互助と脱出


 大日本帝國消滅後の在日朝鮮人のコミュニティのことを思う。国家から切り離され、いきなり国籍を喪失した人々。当たり前のような貧乏の中で生き抜くことを第一義に互助組織を立ち上げていった人々。当たり前のような貧乏の中で殺されないために国外脱出を図った人々。
 日本国が、はっきりと文化行政からの完全撤退を方針としている現時点で、芸術に関わろうとする者がモデルとすべきは、この人々だろう。美術館の独立採算などというあり得ない妄想を国家方針として掲げている文化行政は、無意識として文化活動の完全停止を意志しているということだ。そのような国家指針が打ち出されている以上、美術家として、僕らも互助組織をはっきり念頭に置かねばならないということだ。互助組織の目的ははっきりしている。自己保存(生き抜くこと!)と同胞支援だ。「同胞支援」は、仲間を助けることだけでなく、仲間によって助けて貰うことも意味するのだから、やはり「自己保存」ということだろう。
 望みのない国内に於いては、貧者同士で肩寄せあって助け合って生き抜いていくしかない。しかし、それだけではいくらなんでもどうしようもない。死ぬまでの間生きるだけのために助け会う生活は耐え難い。やはり、国外脱出という選択肢も視野に入れておくべきだ。軍事政権成立後のミャンマーの人々が日本へアメリカへカナダへ渡ったように、ネパール人たちが日本に来ているように、日本の美術家たちもオランダへドイツへフランスへと脱出することを考える方がすっきりする。そう、在日朝鮮人たちが東アジアの夢の国、共和国へと渡っていったように。もちろん、渡鮮した人たちのその後を考えればわかるように、大きなリスクがつきまとうことはいうまでもない。しかし、だ。しかし、あの当時、日本海をゴムボートででも越えようとした人々と同じ理由で、僕らは「移民」を考えずにはいられない。一日十時間以上週六日以上盆暮れ正月国民的祝祭日なしに賃労働で拘束され続けてなんとか生き抜く生活とともにしか芸術活動はありえず、然もそのハシタ金の賃労働も五十歳前後をメドになくなる。平均寿命が尽きるまであと三十年を残して! どこかに芸術活動によって生計可能な国があるならば、そこでの生活を望まない方がどうかしている。別に大したことを望んではいない。週四十時間の美術活動によって、屋根と風呂と暖房と食事と家族と時々の友との歓談とを維持できるような生活さえできれば、それでいい。「移民」が余りにヘビーならば、「出稼ぎ」「行商」という手もある。