本当の「裸の王様」、そしてレッドカーペットの起源


絵本等で描かれる「裸の王様」は、老醜の慚ない体型をしている。果たして、本当にそうだったのだろうか? 「王」というからには、寧ろ、人々から好かれる、鍛え上げられた美しい筋肉美を誇っていた可能性が高い。

昔々、ある国に、自分の身体が好きで好きで堪らない王がいた。
食事には気をつけ、グルーミングは欠かさず、それだけでは飽き足らず、仕事でもないのに重いものを持ち上げ王宮庭園内を駆け回って筋肉を膨らませる事に熱中していた。日々鏡の前でポーズを取り、水面に映る自分に酔いしれる美身自慢の王。そうこうするうち、自分で酔いしれているだけでは、我慢できなくなってしまった。
「みんなに見せつけたい!」。

「朕は誠に美しい。この美しい王国は、朕の美しさの反映。朕の美しさを王国の臣民たちにもよく知らしむる事が肝要だ。仕立屋を呼べ! 臣民たちがこの上なく美しい朕をよくよく知り得るよう、格別の式服を仕立てよ。良いか、 『美しい服』ではなく『美しい朕』が主役ぞ。こころしてかかれ!」「御意!」

そして、できあがった服は、ほぼ布切れ。着用した王は、ほぼ裸だった。王はご満悦。でも実は裸同然。裸同然だったが、機嫌を損ねると、忠臣だろうが、容赦なく醜聞を流し極刑を求め惨殺してしまう暴虐な王、「王様、王様! それじゃまるでハダカっすよ!」などと進言するわけにはいかない。文字どおりに首が飛ぶ。皆、口々に王の服をほめそやした。「美しい服でございます! この世に二つとない傑作です。そして陛下にとてもよくお似合いでございます」

得意満面の王は、新調の式服でパレードをした。全裸の行進だ。
「皆の者が美しい朕を見ている。嗚呼、朕は美しい! 王国は美しい! 美しい朕の王国!」と恍惚の王。
大人たちは、王の残虐さを怖れ、口々にお追従を述べた。
「美しいね・・・」「本当に美しいよ・・・」「ああ、美しい服だよ・・・」 「あんな美しい服が作れるのは、この国だけだよ、本当にこの国に生まれて良かったよ、うんうん・・」等。
しかし、子どもはそうはいかない。権威だろうが容赦しない。得意満面でパレードする王にむけて言い放った。
「キャハハ 王様が裸だ! 王様が裸で歩いてるよ! キャハハハハ(笑)」

それがキッカケだった。
萎縮していた人々も匿名に隠れてしまえばこっちのもの、口々に、「実は俺もそう思ってたんだよ! ありゃ、ハダカだよ! ハハハ(笑)」「フフフフフ そんなこと言っちゃ畏れ多いわよ! フフフフフフ(笑)」「裸だ!」「裸だ!」「王様は裸だ!」「仕立屋に騙されたんだよ ワハハハハ(笑)」「『裸』って言い出したのは誰だ? 子どもか? 子どもは正直だな!ワッハッハ(爆笑)」「正直だ!」「だって裸なんだもん! ギャハハハハハハハハ(大爆笑)」・・・・・・

「王様は裸だった」という話として広まってしまった。

さて、それで終わった訳はない。なんせ衆目の中、絶対王のプライドが奪われたのだ。
王は、プルプルと震えつつも「子というものは誠に正直だ。子は国の宝ぞ。褒めてつかわす!」と寛容さをアピール。仕立屋を「よくも朕に恥を掻かせたな! 家名を奪った上で暗殺せよ」と悪役にした。「すべては、仕立屋が仕組んだ謀略。そういえば、仕立屋が出会い茶屋に通うのを見た者がいるらしい。あんな奴は悪者だ。他国に通じる間諜だ。なんでも難民の出らしい。王とその忠なる臣民を愚弄した売国奴だ。最初から怪しかった。なんせ難民なんだから」と噂を流すと同時に暗殺者を放ち、殺してしまった。
「王様は裸だ」と嘲笑った子どもの事を、一旦は褒賞した王だが、自分大好きで高慢で残虐で自己中な王、赦した訳がない。その年の暮れ、「長年に渡る悪質な脱税」容疑で、子どもの一族は全員身柄を拘束された。
「正直者一家、隠し資産発覚! 数十年に渡る脱税行為で蓄財。愛国心はないのか?! 『難民だった』とご近所の噂」と醜聞を流し、数日の密室審議の後、すみやかに全員断首し、生首を広場に晒した。
王は、「王様は裸だ」と言い放った子どもとその一族の血で絨毯を赤く染めさせ、式典の飾り付けとして、長年愛用した。血染めの絨毯は、「王を愚弄するものはこうなる」という強烈なメッセージとなり、人々の脳裏に焼きついた。
そして、怯え萎縮したその国の人々は、もう二度と権威あるお方のことを嘲笑ったりしなくなった、という。

これが「裸の王様」の真実。
そして、「裸の王様」が愛用した血染めの絨毯が、「レッドカーペット」の起源である。

だから今でも、「レッドカーペット」上を裸同然で歩く女優のことを「ギャハハハハ、裸だ! 裸で気取って歩いてやがる、ギャハハハハ」などと嘲笑する者は、誰もいないのである。




春を告げる男


気づけば、いろいろ臭い。
ジャンパーが臭い、ズボンが臭い、ヘルメットが臭い、息が臭い。
もう春なのかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新聞屋で働いてた時、臭い男がいた。
その男、「オタニ」が来て次の週のことだったか? 朝刊配達の為に折り込み入れてたら、異様な臭い。新聞屋は学生も店員もロクに風呂に入ってないから、まずみんな自分の臭いを確認しはじめた。くんくんくんくん・・・。そして、「どうもちがうぞ」と。
なんの臭いに近いと言ったらいいのか。或る者は靴箱だと言い、或る者は「なんか死んでるじゃない?」と言い、或る者は下水だろうと言い、或る者は「またオウムか?」と言い(註:新聞屋の隣がオウム真理教が経営するラーメン屋『旨かろう安かろう亭』で、信者が住み込みで働いてて、しばしば祈りの声が響いたり、異臭がしたりしてた)、なんの臭いかわからなかったけど、要は獣臭。獣の体臭に獣の糞便が混じった臭い。
(新聞屋の客で、大型犬数匹と一緒に暮らしてる爺さんが居て、家中、犬の糞だらけだった。この爺さんの家が同じ臭いだった。この爺さん、犬糞の付いた紙幣で新聞代を寄越した。集金カバンに入れるわけにいかないから、指先でそのまま摘んでぶら下げて行って、速攻タバコ買って両替した思い出。リアルばば抜き。)
結局「オタニ」からの臭いだとわかったのはだいぶ経ってからだったなあ。店の上に住み込んでいた学生たちが、「オタニさんの部屋が臭いんすよ〜」って騒ぎ出して、ようやくわかった。
この「オタニ」、寒い間は臭わなかったけど、冬が終わる頃になると猛烈に臭い出した。「オタニが臭い出したなあ。春ももうすぐだねえ〜」と、みんなオタニの臭いで春の訪れを知ったもんだ。
オタニは、その後、沼袋店で賄いやってた子連れの女に金騙し盗られて(正確には、女はオタニから無利子無証文で数十万借りただけだけど。まあ、返す気はなかっただろう。『手も握らせないらしいぞ。騙されてんだよ』って沼袋の店員から聴いたもん)、新聞屋からの前借り踏み倒して夜逃げした。オタニが出てった後の部屋には、痔の薬と糞のこびりついた下着が散乱してたそうだ。肛門が悪かったかなんかだったのだろう。
「春告鳥」っていうけど、「春を告げる男」だった。

帝國の再興


帝國の再興 。大日本第二帝國への動き。
現政権が頻繁に使う「閣議決定」って、「元老院」支配だった時代の大日本帝國の再興を夢見て起きてる二度目の事件=茶番劇=シチュエーション・コメディか。
そういえば、安倍も麻生も大久保利通の子孫だ。
実権のない傀儡の神権(明治天皇)を戴いて、その実、大久保利通ら元老が権力握って好き勝手やる帝國。それの再興。これが、安倍政権の目標か。
だとすると、日本国憲法改定じゃなくて、憲法やら立憲やらを破棄して元老支配による帝國再興=大日本第二帝政を画策してる、ってことになる。
そう考えるといろいろ納得がいく。
安倍の国会に於る振る舞いって、要は「議会? なにそれ? 美味いの?」「自由民権なんぞ認めたら国が滅ぶ」「マツリゴトは我らがすべて取り仕切る、御意見無用」っていう大日本帝國"初期"の支配層の立場だもん。完全に議会を無駄なものとして無視してるんだから。板垣が死んで自由民権も死んだか。
トランプアメリカ皇帝との差は、皇帝を狙ってないところかな? 皇帝は、傀儡の天皇家が担うから、その下に隠れて政権をコントロールする。子ナシだから、後世になにを言われようとも平気の平左。崇拝信仰する祖先(岸シンスケや大久保利通)の生まれ変わりを演じて歴史に名を残せば、使命はまっとうした計算。
大日本帝國の茶番劇=日本第二帝政。いやしかし、マルクスは「二度目は茶番劇」って言ってるけど、第二帝政って、長くつづくんだよなあ。低視聴率でも打ち切りにならなくて延々と続く、うんざりする程に凡庸でマンネリなシチュエーションコメディに付き合わされるのは、勘弁して欲しいよなあ。
軽度認知症を抱えたバグ老人たちは、つまらなさ満点のマンネリを好むし、こんだけバグ老人率が高い21世紀ニッポン、第二帝政が多数派に支持されるのも必然? たまったもんじゃない。





帝国の陰謀

帝国の陰謀

うどん覚書


材料

(5人分)
・春/秋 コムギ粉400g(100) 食塩16g(4) 水184g(46)
・夏   コムギ粉400g(100) 食塩20g(5) 水180g(45)
・冬   コムギ粉400g(100) 食塩12g(3) 水188g(47)
*( )の数字はコムギ粉を100としたときの食塩、水の割合(%)

(「日清製粉丸香特雀」に表記してある「材料の割合」より)

◎準備するもの(4〜5人前分)
・中力粉 500g
・塩    29g
・水    240g
・打ち粉(薄力粉でOK) 適量

◎塩分量(Wt%)=0.09×室温+3.55

うどんの打ち方 より)

水分 46% 塩分10%塩水
・小麦粉300g →水138cc→塩13g
・小麦粉400g →水184cc→塩18g
・小麦粉500g →水230cc→塩23g
・小麦粉600g →水276cc→塩27g

【手打ちうどんの作り方!】父ちゃん直伝! UDON より)


うどんの太さ

 細麺:2.2mm×2.7mm(茹で上がり 2.4mm×3mm)
切麺:2.8mm×3.6mm(茹で上がり 3mm×4mm)
 太麺:3.1mm×4.0mm(茹で上がり 4mm×5mm)
極太麺:3.5mm×4.5mm(茹で上がり 5mm×6mm)

(「亀城庵の麺の太さについて」より)



うどんつゆ

・出汁500ml
・醤油大さじ2
・酒小さじ1
・みりん小さじ1/2


きつねうどん(関西風)用うどんつゆ

・出汁600ml
・薄口醤油小さじ1
・酒大さじ1+1/2
・塩小さじ1
*油揚2枚を水砂糖醤油で炊くのでつゆの方は甘みなし?

きつねうどん(関西風)レシピ より)


味噌煮込みうどん

濃い目の鰹だし 500ml
八丁味噌 大さじ2〜3
酒大さじ1
砂糖大さじ1/2

名古屋の味◇味噌煮込みうどん  より)


生パスタの作り方

中力粉 500g(100g)
卵  5個(1個)→水分率77%
オリーブオイル 15cc(3cc)
塩  5g(1g)

強力粉 250g
薄力粉 250g
卵(M)  3個
水 50cc
オリーブ油10g
塩 5g

生パスタの作り方 より)

ディラムセモリナ粉 500g
卵  4個
卵黄 2個分
オリーブオイル 15cc
塩  少々

(「生パスタの打ち方」より)


喜多方ラーメンのレシピ

●カエシ
和風ダシ100+醤油150+砂糖20+塩20

喜多方ラーメン七彩ver
●動物系スープ 使用する量(g)
1 純水 2000
2 青森県産桜姫鶏ガラ 419
3 しゃもダシガラ 500
4 ぼんじり 150
純水 1500
5 モミジ 281
6 ネギ 70
7 タマネギ 200


●和風スープ 
8 純水 1200
9 瀬戸内産白口焼煮干 70
10 青口煮干 30
11 アジ煮干 30
12 さば、むろあじイワシの混合厚削り節 30
13 昆布 20


●醤油タレ
14 和風スープ 100
15 弓削多有機醤油 150
16 かえりイリコ 10
17 甜菜糖 20
18 ゲランドの塩 10
19 ヒマラヤ岩塩 10


●香味油
20 掬った鶏油 50
21 サラダ油 60
22 下処理した煮干頭 20
23 タマネギ 10
24 ニンニク 10


●多加水熟成中太ちぢれ麺
25 ゆめ飛龍 200
26 特ナンバーワン 200
27 白樺 100
28 塩 5
29 蒙古王かんすい 5


●トッピング
30 ネギ 80
31 豚バラブロック 200
32 メンマ 80

「喜多方ラーメンの再現に挑戦!七彩ver.@自作ラーメン」より)

街中をそぞろ歩く者を路地は消え去った時間の奥底へと引き込む

街中をそぞろ歩く者を、路地は消え去った時間の奥底へと引きずり込む。

Den Flanierenden leitet die Straße in eine entschwundene Zeit.
Ihm ist eine jede abschüssig.
Sie führt hinab, wenn nicht zu den Müttern, so doch in eine Vergangenheit, die um so bannender sein kann als sie nicht seine eigene, private ist.
Dennoch bleibt sie immer Zeit einer Kindheit.
Warum aber die seines gelebten Leben?
Im Asphalt, über den er hingeht, wecken seine Schritte eine erstaunliche Resonanz.
Das Gaslicht, das auf die Fliesen herunterstrahlt, wirft ein zweideutiges Licht auf diesen doppelten Boden.
[M1-2]

Walter Benjamin "Das Passagen-Werk" Der Flaneur より)

街路はこの遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。
遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ。
この坂は彼を下へ下へと連れて行く。母たちのところというわけではなくとも、ある過去へと連れていく。この過去は、それが彼自身の個人的なそれでないだけにいっそう魅惑的なものとなりうるのだ。
にもかかわらず、この過去はつねにある幼年時代の時間のままである。
それがしかしよりによって彼自身が生きた人生の幼年時代の時間であるのはどうしてであろうか?
アスファルトの上を彼が歩くとその足音が驚くべき反響を引き起こす。
タイルの上に降り注ぐガス灯の光は、この二重になった地面の上に不可解な(両義的な)光を投げかけるのだ。
[M1-2]

ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論 - III 都市の遊歩者」 M 遊歩者 より)


The street leads the flâneur into a forgotten time.
For him, every path is steep.
It slopes downwards, if not to the Mothers, then to a past that is all the more enchanting for not being his.
Nevertheless, this past will always be a childhood.
But why should it befrom his own life?
In the asphalt upon which he treads,his steps have a strenge resonance.

("FLÂNEUR 3 : BENJAMINS SHADOW" より)


 Proust über Nächte tiefen Schlafs nach großer Ermüdung; »Elles nous font retrouver là où nos muscles plongent et tordent leurs ramifications et aspirent la vie nouvelle, le jardin où nous avons ètè enfant. Il n’y a pas besoin de voyage pour le revoir, il faut descendre pour le retrouver. Ce qui a couvert la terre, n’est plus sur elle, mais dessous, l’excursion ne fuffit pas pour visiter la ville morte, les fouilles sont nècessaires.« Die Worte gehen gegen die Weisung, Statten aufzusuchen, an denen man Kind war. Sie behalten aber ihre‹n› Sinn auch als Wendung gegen die mèmoire volontaire. Marcel Proust: Le côtè de Guermantes I Paris 1920 p 82
[K9,1]

Walter Benjamin "Das Passagen-Werk" Traumstadt und Traumhaus, Zukunftsträume, anthropologischer Nihilismus, Jungより)



パサージュ論 第3巻 (岩波現代文庫)

パサージュ論 第3巻 (岩波現代文庫)

Das Passagen-Werk (Vollstndige Ausgabe): Die Straen von Paris: Einer der Grundlagentexte materialistischer Kulturtheorie - Blick in die Jetztzeit des Sptkapitalismus (German Edition)
Walter Benjamin
http://amzn.asia/18IO1Hz

遊歩者 其ノ三 : ヴァルター・ベンヤミンの影

FLÂNEUR 3 : BENJAMINS SHADOW

https://www.youtube.com/watch?v=daTc3tH0uy4


監督:Torben Skjodt Jensen

The director and producer. Born in Aalborg in 1958, moved to Roskilde in 1965. O-levels from Lyng School, Svogerslev 1975 HF-examination Roskilde Cathedral School 1977. Studied Film Studies at the University from 1978-82.
Worked on comic publishers Inter Press / Rune Press from 1976-1983, editor of Colored Pages, a magazine about comics. 1981-85: music and film writer for magazines Staccato and Young Nu. 1983-84 graphically organizes the Gutenberg House / Select Video.
Debuting with the first video productions at the Danish Video Workshop, Haderslev 1983. Sad to project editors at the workshop in 1984 and 85. First production at the Danish Film Workshop in Copenhagen in 1987, program officer at the projects "Next Stop, Soviet" (rocks), "Instant Karma "(rocks) and" Museum Europe "(rocks) in the workshop between 1988 and 1993. the project editors 1992. from 1985 to 1987 co-owner of the production company Film Angels. From 1987-88 part of the practice Drawing Workshop, Frederiksberg, div. graphic productions and commercials. From 1989-1991 part of the practice man overboard, Copenhagen.
From 1991 to 1994, in collaboration with Thomas Gammeltoft / Film & Sound. From 1994 to 1996, together with Henrik Moller Sorensen / ASA Film. From 1995 to 1999, in collaboration with Steen Herdel / Herdel Filmproduktion. 1996-1999 and 2003-2006 in collaboration with Thomas Stenderup / Final Cut Productions. 1998-2001 in collaboration with Thomas Gammeltoft / Angel Productions. 2000-2003 in cooperation with DR Fiction, Ingolf Gabold / Piv Bernth, transmissions and theater transfers. In 2009 collaboration with Mette Heide / Picture Plus. From 1996 to 2011 holds by the Enterprise Point of no Return Productions.

脚本:ULF Peter Hallberg

Ulf Peter Hallberg, born December 4, 1953 in Slottsstadens congregation in Malmo, is a Swedish novelist and translator. He lives in Berlin since 1983 and since 2013 he teaches creative writing at the Sorbonne University in Paris.
As a writer, he has dwelt on European identity and the individual's place in the big city. These themes will again in the novels, pedestrian glance: A European color theory (1993), the Grand Tour (2005), European garbage: Sixteen way of remembering a father (2009) and Strindberg shade in the Paris of the North (2012) and the essay collection of cities swell together Carl-Henning Wijkmark (2011). Among his other collections of essays include The meaning of life and other concerns with Erland Josephson (2010) and the Theatre-life: Draft a theater arts (2003).
2016 published two volumes with most of his translations of William Shakespeare's drama: The bloody parliament and comic confusion. In addition, Walter Benjamin and William Shakespeare, he has, among others, translated Bertolt Brecht, Roland Schimmelpfennig, Georg Büchner, Rainer Werner Fassbinder, Peter Handke, Molière, Ibsen, Franz Xaver Kroetz, Marius von Mayenburg, Friedrich Schiller, Werner Schwab, Simon Stephens and Frank Wedekind.
1992 he was awarded the Swedish Academy översättarpris for translation of Walter Benjamin, Paris, 1800s capital and the same year the Foundation Natur & Kultur översättarpris. Ulf Peter Hallberg talked summer 1994.

提供:DET DANSKE FILMINSTITUT


1998

参照:
Walter Benjamin’s Philosophical Thought Presented by Two Experimental Films


パリの街にドイツ語が響く感じが、いいなあ。ベンヤミンって30年代ドイツで肥大化した在特勢力に追い出されて、パリへ逃げて、ドイツ語で考えてたんよなあ。

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

2016年日本国立近代美術館のトーマス・ルフ


トーマス・ルフ展が国立近代美術館で開催中
「顔写真を大きく伸ばしたんだ。へ〜・・・・・。で?」
・・・・・・・・・・・・・・・
この手の当たり前の写真を大きくして価値を高めてる写真のことを「坪単価いくらの写真」と呼ぼう。広さ=価値、っていう不動産の価値観に支えられた写真。でかいけど、構成要素はやたら少ないから人件費さえ投入すれば短期間に次々と量産可能で、実にリーズナブルな芸術。
で、これらただただ大っきい写真を買うのは誰か? それはもちろん、不動産デベロッパーさんたち。余剰資金もたっぷりあるし、展示スペースにもことかかない。それよりなにより、面積と価値が釣り合ってるっていう価値観を共有している。「おお! 同志よ!」 。不動産は、安定資産。それを証券化した不動産証券は超安定資産。超安定資産=永遠不変の価値。不動産=面積こそが、不動不変永遠の価値を表象する。ゆえに、大っきい写真には、不動不変永遠の価値がある。不動不変永遠の価値こそ、芸術! アリガタヤアリガタヤ。
愚か。
そもそも不動産=不動の資産って神話は、2008年リーマンショックで解体したよね? 土地を担保にしてようが、変動相場で売り買いされてる以上は、相場の気分次第で価値が上下するただの「商品」。不動産だろうが、家屋だろうが、土地だろうが、小豆相場やらレアカードトレードやらと変わらない。17世紀オランダの「チューリップ恐慌」を思い起こそう。チューリップの球根を大の大人が必死になって全財産賭けて売買してたことがあったんだぜ? 不動産もそれと同じってことが、2008年にははっきりしてる。今は、2016年。なんで今更? なんで今更、面積至上主義の写真を国立美術館でやるの??? そのことの国家的意義やいかに?
実は意義はある。
2008年リーマンショックで不動産もバブル商品にすぎないと世界的には認識されているにもかかわらず、アベノミクス下のニッポンでは、今まさに「不動産バブル」中だから。アベノミクスで溢れ出た余剰資金(元は国債のわけだが)は、ぜ〜〜〜んぶ不動産投資にまわっていて、今やニッポンは、不動産バブル状態。「今って21世紀だよね?・・・不動産バブルって30年前の話でしょ?・・・」と不安になるが、実際そうなっているんだから仕方ない。アベノミクス下の2016年ニッポンは官製景気の不動産バブル中。なんかねえ・・・。
不動産バブル投資で危うい官製好景気を演出しているアベノミクス日本。その国の首都で、いまだリーマンショック以前を彷彿させる「坪単価至上主義写真」を「国立」美術館で展示。これぞタイムリーな時勢感覚! まさに「お役人ニッポン」の取り残され具合と、カモられぐあいを表象していて実に感慨深い。
嗚呼、素晴らしい、見事にアベノミクス経済を表象した展示だ。


恐慌論 (岩波文庫)

恐慌論 (岩波文庫)