マンガ研究は、学業として足りていない


いや、「マンガ研究は、学業として足りていない」というわかりやすさです。

なに、マンガ研究って、学業そのものとしてサントリー学芸賞だけじゃなくて、九州大学の博士論文審査からも、無視されてるの?
「学会」として、少し反省した方がいいんじゃない?

僕のマンガ研究への不満を言えば、それらを読んで、マンガへの欲望を駆り立てられる文章がないことだ。批評としてさえ足りていないような文は不用だ。なくてよろしい。
マンガ研究家たちには、「マンガは売れているんだから、誰でも読んでいる筈。誰でも読んでいる筈だから、それについて書いておけば、誰でも読む筈」という堕落した態度が染み付いている。が、その実、九州大学からもサントリー学芸賞からも完全に無視されている。
反省しろよ。


1)「誰もマンガなぞ読まない」
2)「ましてやマンガについて書いた論文なぞ相手にされるわけもない」
3)「故に、マンガを読んでいない連中にマンガを読ませ、マンガについて書いた論文を読ませなければならない」
という緊張感が皆無だ。
図像を引用して、適当なコメントをさしはさんでおけば、それで足りていると思い込んでいるのだろう。
読ませようというどす黒い欲動が足りない。
なにも呼び込まない。
その、マンガを探し出してでも読もうなんて思えない。
ましてや、あれら「研究」を読んでマンガを描いてやろうといきり立つ者がいる筈もない。

「マンガ研究」は、マンガのためではなく、「マンガ研究家」のためにある。マンガしか読まないで生活したい人が生活したいがために組織されている。マンガ研究家のためには、マンガ研究は必要なのだろうが、それ以外の人間には不用な学問となっている。
「マンガしか読まない連中の仲間内の寄せ書きだろ? 普通、読まねえよ、んなもん。退屈だから」。

マンガ関連で、読んで、その漫画を読みたくなる文章なんて、石子順造(ISBN:489289074X)くらいなんじゃない?
あと山口昌男(ISBN:4000013238)と。
そういえば、大泉実成「消えたマンガ家」(ISBN:410290056X)は、掻き立てられた。あれもルポライターの手になるもんだよなあ。絶版だし。


註:
石子順造「コミック論―石子順造著作集3」は、品切れとなっているが、版元に在庫がある可能性があります。2000年当時、「版元品切れ」となっていたのですが、世田谷太子堂・喇嘛舍へ行ったら、普通に店頭に並んでいました。現在は、神保町へ移転した模様。
http://jimbou.info/town/ab/ab0174.html