「ペリーヌ物語」と「家なき娘」の差異

 
 

1)ペリーヌの馬車が決定的に違う。原作馬車は、最悪にみすぼらしいもの。周囲を布で貼り、屋根はタールを塗った段ボール。行く先々で人々の物笑いになっている。ロバのパリカールも飢えで痩せこけている(但し、もとは大柄な立派なロバ。餌不足で痩せてる)。
2)従って、母娘の商売相手も各地の百姓たちではない。母娘同様の移動労働者や旅芸人が時たま買ってくれるだけだった様子。最下層の旅芸人大道芸人的な位置でヨーロッパを旅している。
3)父の思い出の方が母よりも大きな位置を占めている。「祖父の住むマロクールへ」は母の遺言だが、ペリーヌは寧ろ父から聞いた思い出話を求めてマロクールに住み着く。
4)「ペリーヌ物語」で三分の一を占める旅程がない。パリの貧民街と工場地帯の話がほとんど。
5)地元百姓や自営業者たちは、はっきりと冷たい。最下層に位置する貧困児童に優しくなんかしない。隙があれば金を巻き上げるし、基本嘲笑して邪険に追っ払う。
寧ろ、パリ貧民街の住民たちが非常に優しく接してる。「ペリーヌ物語」では悪役から改心する設定のシモン爺さん(原作では「塩から」というあだ名で呼称)は、酔っ払いだが、はじめから親切。「侯爵夫人」「ガストン」「飴屋」も献身的に親切。
5)ペリーヌは、金髪だが「琥珀色の肌」で、はっきりと混血とわかる容貌。年相応に(女子中学生的に)周囲から仲間はずれにされることを恐れて、オドオドドキドキと慎重に行動。
6)マロクールは、そこら中に酔っ払いがいて、女工下宿も夜中騒ぐ酔っ払い女がいるような場所。狭隘な場所に大勢詰め込まれているので、悪臭が漂い、換気が悪い。そして、下宿主は、ロザリーの祖母のフランソワーズ。フランソワーズは、ビルフラン家で乳母をして蓄財し、この下宿屋を建てた。
7)ロザリーも孤児。叔父叔母祖母と暮らす。叔母から虐待に近い扱い。
8)マロクールの植生も違うだろう。ペリーヌが暮らす小屋は、泥炭を掘り起こした後に水が溜まった泥炭堀の真ん中の小島にある。従って一帯は泥炭地帯。白樺も低木しか生えない。周囲は葦とシダ。
9)ビルフラン(ヴュルフラン)は、織物職人上がりの完全な叩き上げ。まさに「新興ブルジョワジー」。
10) ペリーヌはパリからマロクールまで徒歩旅行した訳ではない。行き倒れていたところを廃品業者のルクリおばんが見つけて、駅まで送り、パン屋に取り上げられた5フランを立て替えて、ペリーヌを汽車に乗せている。ルクリもまたパリの貧民街住民と同じ階層の人。この階層の人だけがペリーヌに親切。「献身的」と言えるレベルで。ペリーヌは汽車でマロクールに到着。
11) ペリーヌ父=エドモンについて。エドモンがインドへ行ったのは、会社の都合ではない。放蕩三昧で借金をこさえて、ヴュルフランから「インドで性根を叩き直してこい!」とフランスを追い出されたから。スエズから海路をとらず陸路でヨーロッパへ向かったのも、インドから持って来た金をスエズで失くしてしまったから。はっきりとは語られないが、おそらくは賭博ですったのだろう(「スエズでお金を全部失くした」と聞いて、ヴュルフランにはすべてがわかったようだから)。そして、ニッチもサッチもいかなくなって、持っていた写真機で道中写真を撮りながらフランスへ向かう方法をとった。典型的な二代目バカ息子のダメ人間。この時代の「写真家」ってこんなイメージだったのだろう。ブルジョワの放蕩息子=能なしダメ人間が、パパに買ってもらった高級カメラで稼ぐ片手間仕事な位置づけ。「カメラさえあれば誰でもできる」仕事。まあそのとおりなんだが。
12) 酔っ払いとか衛生状態最悪の女工下宿とか泥酔女工とかの描写に傾斜するところとか、はっきり自然主義の影響が色濃い。自然主義児童文学。

家なき娘〈上〉 (偕成社文庫)

家なき娘〈上〉 (偕成社文庫)

家なき娘〈下〉 (偕成社文庫)

家なき娘〈下〉 (偕成社文庫)