合理的に判断する連中がよってたかって合理的に物事を押し進めると非合理な結果に終るのだ。では、その合理的判断の結果の不合理な結末を回避するためにはどうすればいいか? 誰かひとりとんでもなくわけのわからんへそまがりがいて、不合理な判断をごり押しすること。これだそうだ。
合理的な結果をもたらす為には、不合理な判断に則って不合理に行動する妙な奴が絶対に不可欠なのだ。不可欠な要素としてのいかがわしさに反応しない連中の合理的判断の独走を止められなかった時、事態は極めて不合理な結末を迎えるに至る。


故に、合理的結末へ好意的に誘導したいと構想するならば、テルトゥリアヌスの「不合理故に吾信ず」という至言を堅守すべきなのだ。


「それは極めて不合理で理にかなわない判断である。 よかろう! その底抜けの不合理さ故に、その選択を採用することにしようではないか!」。
この判断ができない限りは、活性化なんてないよ。


新宿駅最後の小さなお店ベルク 個人店が生き残るには? (P-Vine BOOks)

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食の職 小さなお店ベルクの発想 (P‐Vine BOOKs)

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手塚治虫エロス1000ページ(上) (studio voice comics)

手塚治虫エロス1000ページ(上) (studio voice comics)

手塚治虫エロス1000ページ(下) (studio voice comics)

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ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘

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ヴェニスの商人の資本論 (ちくま学芸文庫)

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