安星金展「刀、そして武力」


観ないで展評だけ書くのもヘンなので、安星金(アン・ソングン)「刀、そして武力」展へ行ってみた。
つまんなかった。
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 ギャラリーは、川べりのワンルームマンションの一室。開け放たれたドアから中が見える。中は綿を敷き詰めた竹林になっている。靴を脱いでギャラリー常備のスリッパに履き替えて室内に入ると、鑑賞者用に道が出来ていて、その道をそろりそろりと歩くことになる。狭いから。竹は、よく見ると先端部が斜めに切ってあるので、竹槍の形状だ。そしてその竹槍の竹林の中に一振りの刀が混じっている。
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 事前に友人から、そんな展示だときいていた。行ってみたら、そのとおりだった。ただ、「綿」は、脱脂綿とか、大島弓子綿の国星」のチビ猫のふわふわの綿とかを想像すると、違う。脂分の多い、かたまってスリッパの底とズボンの裾にへばりつく鬱陶しい綿だ。「刀」もビミョーというしかない。刃渡り二メートルはありそうな大振りな「刀」だが、切れそうには見えなかった。鋳物か木に銀色スプレーで塗装したものだろう。臂力・膂力に富む大巨人なら打撃用の武器として使えるかもしれない。パンフによると「日本刀」となっていたが、日本刀には見えなかった。刃紋が出てなかったから? 反りと身幅のせい? いや、何よりでかすぎて粗大な雰囲気が「日本刀」にそぐわなかったんだろう。武器としては使いようがない伝説の刀=「青龍刀」とかいう感じ? やたらと重そうで大振りで甲冑やらなんやら着込みまくった大陸の好漢が振り回していた方が似合いそう。古刀を模して作った「軍刀」のイメージだったのかもしれないが、小柄で尊大な日本帝国軍人たちが指揮刀として使っていたものって、七十センチくらいがせいぜいなんじゃないの?
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 いや、実を言うと友人から「竹を使ったインスタレーション」ということを聞いた途端に「勅使河原宏」の名前が頭の中でちらちらしていた。映画「利休」で、利休入滅のシーンにも使われていた「竹のトンネル」とかの一連の大掛かりなインスタレーションだ。上半分を細く裂いて大きくしならせた大降りの竹を両側にならべ、竹林がトンネル状になったインスタレーションだ。勅使河原宏は、韓国の崔在銀なんかとの関係があるのだから、草月流へのオマージュなりなんなりのものなのかと思っていたのだが、まるきり違った。
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 横浜ビエンナーレの時に思ったことを安星金の展示を観て、もういちど思った。「PCを扱う大陸の美術家たちは、仕事が雑で汚らしい」ということだ。そして、単に「正しいことを言っていればいいのだ」と居直る日本左翼の人々を彷佛させた。彼らの服装(カーテン地のような生地のシャツ、ニューバランスですらない"ジョギングシューズ")も同時に。正しければなんでもいいんだと思い込んでるから、服装にまで知恵がまわっていないし、その知恵のまわらなさは、言動にも通じている。五十年前から使われているような仲間内の符牒と掛け声をなんのためらいもなく使い続けていて、政治的勝機がめぐって来る筈もないではないか? 「日本共産党」五十年余の合法活動の教訓でもあり、「共産党」ほどにも影響力を持てなかった新左翼諸派の活動の教訓でもある。「単に正しいことを言っていればいいってもんじゃない」。
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 勅使河原宏らと安星金との違いは、「美」を〔 〕に入れたかどうかだ。実のところ、勅使河原宏は、炭坑労働争議の問題を扱った映画「おとし穴」の監督なのだから、ある意味、「社会派」なのだ。「利休」からして、原作は、野上弥生子「秀吉と利休」なのだから、もろに「政治と芸術」だ。しかし、勅使河原の映画から、「政治的正しさ」を感じるのは、無理だ。テーマとして「社会問題」「文化行政」が与えられていながら、殆ど関心がそちらへ向かっていない。「格好よくきめたい」。そんな欲望だけが全面に出た映画だからだ(格好よく決まり切っているかどうかは保留するにせよ)。いや、「実社会性」等を〔 〕に入れるという行為が「美術」のはじまりなのだとしたら、勅使河原らのあり方がまっとうな「美術」であり、粗雑で貧乏たらしく政治的正論を繰り言する安らは、そもそも「美術的である」という要件を満たしていないということなのかもしれない。
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 安の向かった先が、もっと本気の「政治性」だったら、違った感想があったのかも、と思う。「日本刀と竹(槍?)」ではなく「機銃とビラ」とか。「反日」という安全な正論に縋りながらの、「いえ、これは美術なんです」という再度の言い訳を用意しての安全な作品。粗雑さが目につき、間違っても「美しさに言葉を失う!」なんて言えないし、テーマはみえみえの被害者面でぶちぶち呟かれる毎度お馴染みの朝礼の訓辞的正論。
だめでしょ?

(安星金展「刀、そして武力」/2006年5月30日〜6月17日 GALLERY MAKI)