最後の映像メディア=パチンコ



ある種の「漫画」が帯びてた禍々しい気配を背負ってるメディアって、今やCRパチンコ機くらいだろう。
CRパチンコ機も、二十一世紀中頃から振り返るならば、特異な映像メディアとして注目されたりするのだろう。 賭博としては、しょぼくて単調で退屈きわまりないものだが、映像と音響のデッドエンドとしてみれば、ある意味凄いって言えば、凄い。映像や音響の「終わり」ってことも感じるし、同時に「ひょっとして『はじまり』ってのもこんなもんなのかもしれんなあ」とも思える。

ものすごく単調な反復の中で、かろうじてストーリーの残骸のようなものが残存し、しかし、それらのストーリーを映像が補完することもなく、映像は映像で、ダメダメなやっつけ仕事っぽい適当なアニメと実写のミックスが適当な塩梅で配分されながら、何が起こっているのか判別できない程の高速で切り替わり続け、余りの高速切り替えのためにそれら映像の低劣さは問題にならない。問題になる前に切り替わってしまっているから。同様に音調を欠いた安っぽい音楽を聴取不能な程の轟音大音量でもって耳元で間断なく鳴らし続けることで、「つまんねえ」とか「なにこれ?」とか言わせない。
ストーリーの残骸であり、映像のジャンクであり、音響の見切り品であるような「クズ」の集積でありながら、それらに何時間も何時間もへばりついて通い詰めてしまう程の中毒性を帯びるメディア。
これは、「なにかのものなんだ」と認識すべきだろう。

現況からそのまま未来を予想するならば、「エヴァンゲリオンってなんだったの?」「よくわからないけど、パチンコ機の原作になったものなんでしょ? 20世紀になんかあったんだろうけど・・・ あの頃のパチンコはマンガを原作にしてたことが多かったらしいから、マンガだったのかもしれないよね。」っていう知られ方になる可能性も高い。

文科省のお墨付きがついて今や国家公認公共投資垂れ流し口実利権ウハウハの格好のメディアとして注目を集め、「望月の欠けたることも・・」とばかりにメディアの藤原家然として隆盛を極めている「マンガ」も、繁栄の礎になってるのは下劣下賤の極みような粗製濫造低俗破廉恥な「劇画」ブームによる大衆動員だった訳だし。
ってことは、2030年代のパチンコ業界から、大友克洋丸尾末広なんかが出るかもしんないってことなんだろうな。

ヨコハマ映像なんとか祭CREAMだっけ? あれも、CRパチンコ機に注目するくらいの機転があれば、交通費往復1300円+入場料1300円=2600円使ってでも、行ってやるんだがねえ。平日入場者数50名とかって噂も聴いたが。映像を取り上げるにせよ、なんかの今日性を欠いてることの証左なんだろうな、あの場所でその入場者数っていうのは。

ともあれ、僕は、オリジナルなパチンコが作ってみたくてたまらない。現金差し込んで玉が出て来る形式の下世話な奴。