政治と芸術

「政治の美学化」「芸術の政治化」って辺りが、よくわかんなくなってる今日この頃。
なんかいろいろ観てて、そもそも「の」とか「化」って辺りが間違ってるのかもなあ、って気がしてくる。
ベンヤミンのテーゼの立て方がそもそも間違っている可能性。
「政治と芸術」。
そう考えるが真っ当だし、解決の糸口であるような気がしている21世紀。
「の」じゃなくて「と」。「化」はナシ。
「政治は政治だ、芸術は芸術だ。交わることもあるかもしれない。しかし、その時、政治が優位に立つか、芸術が優位に立つか、それは作家がコントロールできるものではない、芸術自らが選ぶ」って辺り。
嘗て、相米慎二が、「映画は生き物だからぁ〜」(「お引越し」のメイキングだったかな?)って言ってたっけ。「政治」はもちろん生き物だし、作家たちが完全にコントロールしているかに見える「美術」「芸術」も生き物の訳ですよ。
生き物である以上、自らが生き残る為には、どんな手段でも嵩じる。卑怯? 非人道的? 金のため? ドンと来い! 生き残ることだけが最終目的になるのが、生き物。
もちろん、世のため人のため芸術のため信仰のため侵攻のため正しいため...っていうのも生き残るために、とても有効な手段。ベンヤミンの著作は、そっちをフル活用して、生き残った訳だし。当然、著作物たちは、生き残るために、著作者ベンヤミンを惜しげもなく殺したんだけどね!


(頭にあるのは、沖縄の人がダゲレオタイプの人にイチャモンつけてたこと。そもそもイチャモンつける相手が間違ってるだろうと思うんだよ、って感覚。「沖縄の人」「ダゲレオタイプの人」って書いたのは、伏せ字にしたいからじゃなくって、酔っぱらってて名前が思い出せないから。なんてったっけ? 検索かけるのめんどくせえ。経堂「松ちゃん」でキンミヤ2杯飲んで朦朧状態。)


Walter Benjamin: Selected Writings, Volume 3: 1935-1938

Walter Benjamin: Selected Writings, Volume 3: 1935-1938