「ゾンビの死滅」と「はじまりのはじまり」

 英会話の授業で「どんな写真を撮っているのだ?」と聴かれ、咄嗟に「まあ一言で言えば、awfulな写真を撮ってる」と答えた。咄嗟に出たawfulという単語からの連想で、living deadということが思い浮かび、「ゾンビとしての写真を扱っているからこそ、最悪な写真を撮ろうとしているのだ」と続けた。
 何度も書いていることだが、繰り返す。写真は二十世紀的なものだ。故に二十世紀と共に終わって然るべきものだ。しかし、終わっていることを知らないが故に存続しているものでもある。living deadであり、ゾンビだ。死んでいることを忘却しているが故に生き続けているぼろぼろの反-生命体だ。
 ゾンビの最期はどうなるか? これは、ゾンビ映画を参照すればわかる。映画の本篇ではなく、実際の「ゾンビ映画」という商品が辿った足跡が答えている。すなわち、何度も何度も何度も文字通りに飽きられるまで単純再生産され、単純再生産され行くうちに反-生命体のおどろおどろしさが消え、やがてはパロディックなお笑いの対象となって行き、忘れ去られる。写真から迫真性が消え、お笑いの対象になったのは、もうだいぶ前の話だ。最近はそのお笑い性を単純再生産(端的には「まね」「ぱくり」ということだ)したものが堂々まかり通っている。とすれば、そろそろ「忘れ去られる」段階に突入しているということか。
 九十年代、「デ・ジャビュ」やら「写真新世紀」やらを舞台に写真はある種の盛り上がりをみせた。もちろん、「団塊ジュニア」という二度目の人口爆発が、下支えした部分もあるが、それよりも一番の動因は、「フルオート・カメラの普及」にあるだろう。「わたしにも撮れます!」が宣伝文句だった時代に写真を受け入れた人々(団塊さんたち)の娘たちが、本当に誰でも撮れるカメラを手にして写真をはじめたのだ。それ故に、彼女らの写真は、父たちの世代の写真を忠実に継承した「コンポラ写真」となった。二度目の「コンポラ写真」が「ガーリー・フォト」のブームだった。
 このブームは、「わたしにも撮れます!」の二度目のブームだった。そう、ヘーゲルがいう通りに歴史は二度繰り返すのだ。一度目は、荘厳な悲劇として。二度目は・・・。二度目はどんなものになるかの答えは、マルクスが出してくれている。二度目は、いつでも「お笑い」なのだ。「みじめな笑劇」。あるいは、軽妙なコントと言い換えても同じことだ。「荘厳さと真摯さをなくし切ったみじめな喜劇」を言い換えれば、「重苦しさを脱した粋な軽演劇」となるだけの話だから。これは表現の文学性の問題に過ぎない。
 二度目の「お笑い」ではあったが、それが二十世紀文化最期の隆盛でもあった。歴史は繰り返すがそうそうは繰り返さない。フルオート・カメラの後に来たのが、デジタル・カメラだ。時代は二十一世紀に突入している。百年前、写真が爆発的に普及した折に伴走したメディアは、新聞だった。いや、タブロイド判の新聞に印刷されることで写真が認知されていったのだが。その新聞の息の根を止める役割を担うメディアが登場した。Webだ。二十世紀最後の頃、新聞の押し売りを断る最新の決まり文句は、「インターネットでみるからいらない」だった。実際そうなっていった。そして、写真も、紙媒体に載ることを止めてWebに載るようになった。二十世紀とともに当然のこととされていた「印刷される写真」がとうとう消滅の兆しをみせた。
 この消滅の兆しは同時に「二十世紀的な写真」(僕らが当然のように受け入れてきた写真だ)に先行した「十九世紀的な前-写真」の最終消滅を意味するものでもあった。十九世紀的な「前-写真」とは、そもそもが「光の痕跡を留める技術」として十九世紀初頭にニエプスが創出した技術だ。光をアスファルトの上に捕らえておくこと、銀板の上に捕らえておくこと、印画紙の上に捕らえておくこと。それが、ダゲレオ・タイプも何も貫く原理だった。その原理が崩れた。写真がWebに載る。Webは、ディスプレイに載る。このディスプレイは、しかし紙やアスファルトとは違い光を留めようとしない。それ自体が揺らめく光の束だ。発光体だ。Webを媒体とする時、写真は「光を拘束すること」を放棄した。光は、光のままに放置され、拡散するにまかされるようになった。
 これが、写真のliving deadの最期だろうか? はじめアスファルトの型に流し込まれた死せる光たちは、次に銀版に、次に印画紙に、次に再生紙と、次々押し込められ、捕らえられていた。しかし、時は満ち、光は再び光へ還り、自らの出自たる宙へと、散り散りに飛び散っていった。めでたし、めでたし。
 ボードリヤール博士がぶいぶい言わせてた時代なら、「すべてが終わった」で終われただろう。だが、残念なことに博士のブームから二十年も経ってしまった。労働は苛酷さを増して継続しているし、湾岸戦争はあったし、イラク戦争は幻想ではない。そして、写真にされた光たちもまた拘束を解かれていない。数式としてコンピュータ言語として捕捉されたままでいる。
 二十一世紀に、なにかの「はじまり」が光の捕捉をめぐってあるとすれば、この辺りにあることだろう。



 話を戻せば、出発点はしたがって相互に鼓舞しあう二つの側面を持っていることになる。ひとつは実現されつつある計画につながる。これは始まりの他動相である。つまり、予期される終わり、あるいは少なくとも期待される継続を持った(あるいは、そのための)始まりである。もうひとつの相は始まりのために〈根源的〉開始点という特性を保持する。それは自身を絶えず明晰にすること以外に目的を持たない、自動的かつ概念的な相である。この第二の側面こそフッサールをあれほど魅惑し(始まりにおける始まりのための始まりについてはすでに述べた)、ハイデッガーをも捉えて話さなかったものである。

エドワード・W・サイード「始まりの現象」1975)

The point of departure, to return to it now, thus has two aspects that animate one another. One leads to the project being realized: this is the transitive aspect of the beginning--that is, beginning with (or for) an anticipated end, or at least expected continuity. The other aspect retains for the beginnings its identity as radical starting point: the intransitive and conceptual aspect, that which has no object but its own constant clarification. It is this second side that so facinated Husserl (I spoke earlier of a beginning at the beginning, for the beginning) and that has continued to engage Heidegger.

(EDWARD W. SAID "BEGINNINGS" 1975)

上に言う「はじまり」とは、「始まりの他動相」についてだ。
しかし、そんなものは、「はじまりのためのはじまりのはじまり」によって中断されるべき「はじまり」にすぎないことも書き記しておく。
「はじまりのためのはじまりのはじまり」は、穏健なサイードにとっては、フッサール的〈根源性〉を帯びた開始点として揚げられているが、単純に〈過激な〉はじまりを持つ苛烈にして凶暴なものでもある筈だ。