私は死なない



「桜の園」に出した写真。

日吉の元教え子たちの反応は、みんな同じ。見るなり、「ガッハッハ・・」と笑ってました。うけると嬉しいものです。



作りながら、思い浮かべてたのは、エリアス・カネッティの言葉です。
カネッティは、権力と不死を二重写しに考えていて、死なないものが悪者なのだ、悪者は死なない、だから翻って、悪者に抵抗するためにも死なないことだ、だから私は死なない、200歳まで生きる、と発言していました。カネッティ、八十歳過ぎの発言でした。当時二十歳そこそこだった僕は大層感動したことをよく覚えています。(ま、結局、カネッティは89歳で死んだのですが)


猫は、2010年秋に、東京綜合写真専門学校近所のマンションの駐車場で見つけたもの。車に轢かれて首の骨折って死んでました。この頃は東京綜合写真専門学校で教えていて、講義を終えて帰る途中に偶然見つけてそのまま三脚立てて4×5で撮影。
犬は、1999年冬、職安通沿いの大久保「ドンキホーテ」(新宿区大久保1-12)の脇で撮影しました。あの当時大久保1丁目界隈で働いてた人なら誰もが知っている犬です。しょっちゅうあの辺で見かけました。派手なアロハシャツ来た爺さんがリード無しで散歩させてました。腹にぶら下がっているのは、なんだったんだろう? 僕は脱腸かなんかだと思ってます。その頃もう高齢犬だったからもう死んでいるでしょう。
カエルの白骨屍体は、1995年梅雨の頃に阿佐ヶ谷で撮影したものです。雨の日の未明、阿佐ヶ谷南1-27の本間アパートBの階段の下で。読売新聞阿佐ヶ谷販売所で”専業”をしていた頃で、朝刊配達途中に撮りました。
そんな訳でも、ここに写っている動物たちは、どれももう死んでいます。生きてはいません。だから、「私は死なない」は、動物たちの科白ではあり得ません。(それ以前に、猫も犬もカエルも喋りませんが!)
死んでいった動物たちを見下ろしながら、誰かが、「私は死なない」「私だけは死なない」と呟いているのです。
呟いているのは誰でしょう? 資本主義? 国家? 放射能? 神? いろいろ呼ばれていますが、絶対に死なない不死のものが、「なんだ、おまえたちは死ぬのか? 憐れなものだ。私は死なないがな」と呟いているのです。
そして、それら、絶対的な「不死のもの」に対抗するには、やはりカネッティ並の決意を持って「私は死なない」ことなのでしょう。


そんな訳で、僕も死なないことにしました。
日本国より、資本主義より、放射能より長生きします。




群衆と権力〈上〉 (叢書・ウニベルシタス)

群衆と権力〈上〉 (叢書・ウニベルシタス)

群衆と権力〈下〉 (叢書・ウニベルシタス)

群衆と権力〈下〉 (叢書・ウニベルシタス)