笠木絵津子さんから作品集をいただいた


笠木絵津子さんから、「私の知らない母」という私家版の作品集をいただいた。
礼状(礼メール?)でもださなくちゃと思いつつ、なに書いていいのかわかんない。


1)
図版がちいさくなると、色彩がどぎつい。
こんな色彩だったっけ? グラフィカルな配慮がない分、意表を突くような図案とともに、どぎつく頭に残る。なんだろ? 小学生が使う不透明水彩絵具を使って、商用絵画を描いたことのない大人が描いた絵のような感じで貼付いて来る。 ラカン用語で「現実界」ってことなのかな? 第何流なのかしらないけど。でも「象徴界」を突き破るとはこのようなことなのだろう。 所謂、業界的「おやくそく」を無視し切って踏み込むこと。


2)
同時にそれが、「ローアート」的な熟練を無視しながらも、俗情を全うしようとしている点にも留意したい。 ここに撮られている「本人」たちは、一番本人たちが「こうありたい」と願っているような「格好いい姿」「一番美人な顔」「一番お気に入りの服装」で写っている。 髪型を美容院や理髪店で整え、各自の体つきに誂えた仕立て服装で着飾り、このように写るべきだと信じたポーズで、写真に納まっている。 スナップショットの写真家たちが掠めとったような有り様とはほど遠い存在感で、個人が浮かび上がる。各自、写真家がいた辺りへ目線を漂わせているものの、そんな場所に人間がいたなどとは思ってもいない様子だ。被写体は、認識の果ての「もの自体」だ? 冗談ではない。カメラにとっては客体だろうが、その「写真」の主体は被写体の方だ。「もの自体」だ、「il y a」だ、「es gibt」だ、言わせない。「私」がいる。名前もある。言葉を発して話もする。この「私」であってほかの誰でもない一回きりの人間様だ。写真家なぞ消失点の脇に佇む名無しの「写真屋さん」に過ぎず、小遣銭で動く使用人の一種であり、カメラの附属部品だ。
「20世紀に写真に写るとはこのようなことであった」 。
その典型さが、半世紀四半世紀の時を超え、表象の編み目を貫いて、現実へ触れそうになる瞬間、あらためて、見るものの目には、「どぎつい!」の印象を残すのかもしれない。


3)
滋賀県大津のなんとか造形大学でやってた展示、行くべきだったよなあ。 本来の大きさがある時は、「どぎつい」とかいう印象ではなかった。もっとへんなものを見た印象が勝っていた。ある意味、動物園の興奮? 「らくだ」とか「キリン」とか「ゾウ」とか「カバ」を間近で見たような興奮。「うわぁ、でけえぇっ!」がまず最初に来て、「へんな格好してるよなあ!」が次に来て、「うひょぉ! 動くよ! わあ! こっち来た!・・・」といつのまにか熱中している感じ。


4)
ざっと見返して、「戦後」部分の混乱に惹かれる。「幻しの満州」やら「麗しの外地」ではなく、21世紀日本西部を舞台にした作品に惹かれる。
ひと気もなく波しずかにしずまりかえる佐世保の漁港に突如出現した、引揚者たちを満載し、膨れ上がり、膨れ上がると同時に、多重に自らの姿を重ねずらし振動しつづけ、嵐の怒濤の中に忽然と出没する幽霊船の如くに怪異な存在感で停泊する巨大引き揚げ船。または、半世紀前の思い出の地「奈良公園」が、現代現物の奈良公園に重なろうとして重なり切れず、地名も曖昧にぶれぼやけ、記録と記憶は互いに別物として主張をつづけ歩み寄るのだが最後の最後で相譲らずひとつになろうとせず、作品の中に佇む半世紀前の若き母と四半世紀前の若き作者が重なろうとしてこれまた重なり切らない模糊として多層多重な時間を漂わせた、「奈良か神戸か京都の、どこかわからない池のほとり」という不思議な場所。そして、かろうじて思い出そうとしてひっかかる作者の最初の記憶に残る尼崎の赤い家。
ガーデニング途中の穏やかな初夏の庭を傍若無人に行進する満州国パレードにも掻き立てられる。これ、見たいよなあ。




5)
やっぱり行けばよかったよお。
二ヶ月前の自分の怠惰が恨めしい。