「政治的に正しい」ということをめぐって


言うまでもないことなのだが、もう一度繰り返しておく。
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 誰だか忘れてしまった。知らない人だった。確かアメリカのベテラン上院議員だったと思う。いや、もしかすると下院議員だったかもしれない。ブッシュ(息子)が大統領になった頃に引退したアメリカのベテラン議員だった筈だ。彼が言っていた事(精確には、「彼が常々言っていた事としてラジオで放送された事」)が、時々思い出される。
 彼が言うには(彼が言っていたとラジオのコメンテーターが言うには)、ワシントンで何かの「主張」を通したい時、その「主張」を誰かに説明しなければならなかったとしたら、その時点で「負け」なのだそうだ。「主張」を主張した時には、その段階で誰もが既に納得済みでなければ、絶対に勝てない(のだそうだ)。ワシントンに於いて、「説明」は、「敗北」を意味する行為なのだ(そうだ)。通る「主張」は、「主張」した段階で既に承認済みのものだけだ。

註:)余りに要領を得ない訳の分からん文章。アメリカ共和党下院議員J.C.ワッツが「説明してるってことは、負けるってことだ。相手が三秒で理解できないなら、勝てないってことだ」("If you are explaining, you are losing.")と言っていたという話をラジオで聴いた、と書きたかったんだろう。調べ直して後日書いた日記は、こっち

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 美術に於ける、「社会派」なのか、「PC(Political Correctness)」なのか、その手の政治的正論を掲げた物は、ワシントンでの「主張」と同じ結末を得るだろう。
つまり
1) わざわざ説明するまでもなく、誰もが「だよねぇ」と頷き得る主張をしつこく反復するか、さもなくば
2) しつこい程に説明しようが「そうなんだぁ」とまるきりスルーされるか、
どちらかの退屈さを選ぶことになる、ということだ。
「勝ち」が欲しいなら、1)の代わり映えのしない退屈な正論の主張を選ぶことになり、「いや、正しいものが正しいのだ! 正義は勝つッ!!」と思い込み反発覚悟で反骨の正論をぶつなら、その時点で既に 2) の必敗の結末を選んでいることになる。
 若し何かのPCを訴えるならば(PCを訴える為にPCを訴えねばならなかったとしたら)、その段階で、そのPCは支持されないことが必定であり、正当化されないことが必定なのだ。また、若しそのPCが政治的に正しく正論であるならば、その主張は改めて言うまでもないことであり、誰もが当然のこととして受諾していることであり、そんなものをまたもや訴えるのは、わざわざ主張するまでもない主張をしつこくしつこくしつこく繰り返しているうんざり説教の類にすぎないことになる。従って、正しいPCは、「ジョウシキ!」や「正論」の単純再生産に過ぎず、正しくないPCは、そもそも「政治的に正しく」ないのだから、PC足り得ていない。
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言うまでもないことは、言うまでもないのだから、言う必要はない。プロパガンダしていただく意味もない。

(安星金 アン・ソングン 展:「刀、そして武力」を観る前に書いた展評)
http://www.gallery-maki.com/