アーティストは、いかがわしくなくてはならない


 ソフト帽を被って学校へ行った。杉田敦さんがいて、「なにがキミをそうさせるの?」と訊かれた。その時は、うまく答えられなかった。答えられなかったけど、「アーティストは、いかがわしくなくてはならない」という信念はあるんだと思う。

 高校の頃にはじめて知ったヨーゼフ・ボイスナム・ジュン・パイクの風体は、刷り込みとしていまだにある。あのいかがわしかったこと!
 
 フエルトの帽子にフィッシィングベストだよ?! 年中どこ行くのにもその格好なんだよ?
「動物たちが着替えないように私も着替えることはない」
「世の中から資本主義と社会主義が消え去ってしまうまで私はこの格好をつづける」
一瞬もっともそうに聴こえて、その実なんの根拠もない発言。あんな格好した人間の発言が真っ当なわけがない。糖蜜だ、鑞だ、フェルトだ、社会芸術だと言われて、信じる気にはさらさらなれない。信じる気にはなれないままに、いつの間にか引き込まれている。これぞ、街頭商売の基本。
 
 パイクにしてもそうだ。トップハットを被ってステッキもってはだけたワイシャツにぶかぶかのズボンにサスペンダーというでれでれに着くずしたフォーマル衣装。どっから見たってインチキ臭いアジア系の詐欺師だった。殆ど英語に聴こえないような英語とあやしげな日本語と朝鮮語と広東語をくりながら、奇妙な未来について語る姿は、最高にいかがわしくて、ついつい聞き込んでしまったもんだ。
 彼らのスタイリングこそは、模範にすべき姿だ。

そんな訳でネクタイを絞めるにしろ、サラリーマンやホストや金融さんとは違って、いかがわしく見える努力は惜しみたくない。