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最近、気になる映画。
ジャン=ピエール・メルヴィルの「マンハッタンの二人の男」とチャップリンの「独裁者」。
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共通項は、主人公たちが「政治活動」にまきこまれること。
「政治的正しさ」について劇中で演説があること。
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政治的プロパガンダを含んだセッキョウ映画だと括ってしまえば、その通りなのだが、なにか違う。違和感がある。早い話が、メルヴィルやらチャップリンやらにセッキョウされる覚えはない、という感覚。
どちらの映画も監督本人が出演しているが、もうもうどっからみても本気の女ったらしのヤサオトコなのだ。女優が出て来たら、もう大変。頬が緩んじゃって、我慢できなくなっちゃって、ついつい手が伸びて、抱きかかえちゃって、キスしちゃう。いや、演技やら演出やらに見えない。焼き魚を前に出された猫みたいな感じで色めきだってとびついてる。「あ、そ〜・・・」と苦笑しつつ、微笑ましくもある。なにせ、二人とも洒脱な男前だから。
そんな連中が作った映画の中で唐突とも思える程に、「政治的に正しいこと」が語られる。
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これに加えて、イタリア映画の監督デ・シーカの存在も気になる。
デ・シーカと言えば、ネオ・レオリズモの巨匠で「自転車泥棒」とか「屋根」とか撮ってる人なんだから、左翼系の堅物なんだろうと思っていたが、どうも違うらしい。テーラー・ケイドの山本さんは、「ヨーロッパの代表的な洒落者ですよ」と紹介してくれた。エレガントな洒落者男優としての方が人口に膾炙している様子。対するアメリカの洒落者は、クラーク・ゲーブルということだから、「イタリアの女たらし」ということだろう。僕なんぞよりよっぽど映画にぞっこんな山本さんがそう言うのだから、そうなのだと思う。
彼の映画監督作品と合わせて考えるならば、「ネオ・レオリズムとは、イタリアのナンパ志向の具現であった」ということになる。
ふむ。
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もうひとり。
宮崎駿。
東映動画争議にかかわった前歴から左翼的なもの言いが多そうな彼だが、映画では、ほぼ「政治的正しさ」について語ろうとしない。「ほぼ」ではなく「完全にない」かもしれない。寧ろ、なんにも考えてないアホな男たちを好んで描く。アホだけど、生真面目な男たち。彼らの行動動機は大概が、「おんなのこだぁ〜! でへへへへ。おっかけちゃえ〜」に集約されるだろう(ま、もちろん大変に生真面目でジェントルなんだよ。現実のスケコシ氏たちがそうであるように)。あまり美男はいないし、オイルだらけになって機械いじりしてるのが好きなようなタイプが多い。
しかし、「ハウルの動く城」のハウルは違った。グルーミングに命がけ、染め毛を間違っただけで、テンパって、絶望して、なにもかもやになって、ひきこもっちゃうような優男くんだ。そして、宮崎映画の中で彼だけが例外的に「政治的正しさ」のために反政府活動に明け暮れている。
ふむ。
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どうにもこれらがつながって見えて来てしまう。
すなわち、「政治的に正しい」ということは、限りなく軟弱な行為であり、革靴を磨き立て髪の毛をなでつけ身代叩いてスーツを作るような行為であり、もうただただ素敵な女の人の腰に手をまわしてキスしたいがためにジェントルであるような行為であるのではないか、と。。
ナンパの手口? あるいはそうかもしれない。あるいはそうかもしれないが、過程やら動機やらがなんであれ、結果オーライなのが、「政治的に正しいこと」のすべてなのではないだろうか? だとすれば、政治的な正しさを追求したいならば、まずサラ金で借金してでも上等なスーツを仕立てることからはじまる筈。
この時、間違ってもブランドにダマされて吊るしを買ったりしてはいけない。ビスポークでなければならない。必死の求愛活動がそうであるように、個別の身体への繊細極まる配慮こそが「政治的正しさ」のすべてなのだから。
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90年代、世界的にPCが流行りだった頃のPCアートの色気のなさと、汚らしさと、粗雑さ! あれらはすべて「政治的正しさ」を求める気がなかったことの証左だったような気がしている。
翻って、それらPCブームからさえ隔絶していた日本で真っ当に政治的に正しくあろうとしてとうとう政治家に転身してしまったのは、「クリスタル」で「ペログリ」な田中康夫だった。
メルヴィルとチャップリンとデ・シーカと(宮崎駿の代わりに)ハウルと田中康夫を並べるとPCということがどううことなのかが可視化されるような気がする。
さらに、最近の田中康夫を思い浮かべるならば、上に述べたことはかなり当たっているような気がする。おまえに言われる筋合いはないと言われそうだが、いくらなんでもアレすぎて、醜くなってしまっている。女子大生受けが離れる程に太ってしまったことが即、政治的正しさを失うことであり、その結果が、知事職を失脚したという結論はありそうだ。すなわち、もう一度、デ・シーカばりの容姿を手に入れなければ、田中康夫に「政治的な正しさ」は返って来ないということだ。
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フェミ系はしらん。個人的には色気のない女が好きなので。
しかし、「色気のなさ」「男たちへの媚びを棄てる」ことを信条に掲げていたかに見えたウーマン・リブ運動が、(田中美津曰く)実は真っ当な政治的女性運動ではなく、ギャル系跳ね上がりにも似た不埒な奔放だったということは、かなり関係がありそうな気がする。性愛対象からの承認を顧みない運動は、政治的な正しさを狙ったものではない、という結論。
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