ピカソ、レーピン、チャップリン、北野武


グリーンバーグの「アヴァンギャルドとキッチュ」が気になる。

なにより「レーピン」の名前を出して、キッチュスターリニズムと繋がることを警戒せよ、と指嗾しているところ。
アヴァンギャルドピカソキッチュ=レーピンならば、その後の行く末を見る限り、スターリニズムに上手に迎合したのは、アヴァンギャルドピカソの方だろう。後年、フランス共産党に入党してるし、スターリンの肖像まで描いてる。
大衆迎合的という面でも明らかに、「ゲルニカ」なんていう俗情を煽るためだけに描かれたような戦争絵画をでっちあげてるピカソの方だろう。

実証的に、レーピンがスターリニズムに加担するのは年齢的にも無理だった。1917年十月革命の時には既に73歳! 1907年美術アカデミー教授を辞し、1913年69歳の時には生涯の回想記「遠きこと、近きこと」を書いてるのだから、レーピン本人としてもそれ以降は「晩年」と考えていたに違いない。そして1930年には86歳で死んでいる。でもスターリン憲法が制定されのって、1936年だよ? いくらなんでも死後の政治体勢に加担するなんて、誰にも不可能だ。グリーンバーグの文章は、1939年の辺境の地アメリカで書かれたものなのだし、グリーンバーグは、マッカーシズムの国の美術評論家なのだから、反共=反ソ=ロシア人は全部共産党の悪魔って決めつけてかかってそのぐらいのスジの通らないでっち上げはするだろう、とか決めて付けてしまってもいい。しかし、グリーンバーグの執筆経緯がどうだったのであろうとも、事実上、ボルシェビズムの恐さを身にしみえて知っていて、ソ連への帰還を拒否し、異国に客死したのはレーピンの方だったのだ。無論、ソ連成立時、既に老齢であったが故というのもそうだろう。1926年にソ連の慰問美術使節団が当時フィンランド領だったクオッカラを訪問し、ロシアへの帰還を勧めた時にはレーピン82歳だ(「レーピン-19世紀ロシアの画家」 参照)。ピカソと違って生涯戦争画を描くことのなかったナロードニキかぶれが、帰国しなかったのは、家族らのことを思えば、妥当な判断だと思う。
いずれにせよ、一国社会主義体制(スターリニズム)と親和性を示したのは、アヴァンギャルドピカソであったことは間違いない。



加えて、21世紀から翻って見渡してみれば、「俗物」に徹して俗情との結託を謀りつづけたのもまた、アヴァンギャルドピカソだ。
コメディアン/映画監督である北野武は、「誰でもピカソ」というTV番組の司会をしつづけている。「アヴァンギャルド」は誰でもできるんだとはっきり謳って、視聴者の参加を呼びかけていた。
さらに、「誰でもピカソ」が美術番組であった当時のVOCA展なりなんなりを思い浮かべるならば、アカデミズムもピカソグリーンバーグ的な「アヴァンギャルド」で覆いつくされていた。未だにその流行りの残滓はある。絵だか壁の目塗りの見本だかわかんないものが画廊の壁にかかっていたら、それがそれだ。絵より壁の方が多彩な細部に溢れていたりする。アカデミズムは左官業の育成に尽力してる様子だった。若しくは塗装業者育成? どちらにせよ内装業だ。そういえば、2000年代前半には内装業が好況だった様子だが、なんか関係があったのかもしれない。
グリーンバーグが言うように「アカデミズムはキッチュである」ならば、ここでも「アカデミズムはグリーンバーグピカソアヴァンギャルドである」というという状況を踏まえると「アカデミズムはアバンギャルドであり、同時にキッチュである」という妙チクリンな捻れを起こしていて、うんざりする。図式の二項対立がねじれてこんがらがっていて、二項にもなんにもなりゃあしない。いいかげんにしてくれ。責任者、でてこ〜い!

さて、このことの真相は、「実はキッチュに過ぎなかったアヴァンギャルド風のものが真なるアヴァンギャルドとして浸透するうちにすべてがキッチュに染まった」ということか、もしくは「アヴァンギャルドなるものもキッチュの亜流にすぎなかったことが、20世紀末に至って露呈した」ということか、はたまた「アヴァンギャルドも50年以上もやってれば、キッチュになっちまうやねえ」ということか。


しかし、ではレーピン的な「キッチュ」は?
未だに正確な写実を絵筆なり鉛筆なりボールペンなりでおこなうのは、「誰でも」とはいかない。webの広告を覆うイラストレーションは、Adobeイラストレーターを多用した晩年のピカソめいた素朴絵画ばかりだ。これまた「誰でも」Adobe社発売のアプリケーションを使えば、気楽に描けてしまう。「web写真家」も誰でもなれる物だが、「web画家」も実に簡単になれる。けれども、SHOHEI的な写実的細密描写をしようと思うとそうはいかない。あれはできるものではない。それ故に、ほぼ同傾向のものも見かけない。21世紀的にもレーピン的キッチュは、大衆がおいそれとできるものではないし、魅了されつつも手にできるものでもない。


グリーンバーグ、ば〜か!」という結論で終っておいてもよいし、「アヴァンギャルドキッチュは逆転したのだ!」とかいうわかりやすい結論で終ってもいいののだが、その割には気になり過ぎる。「アヴァンギャルドキッチュ化した! すべてはキッチュ化した! 前衛は消滅した!」っていうのも、ポスト・モダンっぽい安直さで気に入らない。


と、いったあたりで気になりつづけているのだが、本当のところは、アヴァンギャルドピカソと対抗していたのは、チャップリンという「芸術上の政治家」だったのだ、というベンヤミンの図式(ISBN:4794912668)だけ思い浮かべてれば、十分なのだろうが。そして、チャップリンになろうとしてなれなかったのが、30年代以後のピカソだった、と。

ならば、北野武が「誰でもピカソ」などと広報しつづけていることも説明がつくか。
ピカソくらいなら誰でもできる。チャップリン北野武(=ビートたけし)にはなれないだろうが」と。
劇場から登場して、映画へとむかったチャップリン
劇場から登場して、TV→映画へとむかったビートたけし北野武


どれも20世紀という映像の世紀の出来事だった訳だが。



Clement Greenberg "AVANT-GARDE AND KITSCH"1939
:このサイトの中に出てるレーピンの絵は、「battle scene」を描いたもんじゃないからね。手紙を書いているところです。見ればわかるとは思うけど。日本語訳には後年グリーンバーグが書き足した註がついていて、この時思い浮かべていた絵はどうやらレーピンのもんじゃなかったって書いてあった。なら誰の何だったんだよ? )
Walter Benjamin "Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit" 1939
Walter Benjamin "The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction"1936



毎度のことながら、気になる。
グリーンバーグの原文、ベンヤミンの原文、ベンヤミンの英訳は、web上にある。グリーンバーグの邦訳、ベンヤミンの邦訳は、ない
人文系の出版社が弊害になってきているのか、単に研究者たちが印税に焦がれているのか、半端に人文書がベストセラーになっていたニューアカブームの夢が抜けないのか。カントの文章まで「青空文庫」にしかないなんて貧しすぎる。天野貞祐訳「純粋理性批判」くらい獨協大アーカイブ作ってくれてもよさそうなもんだが。日本共産党マルクスアーカイブを持ってないっていうのも気になる。