ブローティガンを追いつめたもの


mixiから)
☆「西瓜糖の日々」を読んで思ったけど、店の名に「西瓜糖」ってつけるのってどうなの?
 訳者の藤本和子も書いてたけど、ブローティガンは、すべてが西瓜糖で出来上がった世界を決して理想郷として書いてない。寧ろ真綿で首を絞められてるような息苦しさでもって考えてる。「忘れられた世界」との境界に居て自死してみせるインボイルやマーガレットの方に肩入れしつつ、彼らのことにむけていっさい想像力を開かない「(まだ本を書いてない)作家」の立場から書いている。
「すべてが西瓜糖から出来上がっている世界があるんだ。でも、そんなとこに生まれついたら、自分の身体をナイフで切り取って死ぬしかないだろ?」ことじゃないの?
 
☆「西瓜糖」http://www.h7.dion.ne.jp/~suikatou/という「カフェギャラリー」が阿佐ヶ谷にある。すかした展示を横目で観ながら、「あれが敵だな」と思っていた新聞屋時代を思い出した。
 美術がカフェの壁をお洒落に飾るものである訳がない。そんな絵や写真は、西瓜臭くて甘ったるくて蜜状にべたべたした世界の中に安住する鈍感料理女たちの手すさびに過ぎない。イボイルやマーガレットたちを日々追いつめながら、甘ったるく存続する加糖社会。ブローティガンを追いつめたのは、ギャラリー「西瓜糖」的な圧力だった訳だ。実際、ブローティガンは、酔いどれのイボイル(穏やかな西瓜糖世界のまさに中心地で自死してみせた)のように死んだのだし。
 
☆同じことを「ラピュタ」についても思う。http://www.laputa-jp.com/
なんだって「ラピュタ」なんて名を自分のビルに付けたいのかまるきり理解できない。
 スウィフトの「ガリバー旅行記」を読めば、「ラピュタ」は臭気むんむんの糞尿でできあがったスカトロジックな逆さのユートピアであることぐらいわかりそうなもんだ。汚いものやグロテスクなものに無性に惹かれるスウィフトにあってもあそこまでうんこしっこにこだわった文章は、他にないらしい。
 いや、宮崎駿の「天空の城ラピュタ」にしろ「文明の末に滅びた都市」という位置づけだ。なんで「ラピュタ阿佐ヶ谷」なんて名を付けた建物を造ろうと思ったんだろ? 「スカトロマニア:クラブ ラピュタ」ならわかるが、映画館や喫茶施設のあるビルだよ? 理解できない。

☆「ラピュタ」であり「西瓜糖」でありたいってのが、「杉並区阿佐ヶ谷的な欲望」ってことなのかもね。放置自転車撤去員の分別面が監視しつづける街でありながら、空き巣の多発地帯でもあるような街。
 糖蜜と糞尿の街:すぎなみ。スウィート・スカトロジー:阿佐ヶ谷。