ご不自由なもんでござんすね


ファインダーを覗きたくない。
ファインダーから解放されたい。
嘗てトゥアミ・エナドルというモロッコ生まれのフランス移民写真家もそんなことを言っていた。
「ファインダーなんて鍵穴だ。鍵穴からは覗けるが、覗いていると身動きとれなくなる。だから、ハッセルのファインダーを取り払った」と。
そういうことなのかなあとも思うが、それ以上に、映像に対する「飽き」が来ている。
映像のインフレの最中、鍵穴を覗くことが面倒であるどころか見ることすら厭わしい思い。




かの座頭市も言ってったっけ。
目明きの衆は、ご不自由なもんでござんすね、と。
ファインダーを放棄した後のエナドルの写真は、ひたすら黒くありたがっている。
黒へ。真っ黒へ。未露光の写真へ。
ファインダーじゃなくて見ることを放棄しなければ、身動きとれないのかもしれない。


Ennadre explains: "My eye takes priority over the viewfinder. The viewfinder is like a keyhole: you can see what the others are doing, but you're not in the action. To be in the action, I took the viewfinder off my Hasselblad".

http://www.ennadre.com/essays/black_light.html