非-愛国者よりの提言/ニッポン・ストーリー・マンガの起源

かつては女優が素晴らしかった日本映画の現在の女優についていえば、国際的な舞台での知名度が中国系の女優に較べてあまりにも低い。しかるべき女優を売りだそうとするプロデューサーもいませんし、エージェントもおらず、誰もがハリウッド、ハリウッドなどといっているにしては、女優たちの理想も低いし、潰しがきかない。だから、『SAYURI』(2005)のように、京都の舞妓さんを中国系の女優が独占することになってしてしまうのです。世の愛国者どもは、あれを見て、危機感をつのらせないのですかね。チャン・ツイー程度なら日本にもいるはずですし、あのコン・リーのイモねえちゃんだって年増芸者としてあそこまでできるのですから、何かやりかたがあるはずです。そうしないと、愛国者ではない私にはどうでもよいことですが、カンヌやヴェネチアなどの一流の国際映画祭の審査員は、中国系の女優に独占されてしまいます。元通産系の官僚どもは、やれアニメだ、やれコンテンツ産業だと馬鹿のひとつ覚えのようにいっていますが、ソフトパワーとしての日本の女優の国際的な露出度を考えなおすべきなのです。テレビでは、女優は絶対伸びません。だから、したたかなエージェントがひとりいて、長期戦略で売り出すという以外ない。『SAYURI』と『太陽』(2005)で国際的に健闘した桃井かおりをベルリンの審査員に売り込むぐらいのことを、経済産業省は本気で考えるべきなのです。

蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.1)
http://flowerwild.net/2006/11/2006-11-08_133443.php




竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源ISBN:4062583542「第28回サントリー学芸賞受賞」がなんか一部で反感を買っている様子。
竹内一郎って何者?」と思ったら、「人は見た目が9割」ISBN:4106101378? 「なんでそんな人が? しかも今更手塚?」という感想もないでもない。ないでもないが、「別にいいじゃん」と思う。
 確かに手塚は、「はじめてストーリーマンガを描いた人」ではないし、「はじめて映画的技法をマンガにとりいれた人」でもない。清水勳「漫画少年と赤本マンガ―戦後マンガの誕生」ISBN:4887081472、分かる。あの頃の漫画家は、みな「ストーリーマンガ」を描いていたのだし、メイン文化が映画だった時代に映画の技法を意識してなかったとも考えづらい。
が、だ。
「だからなんなんだ?」という話だ。
「近代日本文学は、漱石からはじまった」「中国文学は、魯迅からはじまる」「映画に於いて屋根を発見したのは、オーソン・ウェルズだ」等々・・・。どれもうそっぱちだが、どれもある意味正しいのだ。同様に、「ストーリーマンガは、手塚治虫からはじまった」と言い切って、構わないだろう。他は、漫画家足り得ていなかったというだけの話だから。

「研究」としてでなく、同時代の読み手として手塚治虫を読んで来た清水勳に、「なんで手塚だったんですか?」と訊いたら、「うーん、なんででしょうねえ。ともかく輝いていたんですよ」との答えが返って来たそうだ。
そういうことなんだと思う。
「戦後漫画」という括りでもって何かを語ろうとするならば、「手塚治虫」を「起源」として捏造するしかないのだ。彼が「作家」だったから。彼だけが「漫画家」だったから。
どうやら、竹内一郎の「起源」のつくり方は、あまりに粗雑な様子だ。「見た目が9割」を主張する筆者なのだそうだから、もうちょっとなんかだましの効いた論旨で行くべきだったかもしれない。少なくとも僕は読もうと思わないから。

読もうとは思わない本だが、

私には、マンガ研究家によるマンガ論が物足りなかった。マンガしか知らない人が多いのである。学際的教養が感じられない。加えて、マンガ制作の現場を知らない
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/storymanga.html

という主張には、まるきり同意。
結果的に、三浦雅士もこの主張に完全同意したってことだろう。「マンガ研究家はつまらないから無視。なにより教養と知性が感じられないから」と。「起源探しゲームは、好事家同士で勝手にやっててくださいよ」と。「あんたたちが、なにかやったって漫画をはじめる力はありませんよ」と。「とるにたりませんよ」と。「だめ、だめ」と。