ベンヤミン卒読「複製技術時代の芸術作品」レジュメ
八章
語義)
鋳造:金属を溶かし、鋳型に流し込んで、所要の形をつくること。
刻印:印を掘ること。また、その印。刻み付けること。または刻み付けるもの。
ブロンズ:青銅、青銅像
テラコッタ:粘度で造形した、素焼きの器物、塑像、瓦などの総称。
余儀なく:ほかに取るべき方法がない、やむを得ない。
厳正:厳格で公正なこと
啓発:知識をひらきおこし理解を深めること
モンタージュ:映画で各ショットのつなぎ方で、単に足したもの以上の新しい意味を作り出す技法。
要約)
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ここから「第二部」。
ここまでは、始源時代〜写真までの話。
ここから、現代(1930年代当時)の話。「映画」の話。
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「今」のことだけど、現状分析ではない。「こうなるべき」っていうノリが強い。
「今われわれが手にしているものはこれだけしかない。これらを有効に利用するならば未来に希望がある」という話。
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21世紀から振り返るならば、殆どベンヤミンの希望は叶わなかった、映画に於いて。
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(さて本文)
古代ギリシア人が知っていた複製技術は二つ
1)鋳造、2)刻印
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ブロンズテラコッタ硬貨だけが大量複製できた。
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ほかはムリ。
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ほかのすべては一回限り
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技術的に複製は不可能。
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必然的に「永遠性」を求めた。
僕らの立脚点は、ギリシア人とは逆。
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芸術作品は嘗てない程に複製可能(質的にも、量的にも)
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その代表が、
映画。
現代の映画を、ギリシア人の芸術と比較してみる。
↓
ギリシア人にはもっとも認めがたい要素が・・・・
それは・・・・
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「作品をより良く作りかえてゆくことを可能にする性質」が映画にはある。
改変可能である。
↓
映画は「サイの一振り」とは対極にある。
→マラルメに『骰子一擲』(とうしいってき)っていう詩集があったっけ)
←「とうしいってき」? 「さいころいってき」?
映画はモンタージュ→いろんな場面の切ったり貼ったり好きなだけ撮影のやり直しが可能。
↓
例:
チャップリン「パリの女性」なぞは、3千mのフィルムのために、12万5千mの撮影
↓
映画は芸術のうちでよりよく作り変える可能性に富んでいる=改良可能性
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この改良可能性は、永遠の価値のものを徹底断念することとつながっている。
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反対の例
ギリシア人にとって、彫刻が一番の価値を持った→いちばん改良可能性の低い芸術
→永遠の価値があるものと考えられたから。
- 作者: ヴァルターベンヤミン,野村修
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