春を告げる男


気づけば、いろいろ臭い。
ジャンパーが臭い、ズボンが臭い、ヘルメットが臭い、息が臭い。
もう春なのかな?
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新聞屋で働いてた時、臭い男がいた。
その男、「オタニ」が来て次の週のことだったか? 朝刊配達の為に折り込み入れてたら、異様な臭い。新聞屋は学生も店員もロクに風呂に入ってないから、まずみんな自分の臭いを確認しはじめた。くんくんくんくん・・・。そして、「どうもちがうぞ」と。
なんの臭いに近いと言ったらいいのか。或る者は靴箱だと言い、或る者は「なんか死んでるじゃない?」と言い、或る者は下水だろうと言い、或る者は「またオウムか?」と言い(註:新聞屋の隣がオウム真理教が経営するラーメン屋『旨かろう安かろう亭』で、信者が住み込みで働いてて、しばしば祈りの声が響いたり、異臭がしたりしてた)、なんの臭いかわからなかったけど、要は獣臭。獣の体臭に獣の糞便が混じった臭い。
(新聞屋の客で、大型犬数匹と一緒に暮らしてる爺さんが居て、家中、犬の糞だらけだった。この爺さんの家が同じ臭いだった。この爺さん、犬糞の付いた紙幣で新聞代を寄越した。集金カバンに入れるわけにいかないから、指先でそのまま摘んでぶら下げて行って、速攻タバコ買って両替した思い出。リアルばば抜き。)
結局「オタニ」からの臭いだとわかったのはだいぶ経ってからだったなあ。店の上に住み込んでいた学生たちが、「オタニさんの部屋が臭いんすよ〜」って騒ぎ出して、ようやくわかった。
この「オタニ」、寒い間は臭わなかったけど、冬が終わる頃になると猛烈に臭い出した。「オタニが臭い出したなあ。春ももうすぐだねえ〜」と、みんなオタニの臭いで春の訪れを知ったもんだ。
オタニは、その後、沼袋店で賄いやってた子連れの女に金騙し盗られて(正確には、女はオタニから無利子無証文で数十万借りただけだけど。まあ、返す気はなかっただろう。『手も握らせないらしいぞ。騙されてんだよ』って沼袋の店員から聴いたもん)、新聞屋からの前借り踏み倒して夜逃げした。オタニが出てった後の部屋には、痔の薬と糞のこびりついた下着が散乱してたそうだ。肛門が悪かったかなんかだったのだろう。
「春告鳥」っていうけど、「春を告げる男」だった。