「伝習館事件」について




だから勉強してってば」の追記:
なお、「なぜ、高校の国語教師は、厳しく指導しなかったのだろう?」という疑問は浮かばない。厳しく指導するような気骨のある国語教師を知らないからだろう。中学にはいた。東海中学の小川猛郎先生だ。しかし、理系万能な事情からか、とっても嫌われていたし、バカにもされていた。「国語能力なぞ誰にも備わっている。叩き込むに値しない」という風潮が、1979年頃にはもうあったことを知っているから、わざわざ"意識の低い"教師をどうこう言う気にはなれない。教師の方でも法的な拘束力を持つ「学習指導要領」やらなんやらでガンジガラメだったのだろうし、そんな事情を知るにつけ知らずにつけ、学生時代から教員採用試験突破に意欲を燃やすような連中になにかができたとも思えない。
サルトル」という名前を知らない文学部生、小説を一切読まない小説家養成コース学生、法華経を読もうとしない法華宗信者、資本論を読もうとしない新左翼学生運動家、マンガ以外知らない読めない"マンガ研究"・・・・そんな連中にはやまほど会って来た。「映画」だけが寧ろこの二十数年例外領域だったのかもしれない。「勉強しないと映画は撮れない」と思い込む人々が多かったのだろう。
学校教師なぞがカバーできるような状況ではない。














「学習指導要領」に法的拘束力があるとした「伝習館事件判決」

四 そして、最判第一小法廷平成二年一月一八日判決(伝習舘事件上告審判決・以下、伝習舘判決という)は、「高等学校以下の普通教育の場における教師に裁量が認められる一定の範囲」等について、以下の通り判示している。即ち
1 高校の教師は、自分の担当する教科・科目の授業には、その高等学校で採用した教科書を使用する義務を負う。
2 また、高等学校学習指導要領は法規としての性格を有し、県立高校の教師は、地方公務員として、その職務(授業等の教育活動)の遂行にあたっては、その法規に従う義務も負う(地方公務員法第三二条)。
3 以上のことから、「高校一の教師に裁量が認められる一定の範囲」とは、県立高校の教師は、自分の担当する授業で、使用する教科書の内容と高等学校学習指導要領で指示する授業の内容を逸脱しない範囲で、具体的授業内容及び方法につき、個々の教師の裁量が認められ、これが「教師の教育の自由」の範囲である。

御庁平成九年(ワ)第五五号謝罪広告等請求事件から引用)



付記
この「伝習館事件」の当事者:茅嶋洋一の「現代文」講義を受けたことがある。名古屋の大学受験予備校河合塾で。「煙草を吸いながら授業をする」とか「ビールを飲みながら授業をする」とか以前に、内容のない、ひどい講義だった。「講義」の名の下に、不勉強なおっさんの低俗な説教をえんえん聴かされた。あのおっさんを「判例」の例にされたらたまったもんじゃない。たまったもんじゃないが、「判例」になっているには違いない。やれやれ。




付記:
伝習館事件判決」

昭和59年(行ツ)第46号・行政処分取消請求事件
  破棄自判<請求棄却>
   第一審 福岡地方裁判所昭和53年 7月28日判決
   控訴審 福岡高等裁判所昭和58年12月24日判決
   上告審 最高裁判所第一小法廷平成 2年 1月18日判決 (昭和59年(行ツ)第45号)
  上告人 福岡県教育委員会  被上告人 H・T 外一名
 最高裁判所民事判例集44巻01号0001頁、判例タイムズ719号78頁、判例地方自治65号22頁


主 文
 原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
 被上告人らの請求をいずれも棄却する。
 訴訟の総費用は被上告人らの負担とする。

 理 由
 上告代理人俵正市の上告理由第二、上告代理人秋山昭八の上告理由第二及び上告代理人植田夏樹、同堀家嘉郎の上告理由第一点について
 論旨は、要するに、被上告人らに対する本件各懲戒免職処分は懲戒権者の裁量権の範囲を逸脱したものであるとした原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものである、というのである。
 一 本件各懲戒免職処分に至るまでの経緯等について原審が適法に確定したところは、次のとおりである。
 (一) 福岡県立伝習館高等学校(以下「伝習館高校」という。〕は、福岡県でも古い歴史をもつ高等学校の一つであり、名門校あるいは受験校として実績を有していた。被上告人半田隆夫(以下「被上告人半田」という。)は、昭和四一年四月から同校教諭として勤務し、社会科の日本史及び地理を担当しており、被上告人山口重人(以下「被上告人山口という。)は、昭和四四年四月から同校教諭として勤務し、社会科の倫理社会及び政治経済を担当していた。
 (二) 大部分の福岡県の県立高等学校においては、伝習館高校を含めて、昭和四二年ころまで、事実上職員会議を最高決定機関とする校務運営がなされ、また、新任の校長については、ほとんどが福岡県高等学校教職員組合(以下「県高教組」という。)の推薦又は承認する者を任命するということが行われていた。ところが、上告人が、昭和四三年四月大部分の新任校長を県高教組の推薦のない者から任命したため、県高教組はこれら新任校長の着任拒否闘争を行った。更に、同年一〇月及び昭和四四年一一月には県高教組は人事院勧告完全実施等を要求する休暇闘争を行った。被上告人半田は、昭和四三年一二月一四日にストライキ参加により戒告、昭和四五年一月一四日にストライキ参加により減給一月の各懲戒処分を受け、また、被上告人山口も、昭和四五年一月一四日にストライキ参加により減給一月の懲戒処分を受けている。
 (三) 昭和四三年四月、内田康男が伝習館高校校長に任命されたが、当時同校は、個々の教諭との話合いも県高教組の役員を通じてしなければならないなど、校長としての十分な指導監督ができない状態にあった。
 (四) 内田校長は、昭和四四年一学期末ころ、被上告人ら教諭の一部が教科書を離れた授業を行い、また、被上告人山口らが生徒の成績について一律評価をしていることを聞き授業については、教科書を基本にして行うべきである旨職員会議の席上注意を促し、一律評価については、教務部長等に各本人に注意するよう依頼した。また、同年一一月中旬ころ及び二学期末ころの職員会議では、自習が多いこと及び右一律評価について注意した。
 (五) 上告人の事務局である福岡県教育庁(以下「県教育庁」という。)は、同年一一月ころ、被上告人らほかの教諭の授業に自習時間が多いこと等を訴える匿名の投書及び電話を受けたことから、同年一二月七日、伝習館高校において同校教職員の服務の実態を調査した。
 (六) 同月二四日の二学期の終業式の際、内田校長は、生徒から県教育庁の右調査についての所見等を求められ、来る一月八日の始業式の際に見解を表明することを約束した。昭和四五年一月七日の職員会議では、県教育庁の右調査は不当な介入であるとの決議がなされ、内田校長は、翌日の始業式において全生徒に対し右決議の趣旨を述べた。また、その後開催された職員会議で、内田校長は一月一六日に再度生徒に対する説明会等を行うことを約束した。右始業式における内田校長の発言及び説明会の件を知った県教育庁は、内田校長に対し始業式における発言の取消しと説明会の中止等を説得したが、説明会は予定どおり行われた。
 (七) その後同年二月中旬ころ、「柳川伝習館高校を守る会」準備委員会在東京委員会名義の二月アピールと題する文書が県教育庁関係者、伝習館高校の教諭、父兄、同窓生らに対して多数郵送され、その中には、同校の茅嶋洋一教諭(以下「茅嶋教諭」という。)はいわゆる三派系造反教諭であり、同人を先頭に被上告人らほか二名の各教諭を中心に勢力を拡張しつつあるとして、同人らの学校内外での具体的言動なるものが列挙されていた右二月アピールに対抗して、同窓会有志名義で「伝習館を支持する会」なるものも結成され、右五教諭を擁護するビラを配布し、以後双方から数多くの文書が配布された。右二月アピールを契機として、伝習館高校内は動揺した。
 (八) 伝習館高校は同年三月一日卒業式を迎えたが、福岡県教育委員会教育長(以下「県教育長」という。)代理が告辞の朗読を始めるや、一部の生徒が「拒否」と書いた横幕を掲げ、やじを飛ばし、校歌斉唱の際労働歌を歌うなどして、式場は騒然となった。
 (九) 同年三月の福岡県議会において、伝習館高校の諸問題について質問があり、同校の一部教師が生徒に対して偏向した政治的教育を行っているとの指摘がされ、県教育長は前記二月アピールの真相、卒業式の混乱等については調査結果を待って必要な措置をとり学校の管理運営及び生徒指導の適正化についても必要な措置をとる旨等を回答した。
 (一〇) 西日本新聞の同年五月一八日付夕刊は、「引きさかれた教育」と題して、伝習館高校における被上告人らの授業を変わった授業として報じた。
 (一一) その後県教育庁は、伝習館高校の関係諸帳簿の分析、生徒及び卒業生からの事情聴取等の調査を行い、その結果を県教育長に報告し、県教育長はこれらの調査結果等に基づいて上告人に対し、被上告人ら及び茅嶋教諭の懲戒免職処分の提案をし、上告人は、同年六月六日右三名を懲戒免職処分にした。同処分の処分説明書記載の処分理由は、被上告人半田については、「被処分者は、昭和四四年度の担当科目の授業において、所定の教科書を使用せず、かつ高等学校学習指導要領に定められた当該科目の目標及び内容を逸脱した指導を行った。また、同年度における授業に際し、在校しながら出席しない生徒に対し何ら注意を与えないまま、しばしば生徒を放任するなど生徒に対する指導監督を怠ったこれらの行為は職務上の義務に違反し、職務を怠ったものである。」というのであり、また、被上告人山口については、「被処分者は、昭和四四年度の担当科目の授業において、所定の教科書を使用せず、かつ高等学校学習指導要領に定められた当該科目の目標及び内容を逸脱した指導を行った。また、同年度における生徒の成績評価に関して、所定の考査を実施せず、一律の評価を行った。 これらの行為は、職務上の義務に違反し、職務を怠ったものである。」というのであって、根拠法規として、右はいずれも地方公務員法(以下「地公法」という。)二九条一項に当たるとしている。
 なお、これより先の同月一日、上告人は、内田校長を所属職員に対する指導監督を怠ったとして減給処分にし、同校長は翌二日退職した。
 二 原審が適法に確定した被上告人らの行為は、次のとおりである。
 1 被上告人半田について
 (1) 昭和四四年度に三年生の四つの組で各組週四時間担当した日本史については、まず、株式会社山川出版社発行の教科書「詳説日本史」及びその教師用指導参考書を通読しその他の参考書等をも利用して講義用ノートを作成して授業の準備をしたうえ、その授業においては、右教科書、九州各県の高等学校教諭による研究会の編集になる日本史資料集及び自己作成のプリントを教材とすることとした。右資料集は、日本史の史料そのものを掲載し、これに関して解説するというもので、教科書のように通史的記述とはなっていない。また、右プリントは、被上告人半田が教科書、教師用指導参考書その他の参考書を利用して作成したものである。そして、四月中旬ころまでに五、六時問かけて、特に教科書を用いることなく、歴史観及び時代区分について授業したが、その内容は、各種の時代区分論について話し、その中で唯物史観による時代区分についても話し、更に、唯物史観による時代区分論争の盛んなソヴイエト連邦、中国の成立以来の思想、政治、経済やいわゆる中ソ論争について話し、また、唯物史観階級闘争がないとされている社会主義社会になお存する階級闘争の話に及んだ。次いで、四月下旬ころから六月中旬ころまでは、前記の教科書及び資料集を用いて原始、古代について授業したが、六月中旬ころから七月上旬ころまでは、七、八時間かけて日本奴隷経済史と題する自己作成のプリントを用いて授業した。その後は、二学期に週二時間生徒による日本史に関するグループ研究の発表をさせたほか、前記の教科書、資料集及びプリントを用いてその後の通史等について授業したが教科書より資料集及びプリントを使うことのほうが多かった。以上の授業は、学年末において、通史的に江戸末期ころまでを終了したにとどまった。
 (二) 右(一)のとおり昭和四四年度に三年生の四つの組で担当した日本史の一学期の中間考査において、「社会主義社会における階級闘争について述べよ。」、「次の二題(テーマ)のうち一題を選び論述せよ。A スターリン思想とその批判、B 毛沢東思想とその批判」の各問題を出題し、考査の前にこれに応ずる授業を行った。
 (三) 右(一)の日本史の授業において、前記のように時代区分について話した際に、マルクス毛沢東に関する授業を行った。
 (四) 昭和四三年度に一年生の三つの組で各組週三時間又は四時間担当した地理Bの三学期の期末考査において、選択的出題の一部として、「資本主義社会と社会主義社会における階級とその闘争について」の問題を出題し、右考査の前にこれに応ずる授業を行った。
 (五) 昭和四四年度に一年生の一つの組で週二時間担当した地理Bの一学期の中間考査において、選択的出題の一部として、「社会主義社会における階級闘争」、「スターリン思想とその批判」、「毛沢東思想」の各問題を出題し、右考査の前にこれに応ずる授業を行った。
 2 被上告人山口について
 (一) 昭和四四年度に三年生の五つの組で各組週二時間又は三時間担当した政治経済の授業において、最初に一橋出版株式会社発行の教科書「政治経済」の目次によってその構成を説明したが、右教科書は内容が自分の考えと違うとして、その最初の数頁くらいを使用したのみで、その後は、九州各県の高等学校教諭による研究会の編集になる政治経済資料集を使用して主として政治、経済問題について授業し、時に国際関係等の時事問題について新聞の切抜を使用して授業した。
 (二) 昭和四四年度の二年生の三つの組の倫理社会を各組週二時間、三年生の五つの組の政治経済を右(一)のとおり担当したが、右各科目について、一学期には期末考査を実施せず、これに代えて三問中から一問を選択させてレポートを提出させ、提出した者は一律六〇点、提出しなかった者は一律五〇点と評価し、また、右二年生の倫理社会について三学期に考査を実施しなかった。
 三 以上の事実関係の下において、原審は、被上告人半田の前記二1(一)の日本史の授業における教科書使用状況は、それを使っての通史的授業が相当簡略になったものと認められるところから、学校教育法五一条、二一条に違反し、同(二)の日本史の考査問題の出題及びこれに応ずる授業並びに同(三)の日本史の授業は、高等学校学習指導要領(昭和三五年文部省告示第九四号。以下「本件学習指導要領」という。)第一章第二節第六款並びに第二章第二節第二款第三日本史目標及び内容に違反し、同(四)及び同(五)の各行為のうち地理Bの各考査問題の出題は、本件学習指導要領第一章第二節第六款並びに第二章第二節第二款第七地理B目標及び内容に違反し、いずれも地公法三二条に違反して同法二九条一項一、二号の懲戒事由に該当し、また、被上告人山口の前記二2(一)の政治経済の授業はほとんどが教科書でない前記資料集を使用して行われたものであるところから、このような教科書使用状況は学校教育法五一条、二一条に違反し、同(二)の考査不実施及び成績の一律評価は、学校教育法施行規則六五条一項、二七条、福岡県立高等学校学則八条、伝習館高校校内規定に違反し、いずれも地公法三二条に違反して同法二九条一項一、二号の懲戒事由に該当するが、本件各懲戒免職処分は、特に次の点について考慮すると、社会観念上著しく妥当を欠き、上告人の裁量権の範囲を逸脱したものというべきであると判断した。
 (一) 懲戒事由に該当する被上告人らの各行為の多くは、法規違反の程度が著しいものとはいえない。もっとも、被上告人山口の考査不実施及び成績の一律評価の点は、違反の程度としては高いものといえるが、注意を受けたのちの二学期以降一律評価はやめている。
 (二) 上告人が本件各懲戒免職処分の理由とした被上告人らの各行為のうち、懲戒事由に該当すると認められるものはその一部にすぎず、その余のものは懲戒事由に該当しない。
 (三) 当時の福岡県下の高等学校の生徒の政治活動及び伝習館高校の生徒の異常な行動を被上告人らが授業その他において助長したことを認めるに足る証拠はない。
 (四) しかしながら、原審の右判断のうち、被上告人らの右各行為が懲戒事由に該当するとした判断は是認することができるが、本件各懲戒免職処分は社会観念上著しく妥当を欠き、上告人の裁量権の範囲を逸脱したものであるとした判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 地方公務員につき地公法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、平素から庁内の事情に通暁し、職員の指揮監督の衝に当たる懲戒権者の裁量に任されているものというべきである。すなわち、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を総合的に考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを、その裁量的判断によって決定することができるものと解すべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会概念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱しこれを濫用したと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。右の見地から、原審の確定した事実関係の下において本件各懲戒免職処分が上告人の裁量権の範囲を逸脱したものというべきかどうかについて検討する。
 思うに、高等学校の教育は、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とするものではあるが、中学校の教育の基礎の上に立って、所定の修業年限の間にその目的を達成しなければならず(学校教育法四一条、四六条参照)、また、高等学校においても、教師が依然生徒に対し相当な影響力、支配力を有しており、生徒の側には、いまだ教師の教育内容を批判する十分な能力は備わっておらず、教師を選択する余地も大きくないのである。これらの点からして、国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。
 本件における前記事実関係によれば、懲戒事由に該当する被上告人らの前記各行為は、高等学校における教育活動の中で枢要な部分を占める日常の教科の授業、考査ないし生徒の成績評価に関して行われたものであるところ、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量を前提としてもなお、明らかにその範囲を逸脱して、日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定め等に明白に違反するものである。しかも、被上告人らの右各行為のうち、各教科書使用義務違反の点は、いずれも年間を通じて継続的に行われたものであって、特に被上告人山口の教科書不使用は、所定の教科害は内容が自分の考えと違うとの立場から使用しなかったものであること、被上告人半田の日本史の考査の出題及び授業、地理Bの考査の出題の点は、その内容自体からみて、当該各科目の目標及び内容からの逸脱が著しいとみられるものであること等をも考慮するときは、被上告人らの右各行為の法規違反の程度は決して軽いものではないというべきである。そして、懲戒事由に該当する被上告人らの各行為は、上告人が本件各懲戒免職処分の理由としたもののうちの主要なものである。
 更に、当時の伝習館高校の内外における前記のような背景の下で、同校の校内秩序が極端に乱れた状態にあったことは明らかであり、そのような状況の下において被上告人らが行った前記のような特異な教育活動が、同校の混乱した状態を助長するおそれの強いものであり、また、生徒の父兄に強い不安と不満を抱かせ、ひいては地域社会に衝撃を与えるようなものであったことは否定できないところであって、この意味における被上告人らの責任を軽視することはできない。そのほか、本件各懲戒免職処分の前約一年半の間に、被上告人半田は二回にわたってストライキ参加により戒告及び減給一月の各懲戒処分を受けまた、被上告人山口はストライキ参加により減給一月の懲戒処分を受けていることも、被上告人らの法秩序軽視の態度を示す事情として考慮されなければならないのである。
 以上によれば、上告人が、所管に属する福岡県下の県立高等学校等の教諭等職員の任免その他の人事に関する事務を管理執行する立場において、懲戒事由に該当する被上告人らの前記各行為の性質、態様、結果、影響等のほか、右各行為の前後における被上告人らの態度、懲戒処分歴等の諸事情を考慮のうえ決定した本件各懲戒免職処分を、社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したものと判断することはできない。これと異なる原審の判断は、ひっきょう、懲戒権者の裁量権に関する法令の解釈適用を誤ったものといわざるをえず、右の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は、その余の論旨について判断するまでもなく破棄を免れない。そこで、被上告人らの本訴請求について判断するに、被上告人らの右各行為は、地公法二九条一項一、二号の懲戒事由に該当するところ、原審の適法に確定した事実関係の下において、本件各懲戒免職処分に被上告人ら主張の手続的違法は認められず、また、それが懲戒権者の裁量権の範囲を逸脱したものということができないことは右に述べたとおりであるから、その取消しを求める被上告人らの本訴請求は理由がない。したがって、これと判断を異にする第一審判決を取り消し、被上告人らの請求をいずれも棄却することとする。
 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 大堀誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖)

最高裁(第一小法廷)平成 2年 1月18日判決