10センチ×5センチ×30秒


mixiの日記欄もhatenaもYouTubeも、横10センチ×縦5センチの平方におさまることを要求している。FLASHPhotoShopも。
「横10センチ×縦5センチ×時間30秒」という枠。
これが、21世紀初頭的に最適なサイズなのだと思う。
いや、おそらくは「21世紀初頭ニッポン」という枠内で考えるならば、「横3センチ×縦5センチ×時間10秒」におさめる必要があるのだろう。



ガロ社のガロン売り安ワイン「カルロ・ロッシ」に引き込まれるようにして、リチャード・ブローティガンアメリカの鱒釣り」を読み出した。
ふーん、高橋源一郎村上春樹もこれから影響されてるんだ、と20年を経てようように知った。
ハーモニー・コリンガンモ」を思い浮かべながら読んでる。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0008JH51K/sr=1-1/qid=1158673919/
四十を目前に読む本じゃないんだろうけど、これがしっくり来る。
未来や希望を感じれない時にはまるのかも。
いや、ケータイ的サイズが強要されている気分の時、こんなスタイルくらいしか選択肢はない

混乱と錯乱と雑多とを呼び込もうとするならば、「横10センチ×縦5センチ×時間30秒」×α個 によって、半日以上も延々続くようなスタイルを望むべきだろう。
ADSLによって遅々と配信されるとるにたりないクズの集積からなる「神曲」「資本論」的な誇大長編。
いや、ほんとのところ、ダンテにしろマルクスにしろちびた断片の集積なんだけどね。
誇大な妄想とはっきりした外枠に囲まれてるから体系的に見えるだけで、読み込んでみればぎくしゃくした細かな挿話の集大成なんだから。


思えば、「アメリカの鱒釣り」「神曲」「資本論」・・・どれも10センチ×5センチのサイズになってる。「ドン・キホーテ」もシェークスピアも「失われた時を求めて」もニーチェも、いつのまにかそのサイズで販売されていた。
そのサイズになってないものは、21世紀に間に合い損ねているってことかもしれない。
読み手としては、30秒の集積として読むべきだということなのかもしれない。


【(YouTubeサイズで)「資本論」を読む】
資本論」を、69年サイズに圧縮して読み込んだのが、アルチュセール
資本論を読む」という本自体は厚いが、実にアルチュセールらの記述は、コンパクトでスピーディーだった。
21世紀にはさらなるコンパクトさが要求されるのだろう。

 わたしがじぶんの本にもどると、本のページに加速度がついて、どんどん猛烈な速さでめくれて行った。そしてとうとう海上の舵輪みたいにスピンしたのだった。

(リチャード・ブローティガンアメリカの鱒釣り」1967)