この男一人が淋しげな風体で立っている


そこがスターリンのスタイルと違うところなんだということなどが鎖を引くように安吉の頭に重なって出てきた。
 一瞬のあいだに、村山のくれた "Die Kommunistische Internationale" のなかの一枚の写真からスターリンを見つけ出したときのことが安吉の頭をよぎった。安吉には全く珍しい写真だった。大きな木造階段の前に、コミンテルンだかロシヤ共産党だかの人間が三十人ほど並んでいる。背の高いゴーリキーがしかめ眉で立っている。その隣りに低いレーニンが立っている。うしろの方に、長い縮れ髪をばさばさにしたジノヴィエフが立っている。笑顔のブハーリンが顔を覗けている。しかし安吉に、前列むかって右端に、台湾パナマのようなのをかぶって、白いルパーシカをきた、日に焼けて黒くなったような黒い顔の痩せた男の姿が見えた。旧式のひげをたてて、カバンのようなものをかかえている。ジノヴィエフなどが、いかにも大物らしい風体で写っているなかで、この男一人が淋しげな風体で立っている。スターリンだ!」とそう思って安吉は欄外説明文を読んだ。まんなかがレーニンだとしてある。隣りがゴーリキーだとしてある。説明はそれで終っていた。スターリンは、世界的にはまだ有名ではなかったのだろうか。それがスターリンだという証拠はどこにもなかった。ただ安吉は、それがスターリン以外の誰かだとは思わなかった。安吉はスターリンのスタイルに結びつけてそれを思った。代数の証明のようにして伸びて行く文章。ほんとうの新しいスタイル。農業的芸術的なレーニンのスタイルにくらべて、近代工業的電気溶接的なスターリンのスタイル。

中野重治「むらぎも」1954)ISBN:4061960458