ひねりすぎてこじれてこんがらがって


東横線沿線白楽大倉山近辺が舞台になってるアニメ「夏のあらし!」をYouTubeで観はじめて、結局全部みちゃった。最終話はYouTubeになかった。
ドラえもん」「がきデカ」「北斗の拳」「Dr.スランプ」、山口百恵フィンガー5ダウンタウンブギウギバンドに、井上陽水山本リンダ、チューリップ、ちあきなおみ藤圭子ピンクレディー・・・・・。 40代を狙ったアニメなのか? 主人公たちが勤める喫茶店「方舟」の客役で、小林まこと1、2の三四郎」の脇キャラ「岩清水」がいつも店にいたのも気になったし(「塩ください」と頼みつづけて毎回持って来てもらえない)。
複雑すぎてよくわかんない程に手がこんでる上に、なにより絵が上手い! にも関わらず、それを少しずらして使ってるようだ。敢えて「古い!」と感じさせるような図案(80年代70年代後半のレコードジャケットやら大正風のイラストやら)と低俗で大衆趣味な歌謡曲を多数参照させながら、時間の流れをぐしゃぐしゃにしつつ、物語が進行する。進行する? いや、ストーリーは、しつこく反復され、停滞する。
メインテーマとして、

どれだけ時が過ぎようと、夏の暑さは変らないものだ。
だから、この季節になると思い出す。
十三歳の夏
何も知らなかった少年の日々。
今でも僕の中でかわらずにあるものを。

というナレーションが繰り返される。舞台は二十一世紀初頭なのだろうから、語り部が位置する現在時は、二十一世紀中頃といったところか? その近未来から現在を懐古して、なおかつ「かわらずにあるもの」として話が始まり、その第一話のタイトルからして「プレイバック Part 2」なのだから、反復の中での停滞ということについては意図的なのだろう。
いや、このどヘタクソで悪声で下品で時代錯誤なオープニングの歌だけでも凄いと言えば凄い。ミュージシャンじゃない芸人さんかなんかに歌わせてるのかと思ったもん。


ポストモダンもここまでひねられるとこじれてわけがわかんなくなってて、妙な感動が来る。進化の袋小路に迷い込んでわけわかんなくなってこんがらがっちゃったアンモナイトとかを思ってしまう。


80年代末、高橋源一郎が「優雅で感傷的な日本野球」や「ペンギン村に陽は落ちて」等の小説でやろうとしていたのは、こういうことだったのだろう。実際、やりとげられてみると、ポスト・モダンっていうのは実にくだんない。加えて、年長者の知識(無益なうんちくにすぎない!)がなにかの権威になるのを助力する構造になってる。タテ社会向きで既得権益護持の態度なのだろう。


それにしても見てると見ちゃうけど、見終わると、「なにやってんだろ・・・」の徒労感が色濃い。
「バカの時代」「タテ社会」「ポスト・モダン」・・・。ひとつながりに見えて来る。バカでタテ社会依存な末期的ポスト・モダンの何が悪いかって言えば、なにより、こちらの覇気と意気地を吸い取るところだろう。







付記
面影ラッキーホール 「あたしだけにかけて」

なるほどね。