頼母子講


英姫は頼母子講の親をやることで資金を調達しようと考えた。長年つちかってきた信用と人間関係を最大限に活用して人を集め、いくつかの頼母子講の親になるのだ。小さな頼母子講から大きな頼母子講までいくつかに区分して、広く金を集める方法をとった。たとえば、一口十円の頼母子講に二十人が参加すると二百円になる。この小口の頼母子講は健全性をアピールするためのいわば見せかけの頼母子講である。そして段階的に一口二百円、三百円の大きな頼母子講を構成していくのだ。頼母子講は集まった金を最初に親が無利子で使うことができる。それが頼母子講の親に与えられた特権だった。そのかわり店子に不祥事が発生した場合は親が肩替わりしなければならない。したがって一つ間違えば全体が崩壊する危険性があった。いかにして不祥事を防ぐかが親の手腕であった。だが、もっとも危険なのは英姫自身である。幾つもの頼母子講をやりくりして無から有を創りだす手品のような資金調達は一瞬にして崩壊する可能性があり、多くの人間に甚大な損失を与えることになる。(・・・・・・・・・・)
 頼母子講は戦前から多くの在日朝鮮人の間で相互扶助のシステムとして活用されていた。そのため在日朝鮮人の間で頼母子講は抵抗なく普及していた。戦後、家を焼け出されたりして離散していたために頼母子講は一時的に中断されていたが、敗戦の翌年から復活のきざしをみせていた。
梁石日血と骨」1998)