顔!



モフセン・マフマルバフが、「アフガニスタンには映像がない。女たちは顔すら持たない」と書いていた。

最近の日本のTVには、顔がない人間が多数映っている。
「肖像権」をめぐるトラブル防止と言った処置か?
これが気持ち悪くて仕方がない。
基本、日本人の肖像権は、ほぼ守られていない。ないに等しい。ビルというビルには監視カメラが取り付けられ、繁華街の街路にも監視カメラは点在し、いや、繁華街ではない住宅地でも猜疑心と被害者根性にかられた一軒家さまには、自宅前道路の映像を昼夜撮影しつづける監視カメラが設置されている。
肖像権侵害を言うなら、あれらが容認されていることがなぜ問題にならないのか?

にもかかわらず日本人には「顔」がない。
アフガニスタンには映像がなく顔がなかった。
日本では映像がインフレを起こし、その挙げ句に日本人の顔は消えかけている。


後藤元洋さんたちが「スナップショットの復活」ということを言ってるそうだ。
この場合の「スナップショット」というのは、通行人写真のことだろうか。通常の意味での「スナップ」は今も全盛だから。
通行人写真についてはあんなもん何が面白いのかさっぱりわからないので復活させることもないと思うのだが、妙な自粛の末に消滅しているというのは、気持ち悪いと言えば、気持ち悪いので、やりたきゃやりゃあいい。群衆スナップ撮影で訴追された写真家っていうのも聞いたことがないし。
通行人写真は、「ちびくろサンボ」みたいなものだ。ある時代のある人間には郷愁を誘うようなものではあるのだろうが、そうでない人間には単に醜悪で不快で存在意義も不明なものだ。
「通行人写真の復活」は、「ちびくろサンボ」の復活と似たようなものだ。「サンボ」なんぞ植民地主義時代の遺物の駄作にすぎないのだから、保護する必要はない。そして、「通行人写真」は速写が可能になったカメラと二十世紀という群衆の時代がかさなりあった時期の遺物にすぎないのだから、時代が過ぎ去れば、やはり後継者の保護育成の必要は全くにない。


「通行人写真」が復活したとして、勝手に撮影されたことに対する不快感の表明としては、法廷闘争というのは僕の趣味ではない。おすすめしない。経費がかかる上に時間もかかり、現代日本では裁判結果を守らなくてもばどうということもないものらしいし(例えばトヨタ自動車はまるで司法を無視しているが、だからといって上場廃止だとか罰金で会社が傾いたとか責任者が懲役刑だとか聞かない。トヨタでさえ守ってないんだ。いいんだろ、司法なぞ無視して)。なにより趣味ではないので、僕としては普通に「なぐりかかる」という超法規的手段を提唱したい。
なに断りもなく撮ってんだ?!という怒声とともに鈍器でなぐりつける。
これが一番だろう。
チッソ五井工場で集団リンチされたユージン・スミスや、コソボ紛争で標的のようにされて撃ち殺されたフォト・ジャーナリストたちを思い浮かべればわかるように、カメラマンたちは襲われて抵抗しない。浮浪者が殴られて抵抗しないのと同じか? なにかの疾しさがある人間は非抵抗なのだろう。故に、下校途中の女子高生やら勤務中の女子コンビニ店員やらを襲うよりも逮捕される可能性が低い上に、「義」も立つ。
「経済停滞」と「日雇い派遣の原則禁止を盛り込んだ労働者派遣法改正案廃案」が特徴的な今日、「無断で撮影されたらカメラマンに殴り掛かる」という行為は、愉しく有意義なアミューズメントとなることであろう。「顔は襲撃する」という公理を鈍感な写真家たちに教育する良い機会でもあるから、教育的事業だとも言えよう。
(実際、通行人写真が流行だった頃の写真家たちはよく殴られたらしい。土門拳や先にあげたユージン・スミスはそれが原因で身体障害を負っている)







アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

  • 作者: モフセンマフマルバフ,Mohsen Makhmalbaf,武井みゆき,渡部良子
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