映像解像度神話護持の末路

Fact - A Fact Of Life

Slipknot - Psychosocial


Fact - A Fact Of Life」のビデオクリップが「Slipknot - Psychosocial」のパクリだと言われてるんだと、松沢呉一さんが、自身のメルマガ「<マッツ・ザ・ワールド>第2662号」で書いてた。
パクリの議論は興味ないから置いておくが、それより何より、この二つを並べて見て、日米映像業界の意識のありように、絶望的な差を感じてしまった。

未だ「解像度神話」から抜け出せないニッポンの宣伝ビデオと、すでにそんなものに価値をみなくなってるアメリカのヘビメタバンドのもの。今や、きれいになめらかに画面を持っていこうとする魂胆が、なにかしら「時代遅れ」の追随行為にみえてしまう時代なのかもしれない。
この「差」が、アメリカのヘビメタマニアをして、平然と「パクリ」といわしめるのだろう。

「映像」を大スクリーンで見た二十世紀初頭から、家庭のTVモニターで見た80年代以後の時代を経て、既にディスプレイ一杯に映像を映し出すことがなくなったYouTubeの時代。
(同時に、映像の最大消費がパチンコCR機であるような時代)。
「写真」が、手札サイズに一枚ずつ手焼きされていた19世紀から、タブロイド版新聞の網点写真を経て、グラフ雑誌に目玉掲載される滑らかな大伸ばし印刷の時代を過ぎ去り、液晶ディスプレイの片隅にJPEG表示されるのみになった時代。

デレクジャーマンがスーパー8で、「エンジェリック・カンバセーション」を撮ったのって、いつだっけ?
タランティーノトニー・スコットが、画面の「荒れ」「ブレ」「傷」をあからさまにみせつけようとしていたのが、近年の映画界のモード? ファッション?
「滑らかさ」「綺麗さ」「よどみなさ」をしかめ面でもって追求して名人気取りの手合いを、「遅れてるぅ〜ッ!」と安心して睥睨できるような雰囲気は揃いつつある。






追記:
今、検索してみたら、あんまりコピーだって言ってる人はいないみたいだけど。「マスクなんてみんなやってんじゃん」って真っ当な意見も多いし。


追記:
松沢呉一さんは、「クズが世界を豊かにする」というYouTubeについての新著を出されるそうです。

クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論

クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論