ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五章


ベンヤミン卒読「複製技術時代の芸術作品」レジュメ

五章
1)
語義)
ウェヌス:ヴィーナス:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bb/William-Adolphe_Bouguereau_%281825-1905%29_-_The_Birth_of_Venus_%281879%29.jpg

カトリック;←→プロテスタント
(神父さま、告解、アグネス・チャン麻生太郎上智大学
原文にはない表現。「中世の聖職者」の意訳。

ルネサンス
中世=暗黒時代観
従来の一般的な見方は次のようなものである。およそ1000年の間の純粋キリスト教支配のもと、西ヨーロッパ圏では古代ローマギリシャ文化の破壊が行われ、多様性を失うことにより、世界に貢献するような文化的展開をすることはできなかった。こうした見方はルネサンス以前の中世を停滞した時代、暗黒時代とみなすものであるが、現在では古典古代の復興はイタリア・ルネサンスより以前にも見られる現象であることが明らかにされている。
マラルメ


要約)
「芸術作品が唯一無二のものであることは、それが伝統の関連の中に埋め込まれていることにほかならない」

伝統は生き物で、変わり易い。

古代のウェヌス 
 →古代ギリシアカトリック教会下では意味が違う。

しかし、どちらにも共通する部分
=唯一無二であること
=「それはアウラだ」   ←なんだよ、アウラってよ?の論理展開ははない。

「礼拝」
(=芸術を伝統の中へ埋め込む根源的なしかた)

最古の芸術は儀式用に成立してる。
(僕の知るところ)←(わたしたちの知るところ)英訳:As we know 原文:wie wir wissen,
最初:魔術、ついで宗教的な儀式

(ところで。決定的に重要。)
アウラ的は儀式的機能と切っても切れない。

(いいかえると)
真正の芸術作品の価値は、つねに儀式のうちにその基礎を置く。

「美の礼拝」として今なお。

 「美の礼拝」
ルネサンスとともに成立後三百年を経てはじめての動揺に見舞われる

写真の出現とともに(1839年
社会主義の出現とともに(18世紀末)
芸術が危機の出現を感知

(百年後には誰の目にも明らかになる→1839+100=1939年現在)
「芸術のための芸術」という教義で反応。←芸術の一種の神学。→「純粋」芸術の理念→神学の裏返し。

マラルメとかね。



2)
要約)
芸術作品の技術的複製が可能になった
 →世界史上はじめて芸術作品を儀式への寄生から解放

例えば、
写真:技術的にいくらでも複製が可能→どの写真が真正かは意味がない問い
   →真正性の尺度が無力になれば、芸術の社会的機能も変化する。

どう変化するか?
「儀式」ではなく、「政治」を根拠にするものへ。



マラルメではなく、ブレヒトへ」っていうことか。



ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

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