ベンヤミン卒読「複製技術時代の芸術作品」レジュメ
第三章
1)
要約)
一回限りという特性が複製には欠けている。→「今、ここにある」が。
オリジナルのあった場所からはじめる。
(物質構造の変化でなく所有関係の変遷を追うぞ!)
2)
要約)
真正性は、複製技術を排除する。
↓
手製の複製については。
◎技術的複製については、そうではない。
①技術についての複製は手製の複製よりも明らかな自立性を持つ
ex. レンズ、高速度撮影、
②モバイル→方々へ持って行ける。(iPodとかを思い浮かべよ)
3)
要約)
ところで←(?いるか? 原文にはない)
(技術的複製による状況の変化は)
芸術作品の「今ここ」にあるという価値だけは低下させる。
↓
真正性(die Echtheit)が揺らぐ
↓
真正性とは?
↓
事物の権威≒事物に伝えられている重み
4)
語義)
アクチュアリティー:actuality:現実性、時局性。in actuality. actuality film
something that is real; fact.・the grim actualities of prison life.
要約)
権威≒事物に伝えられている重み。→アウラ
複製技術時代の芸術作品に於いて滅びゆくものは作品のアウラである。
↑
この影響は芸術分野にのみとどまらない
複製技術は複製されたものを伝統から切り離す。
↓
①大量生産することで。→作品の一回限りの出現の代わりに大量出現を
②アクチュアリティーを付与する
←大量出現によって、その都度の状況に応じた接近を可能にするから。
↓
この①②の過程で、伝統は激しく揺さぶられる。
↓
これは ❶人類の現在の危機 ❷新生と表裏をなす
↓
今日の大衆運動と密接に関連している。
↓
もっとも強力に代表するものが、映画だ。
↓
映画は伝統的価値を綺麗に清算。
例:アベル・ガンス曰く云々。
- 作者: ヴァルターベンヤミン,野村修
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第四章
1)
語義)
アーロイス・リーグル(Riegl, Alois 1858-1905)
アロイス・リーグル『美術様式論 装飾史の基本問題』(美術名著選書 11)、長広敏雄訳、岩崎美術社、1970年
フランツ・ヴィックホフ(Wickhoff, Franz 1853-1909)
推理:あらかじめ知られていることから筋道を追って新しい知識結論を導きだすこと。
想到:考えが及ぶこと、考えつくこと。
射程:力の及ぶ範囲。弾の届く範囲。
洞察:見通すこと。見抜くこと。
凋落:花が萎む、容色が衰える、落ちぶれる、衰えて死ぬ。
例:東京綜合写真専門学校の凋落ぶりは明らかだろう。
要約)
人間の知覚
人間の知覚のあり方
人間の知覚を生じさせるメディアは、
歴史の諸条件に制約されている。
(自然の諸条件だけでなく)
↑
時代毎にいろんな”知覚”がある。
例:
ローマ時代後期の話(ヴィーン学派のリーグルやヴィックホフが推理してる)
↑
不十分だけどね。
↓
知覚の変化の中に現れる社会的変動を示していないから。
現在では洞察への諸条件がずっと整っている。
知覚のメディアの変化に立ち会っている僕ら。
この変化を「アウラの凋落」として把握しよう。
↓
すると、この凋落の諸条件を示すことができる。
←序章の資本主義の崩壊を思い浮かべよ。
2)
語義)
縺れ合って:もつれあって
憩い:いこい:休息
事象:ことのなりゆき、様子、事柄
克服:努力して困難に打ち勝つこと
蔽い:「おおい」=遮蔽:隠すこと。遮蔽。
顕著:著しい、際立って目につく
要約)
そもそも「アウラ」とは何か?
↓
空間と時間から織りなされた不可思議な織物。
どれほど近くにではあれ、ある遠さが一回的に現れているもの。
↑
??????
アウラとは、私が作品に触れる「いま―ここ」という一回的な経験の場(=空間)に、この神話的な象徴世界(=時間)が現れる現象にほかならない。
↑
????????
↓
早い話がベンヤミンの言うアウラってのはよくわからない。わからないから学者たちがいろいろ論文を書いてる。しかし、多分どれも正しくない。
↓
山田説
よくわかんないんだから、正確に定義付けを決めちゃおうって方が無理なんでしょ。
↓
桂米朝の「大きい壷と小さい壷の話」
「オーラの泉」の「オーラ」。怪しげでうさんくさいもの。江原なんとかや美輪なんとかのいかにもインチキ臭い風貌を思い浮かべよ。あの手の怪しげな神秘性で押し付けられるものが、「オーラ」=アウラである、という程度の理解で十分な筈。
「信じないと言ったって仕方がない、実際そうなんだから。インチキだと言ったって仕方がない、実際見えるんだから」と押し付けられるから、そのようだと信じざるを得ないし、「視霊者の夢」で立証不能である以上反証も不能であり、ひたすら「あるからある」「みえるからみえる」の同語反復の中でいつのまにかあることにされてしまうもの。
そんなものに正確な定義を与えることに意味があるか?
↓
権威や伝統がかけてくる無言の圧力に謂いに過ぎない。
ともあれ、
その「アウラ」なるものは凋落している。←重要
↓
二つの事情に基づいて←どちらにも大衆の増大大衆運動の強力化が関係している。
↓
①事物を自分たちに〈より近づけること〉が熱烈な関心事。
②所与の事象の一回性を克服することが(複製品を持つことで克服すること)が熱烈な関心事。
→=あらゆる事態が持つ一回的なもの克服しようとする・・・=for overcoming each things uniqueness=Uberwindung des Einmalingen jeder Gegebenheit
↑
ってことは、アウラとは、「遠くにあって、一回的なもの」ってことか。
それが大衆の中でもまれて凋落している。
対象を
映像(=Bild, image, 像)で、
いや模造複製(=Abbild, facsimile(複写), 写像)で捉えようとする傾向は強まっている
↓
絵入り新聞やニュース映画が用意する複製でもって
↓
絵入り新聞ニュース映画は、像(=Bild 絵画彫刻の複製)とは異なる。=模造複製(=Abbild写像)ってこと。
↓
像:一回性と耐久性が結びつく←絵画彫刻の複製
写像(=複製):一回生と反復性が結びつく←イラストマガジンやニュース映画
↑
???????
対象から被いをはぎ取り
アウラを崩壊させる
↓
「世界に於ける平等なものへの感覚」(デンマークの作家イェデン1873―1950の言葉)
を大いに発達させた現代の知覚の特徴
↓
「この知覚は複製の手段として、一回限りのものから平等なものを奪い取る」(野村訳)
「複製という手段によって、一回的なものから同種なるものを獲得する」(久保哲司訳)
↑
it extract(抜粋する,引き出す,搾り取る) sameness even from what is unique.
dass sie es mittels der Reproduktion auch dem Einmalingen abgewinnt(賭け事で勝ち取る、巻き上げる、苦労して手に入れる、長所などを認める)
まあ、野村訳が間違いなんだろう。
☆【ここまでは、「写真小史」からの引用】
このこと(=映像に於いて起こっていること)は、
理論(=思考)に於いて、
統計の重要性の増大が同調している。
↓
現実を大衆にあわせ、大衆を現実にあわせていくことが、
思考にとっても
映像にとっても
限りなく重要な意味を持つ。
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