二十九名中十二名処刑



連合赤軍関連の資料を書き写してみた。

〈山岳ベースリンチ殺人事件〉
 本件は総括の名のもとに、森と被告人永田に率いられ、山岳ベースに結集してきた連合赤軍構成員二十九中実に十二名の同志をわずか二ヶ月足らずの間に、次々と処刑にかけて殺害した特異な事件である。

(『毎日新聞』八二・六・一九による)

連合赤軍事件に関する特別報告―共産主義者同盟赤軍派中央委員会


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 加藤同志に対しては、パクられたとき権力と雑談した。尾崎同志には「総括」されているが、加藤同志をなぐったとき口走った言葉が問題だ。小嶋和子同志に対しては加藤同志に接吻されたことを報告するときにうれしそうなそぶりをした、等々の理由で、まず自己の小ブル性の総括を要求し、次に全員でなぐり、ロープでしばり死亡させていくのである。
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 ◎進藤同志に対して 彼が横浜寿町で活動していたことをとりあげルンプロ的個人主義的であると批判し、暴行を加える過程で死亡。(赤軍派最初の処罰)
 ◎遠山同志に対して 彼女は女性であることに甘えていて兵士の自覚が足りないと批判され、暴力を加えられ、七二年一月七日死亡。
 ◎行方同志に対して 1)いつも第二線にいる、2)女性関係がルーズ等の理由で七二年一月三日から九日にかけて暴力的に批判され死亡。
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 ◎寺岡恒一同志に対して 彼は野心家であり、女性を蔑視している、という理由で中央委員でありながらそのような小ブル性の責任は大きいとして、一月七日森によって死刑宣告され、殺害される。
 ◎山崎順同志に対して 優等生的である。女性関係がルーズであると総括を要求。(一・一八)(一九日某同志が戦線離脱=いわゆる「脱走」) その時、彼が「六名を殺した。自分も殺される。」といった事を把え、総括ー共産主義化の意義が他の殺害された同志に比べて全然わかっていない。だから脱走して敵権力に通報する可能性がある、とし、彼も死刑宣告され殺害。
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 ◎金子みちよ同志に対して 妊娠中であるにもかかわらず兵士として山岳ベースに結集した彼女に対して「妊娠をたてにとって甘えている」と総括を要求し、その過程で暴力を加えられ、死亡寸前になっている彼女の胎内から子供を取り出す事まで検討するが、二月四日死亡。
 ◎大槻節子同志に対して 1)戦術上は右翼日和見主義 2)服装等趣味がブルジュア的として総括を迫るが、終始反抗的な中で死亡、一月三〇日。(・・・・・・・・・)
 ◎山本順一同志に対して 彼は始めて総括ー同志殺しが誤りである事を政治主張として述べる(一・二二〜二六)。指導部は、殊ここ至っても自己の誤りを認めず、逆エビにしばり総括を要求。一月三十日死亡。
 ◎山田孝同志に対して 一月三十一日に実戦能力がない、理論主義的、官僚主義的として総括を要求。→二・二中央委員辞任。二・一二死亡。
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(「臨時総会報告集」)

(1973)



【年表】

71年
11月・この月、中央軍は山梨新倉ベースを設置、集中軍司訓練を行った。革左は群馬榛名山ベースの建設を開始。
12月
 3日 赤軍、革左人民革命軍、新倉ベースで共同軍事訓練(7日まで)
 16日 両派指導部、共同軍事訓練と討論の準備のため榛名山ベースに結集
 20日 両派指導部、新党結成を確認

・この月末から二月に、連赤新党内の党内闘争の過程で大槻節子、尾崎充男、金子みちよ、加藤能敬、小嶋和子、進藤隆三郎、寺岡恒一、遠山美枝子、行方正時、山崎順、山田孝、山本順一の十二名は新党指導部によって「粛清」された。

72年
1月
 20日 連合赤軍沼田市迦葉山ベースへ移動
2月
 7日 [榛名山ベース跡、官憲に発見さる]
 8日 連合赤軍妙義山ベースへ移動
 16日 [奥沢修一、杉崎みさ子、妙義湖畔で逮捕]
 17日 [森恒夫永田洋子妙義山ベース附近で逮捕]
19日[植垣康博,青砥幹夫,寺林真喜江,伊藤和子,軽井沢駅で逮捕]
 19日 連合赤軍、軽井沢あさま山荘銃撃戦28日まで抗戦

「新編『赤軍』ドキュメント」新泉社 ISBN:4787786180 より