オタク的「中心」とおかん的「周縁」



わかりやすい三項図式。思いついてしまったから書いてしまおう。


1)
大ニッポン帝國時代からの一系たる「オタク文化」=ひきこもり化したマッチョ思考が、「中心」にあるとしよう。「中心」に地名を与えるなら、アキバだ。アキバを拠点とする彼らは、頗る優秀だ。おそらく、過去十五年の美術系、文芸系の優秀な連中は、すべてここにいる。
(註:「優秀」とは、「凡庸」ということでもある。「秀でた凡庸」が、優秀の謂だろう。官僚やらアニメ・スタッフやらが、「飛び抜けた天才」だったり「底抜けの愚鈍」だったりしたら、実務的な作業は望めない)


「中心」があるとするならば、そこからこぼれ落ちる「周縁」がある筈。
マッチョの対抗馬なら、フェミだろうか? しかし、フェミ系は、マッチョ化した女=「おっさんなおばさん」にしか思えない。彼女らのエートスは、立身出世なのだから、伝統的なニッポン男子の魂を引き継いでいる。男性社会の中で自らを男化しつつ、政治力を掌握したがる人々が、フェミ系だ。それに、彼女らは、オタク文化を擁護したがるし。したがって、彼女らは、「中心」の側に位置している。となると、フェミ系からこぼれ落ちた「女性」が、「周縁」文化を固めている筈だ。

2)
「おかん」。
最後の専業主婦層たち(もう老年層だろう)が、「中心」から遠く離れ、なおかつ立身出世をも眼中に置かない主体だ。地名としては、「東大阪」だろうか? 無論、アキバとは違い、東大阪に何かがある訳ではない。列島全土に広がる「東大阪」的な場所が、拠点であり、まさにその分散具合が、「周縁」の「周縁」たる由縁だ。
「おかん」的アートは、そのままに「おかんアート」として、日本中に散逸している。場所は、各家庭であり、各地方公民館あたりだろうか?
http://www.geocities.jp/loveokan/okanart/
杉田敦の言う「ヘナチョコ」は、「おかん」予備軍、いや「おかん」願望の若年層だろう。「ヘナチョコ」が生き延び、いつの日にか「おかん」たるためには、専業主婦として立て籠る「家計」が下部構造として必須だ。専業主婦を抱えるだけの家計が保てなければ、「ヘナチョコ」の延命はあり得ない。


「中心」→オタク(官僚、フェミ系を含む)→アキバ
「周縁」→おかん→東大阪


「中心」を脅かすものとしての「周縁」? いや、「周縁」は、「中心」を補完するためにのみ機能する。よって、「オタク文化」と「おかんアート」はワンセットだ。片方にエリート官僚、もう片方に創価学会婦人部を想像すれば、大体、あっているのではなかろうか? 今や、平和憲法護持のキーになっているのは、「憲法九条の会」やらなんやらではなく、圧倒的な集票力を誇る創価学会婦人部なのだから。
(註:個人的に創価学会に対してなんの希望も感じていない。ただ、次期会長が、婦人部から選出されるようだったら、ちょっと面白そうな気がしている。←調べたら、今月9日に新しい人にかわったばかりみたい。男性。残念。次代SGI会長が婦人部から出ることを期待すべきなのかも。まあないだろうけど。)
 これら「中心ー周縁」のワンセットが、ニッポン文化だ。小市民的な国益を代表する。国益の拡充を画策する一派(と、その追従)が一方にあり、自己保身と安寧を第一義とする多数(各家庭に一名づつ)がまわりに怯え集う。二者ひと組のカップルがあれば、それらをいくら押したり叩いたりしたところで、悲しい昇進と保身と脱力を誘うしがらみが得られるだけだろう。
つまらん。

3)
そして、第三項だ。希望は、いつでも二者択一の外にある。十五年にも及ぶ不況と不採用の中に野生化したフリーター/ニート層辺りに希望があるだろうか? 彼ら/彼女らが、野生化したルン・プロたり得ていれば、なんらかのオルタナティブに成り得る気はする。


気はするが、手応えがないことも告白しておこう。