ニッポンの不倫、おフランスの不倫

1)
山本モナも復帰してるのか。 なら、「不倫は問題ない」っていう社会通念なのだろう。 とすれば、「不倫」と表記することこそ、いかんだろ。 「婚外恋愛」とか「婚外性交」とか書きゃあいいんだ。


そういえば、元妻の妊娠がわかり、結婚の意思を元妻の両親につたえたら、むこうの母親に「どれあった」と言われた。
「どれあい」。
この時はじめてきいた言葉だが、見合い婚じゃない結婚を「どれあい」と言って蔑む風潮が徳川時代だか大日本帝国時代にはあったらしい。前近代の結婚概念の残滓なのだろうが、1994年当時でも「裏日本」に位置する富山県高岡市ではまだその手の感覚が残っていた様子。
「婚外性交」という概念を導入するなら、不倫も未婚者の恋愛関係も同列の訳だが、そっちの感覚の方が「どれあう」とか言ってるひとたちの感覚に近いだろう。すなわち、婚外で性交するのは問題外と考える人は、不倫も恋愛もいかんことなのだろうし、そうではない人にはどちらも問題ない訳だ。



2)
フランスでは報じられない政治家の不倫
この記事を要約するならば、

おフランスでは、ミッテラン大統領の不倫ですらいっさい問題にならなかったざんす。ニッポンの議員は不倫問題まで報道追求されてカワイソーざんす。シェー!

という大意なのだろう。
「フランスとニッポンはちがう」と言い立てるのもアリだろうし(法学部出身者の好きな論拠だ)、「そうだ、だから学芸員が不倫するのは問題ないのだ」とつなげるのもアリなのかもしれない。どっちでも好きにしたらいい。
しかし、この記事にしろ、「不倫」一般を同列に論じているのがあやしげなところだ。ミッテランと、姫井由美子参院議員や杉田真珠元学芸員に刺された深川雅文学芸員とは、大きく違う。
ミッテランの場合は当事者同士で一切「もめていない」が、姫井議員深川学芸員に対しては、日陰者にされた不倫相手が積年の鬱憤不満恨みつらみを爆発させている。
「不倫」が悪いかどうかはおくにしろ、本妻やら本夫やらがどう言っていようとも、不倫相手から言いがかりめいた刑事告訴されたり、誕生日に果物ナイフで刺されたりしているということ、つまり「不倫で大もめにもめること」「不倫関係が上手にこなせないこと」は問題だろう。ミッテランには甲斐性があり、きめ細やかな配慮があったが、姫井深川には甲斐性もなかったし、粘膜の摩擦が絡んだ複雑で襞の多い人間関係を無難にこなすだけの才覚もなかったのだ。この違いは大きい。


不倫自体は問題ないとしたにせよ、不倫で揉めてTVワイドショーのネタを提供するようでは、人材掌握のバランス感覚を欠いていることを公表したようなものだ。国政は託せないし、公務を託すに適正な人材とは言えない。












付記
該当の記事がサーバーごと消滅してる。
僕の要約だけでは乱暴すぎるので、コピペしたものを転載しておく。

フランスでは報じられない政治家の不倫
プライベートをめぐる報道の違い
及川 健二(2007-09-10 18:05)

 姫井由美子参院議員が『週刊文春』で6年間にわたる不倫関係を暴露され、SMプレイもたしなんでいた……などということがいわれ、他のメディアがそれに追従して姫井議員に「説明責任」を求める姿を見ると、日仏メディアでは政治家のプライバシーに関してこうまで対応が違うのかと思い知らされる。
 ヴァレリー=ジスカール=デスタン大統領(当時)には愛人がいたが、メディアはそれを知っても報道しなかった。フランスのメディアでは政治家の性事・私生活には干渉しない「政性分離」が原則とされている。
 フランソワ=ミッテラン元大統領には100人近くの愛人がいたとも噂されるぐらいで、彼の女好きはメディアでは周知の事実だった。
 前立腺ガンを患っていたのに、大統領を1995年に退任してからは毎夜のように女性のところに泊まり歩き、自宅に朝帰りしたというから、女性は決して欠くことのできない存在だったのだろう。しかし、そんなことを非難する野暮なメディアはいない。
 ダニエル=ミッテラン夫人という素晴らしい正妻を持ちながらも、多くの女性との逢瀬を楽しんだミッテラン氏だが、長年、付き合った愛人がいる。アンヌ=パンジョさんだ。
 オルセー美術館の館員であったアンヌさんはミッテランと1961年に知り合い、恋に落ちる。1974年12月18日には彼を生き写ししたような顔立ちの整った娘・マザリーヌさんが誕生する。
 1981年の大統領就任直後の記者団との朝食会の席上で、婚外子の娘について質問されたとき、「それがどうかしましたか?」(エアロール?)とミッテラン氏は切り返した。
 この名文句「エアロール」は日本の作家・渡辺淳一の小説のタイトルにもなっている。これはフランスでよく知られたエピソードの一つである。
 大統領を退任する前年の1994年11月、マザリーヌさんとミッテラン氏が密会しているところをゴシップ週刊誌『パリマッチ』がフォーカスし、それを掲載した。プライバシーの侵害だと、どのメディアも非難の言葉を発し、同誌は各メディアから総スカンをくらった。
 隠し子について尋ねる記者に対してダニエル夫人は、「私とフランソワの問題です。あなたたちには関係ないはず」とキッパリ応えた。
 後日、ミッテラン周辺の証言によって分かったことなのだが、実はスクープ写真掲載はミッテラン氏の了解があったのだという。
 同誌編集者は大統領府を訪れ面会をもとめ、「大統領の了解なしには掲載しない」という意向を、ミッテラン秘書に伝えた。執務室に通された編集者が密会現場の写真を突きつけたときにミッテラン氏が発した言葉がふるっている。
 「彼女はキレイだろう。そう思わないかい?」
 そして、掲載することを承諾してもらえるかと問われたら、「私には干渉する権限があるとは思いませんがね」といい、容認をした。
 大学生になった娘と公然と面会するミッテラン氏の姿を『パリマッチ』が好意的に取り上げることにより、マザリーヌさんの存在は国民の間で知られることになった。それでも、スキャンダルとしては受け取られず、国民からはむしろ好意を持って受け止められたという。フランス人の気質をよく表している。
 フランソワ=ミッテラン氏が1996年1月8日に死んだ後、ミッテラン氏の故郷で行われた葬式の最前列には、ダニエル夫人とその子どもたちの臨席にマザリーヌさんとアンヌさんが座った。哀しみにくれ、涙するアンヌ親子の姿はフランス人の心を揺さぶったという。
 最近でも、フランスでは政治家のプライベートに関する問題があった。ニコラ=サルコジ大統領の妻・セシリア夫人が2005年5月末に、突然、ニューヨークへ愛人と駆け落ちしたのだった(後に寄りを戻す)。フランスのメディアはこれを黙殺した。しかし、スイスの日刊紙「ルマタン」がこの事実をスクープし、仏メディアも追従した。
 家族の問題が公にされたサルコジ氏のケースは例外的だ。サルコジ氏は効果的なメディア戦略として、「オシドリ夫婦」を演じ、妻とじゃれ合う姿をメディアに堂々と披露し、赴任先の省庁で仕事場を妻に与え、働かせたことなどから、夫婦関係はパブリックな問題だと仏メディアは認識した。だから、サルコジ氏のケースに限っては仏メディアも報道したのだ。
 政治家とはいえ、プライベートな部分がある。男女に関する道徳や倫理をふだん説いていないのであれば、政治家が愛人を持とうが誰と不倫関係にあろうが、フランスでは問題にならない。姫井議員のこともフランスならば、誰も気にせず、問題にしなかっただろう。日本の議員で残念でした……というしかない。

今は亡きOhmyNewsより