四ツ足の動物が空へと翔け上がっていく助走の姿だ!


何かを脱構築するためには、まずそれを本気で信じなければならない。


 スターリニズムの挑戦は、資本主義への唯一の挑戦であった。
 勿論、他にも多々の挑戦はあったのだろうし、勿論、スターリン逝去後の方がソ連邦も上手くまわっていたことも重々承知の上で、「スターリニズムだけが資本主義への挑戦であった」と言いたい気分がある。
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 「資本主義」は、「主義」やら「ism」やらとは異なる。スターリニズムマルクス主義と対等にあるようなな思想信条ではない。寧ろ、マルクスらは、そのことをよくよく知り抜いた上で、「いや、資本主義も信条の一種にすぎない。自明視したってはじまらない。」と言い切っていたのだろうが。
 日本で、「反-白米主義」やら「反-靴脱ぎ主義」やら「反-畳主義」やら「反-箸主義」を掲げることは可能だろう。しかし、「反-白米主義」は、「主義」だろうが、「白米主義」は、「主義」とは異なる「史的なシステム」だ。
 同様に、「スターリン主義」は、「反-資本主義」という「主義」であった。だが、「スターリン主義」が相手にしようとした「資本主義」は、「主義」ではないような「史的システム」であった。
 ソ連崩壊後、ロシアは混乱を経て、上手く経済が廻り出したように言われ始めた。だが、それがなんだ? だからどうした?! 「史的システム」への挑戦を止めたという惨めな敗北があるだけではないのか?!
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 「反-重力主義」の系譜があるような気がする。
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 「重力」という「主義」から解放されよう!
 四つ足から立ち上がり、二足歩行をはじめたのが、人間だった訳だが、なぜその段階で進化を止める必要がある?
 四肢を地面に釘付け、「すんません」とばかりに頭をすりつけて這いつくばった四足歩行のサルが、全力疾走の最中に、前足を地面から引き離し、前のめりに頭から地面に突っ込もうとする寸前、前足をついて身体を庇おうとする直前、さらにもう一歩、さらに後足を強く踏み込み、「グン!」と土を蹴り上げ、反動で背筋を伸ばし、頭をもたげ、目線を上方へあげ、後足だけで駆け続けることを体得したが故にそのサルは進化を遂げて「人間」となった。
 ならば、次の進化の段階では、目線をさらに上空へ向け、さらに地面を強く蹴り、大地と離別し、天空へと翔けのぼるべきではないのか?!
 なぜ、二足歩行に安泰し、着地にこだわり、大地にへばりついて生きようとするのだ?
 二足歩行なぞ、飛翔へむけての助走にすぎない。 
 大地は、蹴飛ばすためにある!
 跳べ!
 離陸せよ! 
 余りにも重い「重力主義」の軛を裁ち切れ!
 飛べ!
 天空へと!
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 この「反-重力主義」は、「飛行」の普及と共に声高に唱えられることはなくなった。だが、「飛行」が常態化する以前は「主義」であったのだ。「大空への挑戦」とロマンチックに語られるサクセスストーリーは、「重力への反逆」という暑苦しい「主義」としてはじまったにちがいない。
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 さて、「資本主義」=「二足歩行」への挑戦が嘲笑されるようになって、だいぶ久しい。そろそろ20年だろうか? 「挑戦をやめた方が上手く歩ける」と口走ってはちゃらちゃらしているおバカどもの怠慢な悟り顔は、毎度のことながら、癇に触る。「うるせえ! 黙れ! バカ! おまえら、座り込んでいるだけで何が偉いんだ?」と、アホどもを怒鳴りつけ、四つ足の状態から前のめりに地面を蹴り、上空へと翔け上がるためにのみ大地を蹴りつける訓練をしつづけたい思いがある。
 スターリン! スターリニストたち! 
「てめえら、何を歩いてるんだ?! この重力主義者どもが! なぜ空中へ翔け上がろうとしない?! さあ、地べたを蹴って、飛べ!」と堂々怒鳴りつけることができた人々。
 やはり、ある種の憧憬をかけたてられる。