英語の時間に抗して


東京ジャーミィのパンフレット読んでいて、水村美苗の言葉を思い出した。

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不意に小説家はきびすを返して、フランス人の聴衆を挑発する。あなた方は、自分たちの時間を普遍的だと思って過ごしてこられた。この会場でも、日本人はみなフランス語を解しますが、あなた方のうちに日本語を解される方が何人おられるのでしょうか。でも、状況は確かに変わりました。インターネットで英語が世界の公用語となったいまや、フランス語を使うあなた方も言語的なマイノリティーなのですから。そのことを私は心から祝福したいのです、ようこそ、特殊の時間の世界へ、と。いまこそ、「われわれ」は、世界を覆う英語の覇権に対してともに戦おうではありませんか!

王寺賢太【水村美苗の「高慢と怯懦」】
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インターネットを介して英語が公用語になってしまった世界では、フランス文学フランス料理を擁するフランス語もまた日本語のような言語的マイノリティなのだという発言。
しかし、やはり、日本語やミャンマー語とフランス語ドイツ語はやはり対等ではない。
標準通貨はドル一本であるとは言え、ユーロはそれなりの地位は保全しているように。
公用語=英語の周囲を固める欧州語は、それなりの覇権を持つ。
おそらくは、80年代末に夢みたような円のエスタブリッシュメントが貫徹されたならば、21世紀中頃には日本語もそのような覇権を抱いたのかもしれない。現状として、日本語の時間とフランス語の時間は対等ではない。

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さて、そのようなメジャー言語による時間の覇権争いをよそに、確実に拡散しつづけているのががアラビア語の時間だろう。

 二、クルアーンは、聖予言者ムハンマドが四十才のとき、メッカ郊外の光明山頂の洞窟で、天使ガブリエルを通じて初めて神の啓示を受け、これから逝去の年までの間(609-632 AD)に啓示された、アッラーのことばの全部を編集したものである。新・旧約聖書その他の諸経典は、使者自身の語の記録であり、しかもその当時の用語は早くすでに失われ、その内容も永年にわたり加除改変が繰り返されているに比し、クルアーンの場合その用語のアラビア語は、その後、中東や北部アフリカ諸国の国語となって広く普及しており、またアッラーのことばの一字一句が、原形のまま千四百年後の今日まで、クルアーンの中に慎重に守護して継承されている。

聖クルアーンの注釈についてより
アッラーのことばの一字一句が、原形のまま千四百年後の今日まで、クルアーンの中に慎重に守護して継承されている。」というのは無論フィクションだろう。
井筒俊彦コーランISBN:4003381319 の「はしがき」には、

コーラン』は、本文の字句の異同のほかに、各章ごとの節の分け方においても版によって大きなひらきがあって、例えば「第何章第何節」などと言っても、どの箇所を指すのか明瞭でない場合が多い

と書いている。しかし、実証的にはそうなのだろうが、理念的には「原形のままに」継承されていることも確かだ。
サラートに於いて唱えられる章句として。
これは、伝えるための言語とか諭すための言語とか考えるための言語としてではなく、ひたすら唱えるための言葉として、世界中に広がっている。
ちょうど、仏教のサンスクリット語のような位置なのだろう。
言葉としては既にネパールでも誰も使わない言葉でありながらも、ミャンマーでも日本でも仏教徒たちは毎日サンスクリット語を使う。そのような位置だ。
ムスリム人口がカトリック信者の数を上回ったという話を聞いた。
世界宗教の中で、ヨーロッパの覇権の周囲に常にありつつ、一気の強制を敷く事もなく、個々の伝承の中で確実にひろがって来たのが、コーランアラビア語だろう。

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考え、伝え、記録し、そして従えさせるための唯一の言語となった「英語」に対して、それらの言語機能を外れたところで広がりつづけているマイナー言語。
それは、資本主義すらも一種の「考え方」としてしか捉えないような特殊な時間を持つ。
それは、日毎ムハンマド40歳の時と同じ時間を地球の自転回転にあわせて沸き起こす。
太陽光線の照射区域で多少のずれをもちつつ一斉に唱えられ、光線が外れたところから止んで行き、また反対側の太陽が照らす場所からどこから広がりはじめるということもなく唱和されていく。海と無人の場所を除く全地球上から。

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やはりなにかの希望を感じてしまう。