「資本主義リアリズム」について

2002年7月21日に書いた文章
要約するなら、「『ワンピース』と社会主義リアリズムは同構造を持つ」ってことか?
意外に面白いことを書いてる十年前の自分。
っつうか、十年後も「ワンピース」が連載中だとは、思っていなかったけど。




020721

デヴィッド・ホックニーの写真集の「序言」を読んでいたら、ホックニーは自分が撮ったスナップショットを忠実に参照して描き起こした絵画を「自然主義的なもの」と表現していた。

In the summer of 1972,Henry Geldzahler and I went to Corsica. I made a painting from this photograph, taken in Calvi.(・・・・・・・・・・・・・)This was done at a time when I was giving up naturalism, and my way of painting was changing puite a bit.

ホックニーが、「リアリズム的なもの」とではなく「自然主義的なもの」と表現しているところが目を引いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊藤俊治の指摘によると、19世紀の「写実主義」と呼ばれるクールべらの絵画は、写真技術を礎石にした、もっと有り体に言えば、「写真」を手許に置いて、それを忠実になぞるところからはじまっているのだそうだ。

 通常、絵画の遠近法は、対象を写真的にリアルに描くことを目標に発展していったかのように思われているが、ここでいうリアルとは決してあるがままにという意味ではなかった。たとえば初期の遠近法のある画家たちは、自然の情景が遠くにあれば小さくぼやけ、バランスも崩れてしまう理由を、自然の方が不自然であるためと考えていて、それゆえリアルに描くということは不完全に見えてしまう自然や対象を補足し、修正することを意味していた。つまり彼らにとって絵画芸術とは、自然の欠陥をカバーするひとつの技術だったのである。
 一九世紀の写実主義絵画の先導役として知られるギュスタヴ・クールベが非難を浴びたのはこうした観点からであった。つまりイデアルとしてのリアルを否定して、ありのままのリアリズムを、写真のようなリアリズムを主張したからである。
 クールベの絵に対する批評は「彼の絵はダゲレオタイプにすぎない」という指摘がある。
(・・・・・・)
 実際、エアロン・シャーフの『美術と写真』でも触れられているように、クールベが写真を忠実に参照して絵を描いていたことは有名である。「ション城」や「画家のアトリエ」では写真画面独特の色調や光沢までも克明に写しとろうとしていることがわかるほどだ。

伊藤俊治「冩眞史」1992)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで「近代リアリズムは写真とともにはじまり写真とともにあった」とでも断言し、「リアリズムは写真の下僕であった」と写真の勝利宣言でも出せればよいのだが、ことはそうすんなりとは運ばなかったようだ。歴史は、「リアリズム」の展開は、マルクス主義との関連で進行していき、クールベらの「写実」は、「自然主義」として押しやられていったことを知らしてくれている。「広辞苑」の「自然主義」の項目を引くだけでも、「自然主義」は「リアリズム」の対立概念としてあったことが知られる。

マルクス主義などの芸術論において、瑣末的事実の忠実な描写にこだわり、本質を見失うような創作方法。(広辞苑第五版)

 冷戦下に育ち、89年の社会主義体制の全面崩壊とそれと時を同じくしておきた「バブル景気」の中、資本主義の永続性と普遍性と完全勝利をひたすら吹き込まれて育った僕らの世代は、この「社会主義」「マルクス主義」が知識人層の常識としてあった時代についてまるきり無知だ。誰々がその辺りについて語っているのかも知らない。しかし、絶対に「昔からずーーっとそうであった」訳はない。「ないわけはない」と思い、重森弘淹の蔵書を漁ったら、いともあっさり文献が見つかった。佐々木基一「革命と藝術」(1958)という本だ。
 それによると、どうやら「社会主義リアリズム」による「自然主義批判」は、1936年から38年にあった「形式主義批判」とともに既にあったものらしい。「社会主義リアリズム」側からの「自然主義批判」は、上にあげた「広辞苑」の定義でほぼ全部出ているようだ。
 では、「自然主義」を退けて、打ち出された方法論はどのようなものであったか?それは「典型論」として括られている方法だったようだ。

 エンゲルス1888年、マーガレット・ハークネス宛の手紙で、「リアリズムというものは、私の考えでは、細部の真実の他に典型的情勢における典型的人物の忠実な再現を含んでいます」と書いている。社会主義リアリズムはこのエンゲルスの定義にもとづき、「典型論」として展開された。典型を描けというスローガンの下に、自然主義形式主義が当面最大の批判対象とされた。

 
 しかし、「1888年」という時期を考慮にいれ、エンゲルスという生真面目な男が書簡で書いた文面だということを考慮にいれるなら、単に当時の趨勢であった「写真のように描くな、もっとイデアルに描け」を反復しているだけのような気もする。なにはともあれ、「社会主義リアリズム」の王道にあっても「写真のように描く」「細部を書く」ことが忌避されていたことははっきりしているようだ。たとえば、「一般の人々の社会主義リアリズムにたいする通念を代表しているとみていい」として引用されているハーバート・リードの文章は、

社会主義リアリズム』という教義が首尾一貫した理論だというのなら、そのかぎりでは、十九世紀のブルジョア市民社会の詩人や文学者や画家が実際にやったような形の自然主義芸術の一般原理を、目的意識をもった、あるいは教義をふりかざした目的をそれに付け加えて再び主張しているような感じをあたえる。

と書いているが、寧ろ「十九世紀のブルジョア市民社会の詩人や文学者や画家が実際にやったような形の自然主義芸術」が、例外的に細部の瑣末描写にこだわったものであり、社会主義リアリズムは、19世紀以前のリアリズム、すなわち写真機のみが写し取るような細部を修正して再構成し、イデアールに再現されたリアルをよしとしたようだ。
 無論、100年の歴史を持ったマルクス主義のことだ、そう単線的にことが進んだ訳はない。「典型論」の他に「反映論」として知られたリアリズム理論があるそうだ。

日本では一九三一年に蔵原惟人が「芸術理論に於けるレーニン主義のための闘争」という論文において、ソヴェトで社会主義リアリズム理論が提唱される以前に、一種の現実反映論に到達している。

 「芸術作品は唯夫々の階級のイデオロギーを反映しているばかりでなく、また何らかの形で夫々の時代の客観的現実(自然及び人間の生活)を反映している。だから我々は、芸術作品の価値を問題とする場合、その作品がどの程度まで正しくその時代の現実の客観性を反映しているかということを明らかにしなければならない。」

 この「反映論」として知られた「リアリズム理論」が、「しかしだからと言って、金持ちの馬鹿息子や自堕落な女どものことばかりが、すべてだと思ってもらっては困る。それらは、末期にある資本主義の断末魔を反映しているだけだから。そういう手合いとは違う、建設的な我々こそが、『時代』なのだ!革命と未来を担い立つ希望の人々なのだ!我々という希望と希望のイデオロギーの担い手を、担い手のみを描写せよ!」と提唱されたのが、「典型論」だ。
 ゴーリキーは、「反映論」的、自然主義的リアリズムを「批判的リアリズム」とし、「そこに描写されているものは、批判されるべき、見習ってはならないものものの反映である」とし、「社会主義リアリズム」は、「模範とすべきものものの描写である」としているようだが、この際、どうでもいいだろう。なぜ「母」とかがフェミニズム社会学とかの立場も無視されているのかという疑問もなくはないが。
 しかし「典型論」として規定され、その方法に則って制作されたらしい「社会主義リアリズム」の作品たちが、ある「反映」になっていることも否定しがたい。すなわち、「社会主義を信奉した人々のイデオロギー」を反映しているという側面だ。いや当たり前の話だ。「社会主義リアリズム」を、社会主義者以外の人間が実践しようとする訳はないのだから。そして、その「社会主義者」の典型の反映として、「イデアル」化があることは間違いがない。典型ならざるものは、ラーゲリに送ってしまえ、という典型的志向が、見事に反映されている。
反映論→典型論、あるいは自然主義リアリズム→社会主義リアリズムが、進歩だったのか、あるいは前時代への回帰だったのかは知らない。しかし、どう考えても、写真技術という技術の突出によって生じた「自然主義リアリズム」たちのみが、歴史の中に希少性として立ち残っているような気がしてならない。なぜなら、社会主義リアリズムなぞ誰も見向きもしなくなった今になってなお、「自然主義リアリズム」的なものをいかに「上手く」処理するかが、「写真家」「美術家」たちの課題であり続けているからだ。

「適当にシャッターを切れば「写ってしまうもの」をいかにコントロールするか?」
「雑然としてまとまりのつかないものものをいかに「美」へと回収するか?」

この課題が、「社会主義」をも併呑して膨張に膨張を重ねる「資本主義」下の21世紀にあってなお、美術家たちの頭を占拠しつづけている。

「プロ」を名乗る美術関連業者たちは、言うに及ばずだ!「自然主義」的に写り込んでしまう、望まれもせずに存在しつづける、雑多な細部たち。それら細部たちが、いかにあたかもいないかのように処理されていることか! TVやら、美術展やらばかりを観ていると、どこかに「資本主義的ラーゲリ」があって、そこには、「資本主義的に望ましくない」細部たちが、強制収容されているのではないか?と思えて仕方がない。「プロ」とは、この「細部」を「ラーゲリ」へと送還する特権を持った「資本主義的」政治部員のことなのかもしれない。

社会主義リアリズム」の耐え難いところは、そこに「典型」にして健康にして優等生なものばかりが、われもわれもと押し寄せているところだ。同じ耐え難さが、「ポストモダン」な美術やら、広告芸術やら、「ワンピース」やらの少年漫画やらにはある。

「ワンピース」が耐え難いのは、「未来少年コナン」が耐え難いのと等しくある。若しくは、「ワンピース」「未来少年コナン」は、佐々木基一が書き出すエレンブルグの『雪どけ』、オヴェーチキンの『地区の日常』が耐え難いのと同じくに耐え難い。

たとえばオヴェーチキンの『地区の日常』に出て来る地方コルホーズに配属された地区委員会第一書記は、人民の国、社会主義の国ソヴェト同盟のために骨身を惜しまず働く。実に活動的タイプである。彼は国のためにコルホーズ員の利害を無視してまで穀物供出を完遂しようとする。当然まじめなコルホーズ員たちから、責任負担の不公平について不満が出る。(・・・・・・・・・)大衆には彼をリコールする体制上のルートが存在しないからである。そこで、批判はもっぱら私心のない、大衆に思いやりのある真の共産主義者たる第二書記の活躍にまかされることになる。小説の葛藤はしたがって、第一書記と第二書記との対立をとおして描かれる。(・・・・・・・・・・)誤りがわかって罷免された第一書記にかわって第二書記が責任者の地位につくと、小説はもっぱら彼の獅子奮迅の働きぶりを描くことになる。

オヴェーチキンの『地区の日常』に於いて第二書記が演じた超人的性格を帯びて活躍をし続ける「ルフィ」」「コナン」。書記はかくしてだんだん超人的性格を帯びてくる。だが、おそらく彼は超人ではなく、普通の人間なのだ。やがて彼は活動に疲れるだろう。そして、このような積極的タイプが活動に疲れ果てた姿、それがおそらくは官僚主義者にほかならないのである。「ルフィ」「コナン」は、はじめから「超人」のようだが、「超人」こそが疲れ果てた末に、「官僚主義者」なり「鈴木宗男」なり「田中角栄」なりになるのだ。
50年後に読まれた「ワンピース」は、オヴェーチキン『地区の日常』と区別がつくまい。
ポストモダンな広告芸術と社会主義芸術を見分けることは至難となるだろう。
 社会主義リアリズム小説にもいないようだが、TVにも美術にも広告にも「ワンピース」「未来少年コナン」にも、「どうしようもないクズ」「救い難いバカ」がいない。世の中には基本的に「クズ」か「バカ」の役立たずしかいないというのに、だ!「なんでこいつらこんなに希望に満ちた良い子ちゃんばかりなの?」と苛々するTVやらの担い手たち、彼らは、「社会主義者」ではないだろう。「マルクス主義」などという「はやらない」「古臭い」ものを、敢えて学習しようなぞという無駄な回り道はすまい。しかし、彼らがなんの主義主張も持たぬなどという世迷い言は、とてもじゃないが、受け入れられない。主義主張がないにしては、整然とよくよく教育され過ぎているから。
「ではそのイデオロギーは?」と考えると、「資本主義」しかない。資本主義なら「勉強」せずとも「信仰」せずとも、遊んでいれば身につくから。彼らは、「資本主義イデオロギー」を忠実に「典型」化しようと研鑽を積む「資本主義リアリズム」の信奉者なのだろう。「自然主義的な細部をイデアールに処理してリアルへと近付ける作業」。その行き先が、「資本主義的達成」=「売れる」へとつづくなら、それは「資本主義リアリズム」であり、「社会主義的達成」=「革命の成就」へとつづくなら、それは「社会主義リアリズム」であるだけの話だ。

「資本主義的達成」「社会主義的達成」、ともに「美」とか「良いものは良い!」とか呼ばれていることは、せめて知っていなければならない。

せめて!!

http://www1.odn.ne.jp/~caa31720/note_book_09.html


写真史

写真史

革命と芸術 (1958年)

革命と芸術 (1958年)

ONE PIECE 24 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 24 (ジャンプコミックス)