まねだというまね、つまんないまね、へんなまね



「まね」「まねできない」・・・・。
1970年代末から80年代初頭にかけて、名古屋方面地域限定深夜ラジオ放送「今夜もシャララ」で、野口小太郎が「『盗作だ、盗作だ』というお便りがたくさん来ますが、『盗作だ』っていうのも、盗作ですよね?」と言っていた。「今シャラ」のメイン・リスナーは、背伸びした小学高学年から中学生くらいだったか? そのくらいのガキたちが、騒ぎたがるネタが「盗作」なのだろう。わかりやすいし、みつけやすいし。ゼミやら講評やらをやってた時には、「森山大道のまねだよね?」とかよく口走っていた気がするが、自分の批評レベルって、深夜放送のリスナー・レベルだったということか? 清水穣の指摘によれば、森山大道からしてグラフ・イメージの借用なのだそうし。


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著作権」等で生活している訳ではないので、「著作権」のボーダーがまるきり理解出来ない。が、松沢呉一によると、「ネタ」として使うのはまるきり著作権に抵触しないのだそうだ。だから、ネタがかぶったところで、盗作でもなければ、まねでもない。つまんなかったら、「つまんないねえ」と嘆息しとけばいいだけのことだ。誰のネタともかぶらないのに、つまんないものってのは多いが、それらと一緒の扱いだ。


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「人気のない風景を撮っているのは、アジェのまねなんだよ、 似てないけど。でもアジェのまねってのは、よくあるまねすぎてつまんないよね。なんか変なまねすりゃいいのに。ウィトキンのまねして屍体部位収集してます、とか。ウィジーのまねで、警察無線傍受してますとか。キャパのまねして戦場でやらせ写真撮ってみました、とか。」


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よく思い浮かぶ写真評の評。
「その展評って、固有名詞を入れ替えるだけで、誰の展覧会にも使えるよね? 手抜きだよ。せめて展示の描写くらいすれば?」
写真評論コーチ屋稼業。
レッスン料は、まけといてやる。勉強しな。写真の勉強じゃなくて、評論の勉強な。