あなたの苦労はムダだった

もう少しぶっちゃけた調子で言えば、あのー、オレが半年もうんうん唸って病状を悪くしてまでやってきたあれは何だったんすか、比喩ではなくまじでゲロ吐きながら書いてたんですけど、ということなんですが、それでも「でもやるんだよ」で続けてきたのは、どうにも光明の見えないものでありながら、(・・・・)
伊藤剛のトカトントニズム■竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、疑惑の論文それ自体への言及 )
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20061124/1164315822

「オレが半年もうんうん唸って病状を悪くしてまでやってきたあれは何だった」のか?
答えは、はっきりしている。
ムダだったのだ。
九州大学の博士論文審査にとっても、サントリー学芸賞審査にとってもムダな苦労だったのだ。


本人からして「でもやるんだよ」と書いてるくらいだから、ムダと分かってた筈だが。

「オラ、朝から水も飲まねえで犬の世話してんだよ」
「あ、そうですか、大変ですね」
「そうだよ、もう毎日こうやって1日中動き回ってんだよ、大変な事だよ、犬を500頭世話するのは」
(・・・・・・・・)
「いいか、俺はね、毎日1日に2回エサやるけど、エサが終わると全部いちいちこうやって洗ってるんだよ、ぴかぴかに。でもわざわざこんなの洗剤使ってゴシゴシ擦る必要ないんだよ。水でちゃちゃちゃっとやりゃあ、それでいいんだよ。な、こんな事無駄な事だと思うだろう」
「え、いやまあ」
「そうだよ、無駄な事なんだよ」
で、次にドスの効いた大きな声で
「でもやるんだよ!」
 このひと言もこっちに云ったってよりは、てめえに云ったって感じかな。
根本敬「因果鉄道の旅」ワニの本 ISBN:4584181519

無駄とわかってやってるのなら、ムダなのだ。先に光明はない。「しおさいの里」のように。


(「マンガ研究」にとって意味ある行為なら事後的に証明されるだろうからうだうだ書かなくていい筈。「友人が選から漏れる 」「自分たちが評価しないものが選ばれる」。 よくあることだ。「賞」とはそのようなものだ。 悔しかったら、無視した相手を黙らせる程の成果をあげるしかない。博士論文審査にしてもそうだ。手塚治虫マンガに於ける「映画的」の定義付け探究やら、知っている「マンガ研究マニア」たちは知っているが博士論文の審査員たちはまるきり知らないか問題にしてない「マンガ表現論」の敷衍では無視されることがわかったのだ。違う研究方法を模索しながら、やり直せばいいだけのことだ。ムダがいやなら。)




註:「しおさいの里」は、捨て犬の保護施設。根本敬の記述を読む限り、尺度と価値観が歪んだ人々が運営とも言えない有り様で右往左往とうごめいていた合理的とは言えないようなムダな施設。

捨て犬 500頭をあつめて保護するしおさいの里なんて普通ならお涙頂戴的なハートウォーミングなエピソードになるはずなのに、根本敬というフィルターを通して伝わってくるのはしおさいの里というのは的外れな正義と尺度の狂った道徳観に支配されたこの世の果てみたいな場所だということだ。事実 1992年にしおさいの里には保健所が立ち入り検査が入っていたらしい。
http://music.cocolog-nifty.com/001/2004/12/nemototakashi.html

(付記:トラックバックを付けたら、上記サイトからやたらとアクセスが来た。「マンガ研究」が大量に押し寄せて来た気分で、妙に気持ち悪かったので一旦消した。文自体は気に入っているので再録した)