長谷川龍生の怪談


http://www.090ver.jp/~usoriro//3/738.htm

738 名前:中岡先生 投稿日:2001/02/25(日) 18:57
15,6年前にやってたテレ朝「プレステージ」の怪奇話特集を
覚えている人いるかなあ。
中島らもやなんかが出てたやつ。あの詩人の長谷川龍生の話が
当時マジコワだったんだけど、これってガイシュツ?


747 名前:中岡先生 投稿日:2001/02/25(日) 22:35
ではお言葉に甘えて。

ちょっとうろ覚えだが、こんな話だった。

詩人・長谷川龍生(りゅうせい)は当時静かな仕事場を
探していた。そして世田谷区の某所に破格に安い一軒家があったので、
そこを借りることにした。あまりに安い物件なので、なにか
あるかもしれないとはうすうす予測していたらしい。
だが、長谷川氏は天涯孤独の身で、幼少のころから
少々のことではビクリともしない強靭な精神を培っていた。
なんでも長谷川家の者はなにかの因縁か、けっこう凄まじい
死に方をしているとかで、一家は離散し、龍生氏が長谷川家の最後の
生き残りだとも言っていた。
なので、鬱そうとした庭もある、世田谷の広い屋敷を格安で借りれる
とあってむしろ喜んだくらいだった。
引越しも無事に終わり、毎日机に向かって執筆活動をしていたが、
ある日庭に出て、なんとはなしに家を眺めていると、
おかしなことに気がついた。
家の2階部分に知らない部屋があったのだ。

748 名前:中岡先生 投稿日:2001/02/25(日) 22:36
龍生氏は家に入り、その部屋があるべきところを探していたが
なかなか見つからない。ようやく2階の廊下の突き当たりが
怪しいと分かり、板張りの壁を剥がすと中からバッテン印に
板切れを打ち付けられた入り口が現れた。
板切れを取り外し、中をのぞいた龍生氏はぎょっとした。
そこは8畳くらいの、まん中に囲炉裏があるような純和室で、
今のいままで老夫婦がふたりでお茶を飲んでくつろいで
いました、というようにお茶碗もあり、日常そのままだった。
「なんでこの部屋が空かずの間になっているんだろう?」
龍生氏はさすがに少し気味が悪くなってきた。
仕事場は1階にあったが、その夜も執筆に専念していると、
ふと背後に人の気配がした。振り向くと、薄暗い部屋の隅に大きな柱が
現れていた。こんな所に柱なんかあったかな?と思い、なおも
目をこらしてよく見てみると、柱の横に小柄な老人がちょこんとあぐらを
かいて座っていて、龍生氏のほうを見てにこにこしている。

749 名前:中岡先生 投稿日:2001/02/25(日) 22:37
龍生氏は内心「とうとう出たな」と思ったが、不思議と怖くはなかった。
ここの主かなんかであいさつに出てきたんだろうくらいに思った
というから、その豪胆さにはおそれいる。
それから、毎晩のようにその老人が現れてきたが、なにを言うでも
するでもないので放っておいた。すると龍生氏の体調がだんだんと
悪くなり、最後はほぼ寝たきり状態になってしまった。
身寄りのない龍生氏は知人の詩人(たしか、よねやまももこ、
とか言ってた)に連絡したところ、「あんた、このままだと
死ぬよ」と言われた。よねやま氏によると、なにか家の庭に
ここの家族がひどく気にしてるものがあるはずだという。
それを探して供養しなければいけない。
龍生氏は翌日、辛い体を起こして庭に出た。
竹箒で荒れている庭の落ち葉などを掃いていると、
庭の隅にそこだけ土の感じが違う所があったので、掘ってみた。
すると、おびただしい量の、ここの家族のものと思われる
写真やアルバムが出てきたという。
その後、龍生氏が調べてみると、そこの一家に起こった凄まじい惨劇が
分かったという。その内容までは番組では明かされなかった。


750 名前:中岡先生 投稿日:2001/02/25(日) 22:38
多少記憶があいまいだが、だいたいこんな感じだったと思う。
そういえば、加納典明もゲストで出ていた。当時オレは何があったのか
めちゃくちゃ気になったが、どうしようもなかった。
知りたいような、知りたくないようなそんな感じ。世田谷のどこかも分からない。
ある奴は永福町だとかも言っていたが、分からない。
あと、龍生氏って数年前に亡くなったような気もするんだが・・
違ってたら、大変申しわけありません。

だれか詳細知ってる?

751 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2001/02/25(日) 22:43
うわあ・・・こわいよ>>750

webで検索してみたけど、亡くなっていないっぽいですね>長谷川龍生

詳細誰か知ってたら教えて〜!


この怪談、詩集「椎名町『ラルゴ』魔館に舞う」のエピソードと筋書きが重なる。

場所は、「世田谷区の某所」「永福町」ではなく、「椎名町」。
老夫婦云々は、そのまま、「椎名町『ラルゴ』魔館、二号室」に反映しているだろう。
「毎晩のようにあらわれる老人」については、「幻聴、幻影」の話となっている。

 一九八〇年六月二十七日のあけがただった。幻聴、幻影のとだえることのない波濤が押しよせて、告白室に監禁されているような状態になった。バネのきしむ寝台を転々。数時間の格闘のはて、色彩のいり乱れている葬列が、眼前をとおりすぎる。(・・・・・・・)そのあと待望の瞬間がやってきた。一人の見知らぬモンペ姿の老人が(七十五歳ぐらいの年齢であろうか)、狭い部屋の空間に宙吊りになって、慈悲ぶかい表情をつくりながらこの私を見つめている。「どうか、よろしく、おねがいします」と言った。下十字四方固めの押えこみにしめつけられているようだが、気もちの方には、ゆとりがあり、私が優位にある。
 その老人の亡霊が、何ものであるか、数時間あとに判明した。
椎名町「ラルゴ」魔館ノート)

「老人の正体は吉田一穂であったか?」となっている。
「知人の詩人(たしか、よねやまももこ」ではなく、「ヨネヤマ・ママコさん」(パントマイムの?)。
部屋の中に剥き出しの柱が一本あり、気になるので、ヨネヤマ・ママコから貰った「現示神通心」という京都金閣寺の線香を焚き、水と酒と塩と米と経を供えて、柱の中に取り憑かれているものを鎮めようとした、とある。
「一家に起こった凄まじい惨劇」等についての記述はない。
長谷川龍生は、その家(部屋?)を家の管理人から又借りしており、たまたまジュネーブから緊急一時帰国した家主と会い、話したところ、その家主は「池袋パルテノン」の一員だったことが判明した云々のエピソードがある。


1958年頃、丸三日間に渡って記憶をなくして彷徨したなんて話もある人のようだし、普通に「妄想」ととるのが良いのだろうが。

なんだか急に気になり出した長谷川龍生