原告Aの廃墟写真裁判


丸田祥三の廃墟写真裁判、原審の方は、66頁もある。まるまるコピーはできない。
平成21年(ワ)第451号 損害賠償等請求事件

判決
東京都町田市〈以下略〉
原告A
訴訟代理人弁護士 野間啓 同 小倉秀夫
東京都新宿区〈以下略〉
被告B
訴訟代理人弁護士 野間自子 同 伊東亜矢子


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

原告Aが丸田祥三
被告Bが小林伸一郎



判決文引用しつつ書いたら、やたらと長くなった。長々読むようなもんでもないのでまとめると、丸田祥三側の主張は、3点。

1) 自分は廃墟写真の先駆者であり、自分へのリスペクトなく廃墟写真を撮影すべきではない。
2)「廃墟写真」は独自ジャンルであり、他の写真とは根本的に異なる。「廃墟写真」に於いては、「廃墟発掘」が第一義となる。
3) 2)の理由により、廃墟発見者以外が廃墟を撮影する場合は、発見者の利益を損ねないよう配慮すべきである。

1)の「丸田祥三は廃墟写真の先駆者か?」については、裁判所は判断を保留している。なぜなら、判決に関連しないから。
2)「廃墟写真」なるものの独自性については、認めていない。「廃墟は撮れるものなら誰でも撮っていいものだし、誰が発見したかなんて特定できないし、前に誰か撮影したかどうか調べるなんて不可能でしょ?」と。
3)廃墟発見者の法的権利については、2)が否定されている以上、成立しない。


思うに、丸田祥三は自分以前の写真のことを殆ど知らずに活動してきたのだろう。自己愛に満ちた人物が無知のまま活動していたが故に、「誰からも打ち捨てられた廃墟。ボクだけが廃墟の美を知っている。ボクが発見してボクが廃墟に生命を吹き込んだ! ボクって特別!」と妄想できていた。それを裏付けるかのように写真集もよく売れた。NHKにも取材された。妄想が実証された気分だったのだろう。そんな折、自分と同モチーフの廃墟写真が発表された(と、いって982点の写真のうち10点、わずか1%!) 普通なら、「ああ、ネタがカブったか・・・」で終わるところだが、「廃墟の美はボクだけが発見できる特別なもの」と思い込んでるから、さーたいへん。一気に「アーッ!! こいつ、ボク(の天才ぶり)を妬んで盗作した!!」と逆上した、という辺りか?
しかし、司法判断を問うてしまったのが、間違いだ。思い込みや信念は、司法判断に反映しない。客観的に判断すれば、彼の(彼だけの!)「廃墟写真」なるものはあり得なかった。「風景写真の一種」として慣例にしたがって処理された。「別に特別じゃねえよ。風景写真なんだから誰でも撮っていいもんだろ」と。本当のところ、廃墟は、古くからあるありがちな題材なのだから。


原審の判断が控訴審でも支持された。上告審では、証拠調べは行われず、法解釈のみに争点が絞られる。ってことは、著作権著作者人格権の適用についての争いになるのか? ちょっとひっくり返りようはないと思うが、どんな判決になるんだろうか。早期決着を望む。(っていうか、早く終われよ)


追記:
どうでもいいが気になったこと。
「廃墟」を検索してみたら、粉川哲夫「廃墟への映像」(青土社)という本がひっかかってきた。1987年刊行。ということは、執筆時期は80年代後半。 粉川哲夫は、その頃、和光大学で教鞭をとっていた。丸田祥三らは、80年代の和光大学出身。粉川哲夫の講義を受講していても不思議はない。「廃墟写真の先駆者」を称する人間が80年代廃墟ブームの影響を受けている可能性がちらつく訳だが。「先駆者」に価値がないならなんの問題もない話なんだが、ちょっと気になる。読んでみるか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


以下、引用しつつ、長々と。
引用がごっちゃになって読みづらくなったので、色分けしてみた。
原告丸田側の言い分が緑色。被告小林伸一郎側の言い分が青色。裁判所の判断が赤色


具体的な内容を読むと、丸田祥三側の主張が異様。その過剰な思い入れが気持ち悪い。

「廃墟写真」を見る者を最も惹き付けるのは,その「廃墟」が持つ妖しげなあるいは物悲しげなあるいは郷愁を誘うような美しさである。写真家はこの美しさを伝えるために,撮影時刻,露光,陰影の付け方,レンズの選択,シャッター速度の設定,現像の手法等において工夫を凝らすのであるが,富士山の風景写真等とは異なり,その「廃墟」が 被写体として写し出されていることにその写真の特徴を見出すのである。

廃墟写真という分野においては,最初にその廃墟に「美」を発見したのは誰であるのかということが重要であるから

ふむ。思い込むのは、彼の勝手だが、「事実か?」となると根拠はない。「なぜ富士山等の風景写真とは異なるのか?」の証明もない。彼が「『廃墟写真』は特別だと信じる」「『廃墟写真』は特別だといいなあと思っている」だけの話。

1992年(平成4年)の渋谷での「A展」,1994 年(平成6年)の東京電力「A展」とも,廃墟写真という写真ジャンルを確立する契機となった写真展であり

これまた根拠はない。 「写真史」的にも「美術史」的にもそんな話は聞かない。なにをどう間違ってこんな思い込みが刷り込まれたのか想像もつかない。「廃墟写真」の特異性についてと同じく、丸田祥三が思い込んでいるだけ。そういう事実はない。

原告は,プロの廃墟写真家の先駆けのような存在であり

「自分は廃墟写真の先駆けである」という点が、どうしても譲れないらしい。これも全然わからない。どういう経緯でそう思い込んだかすら謎。
小林伸一郎のことを

ありふれた都会的風景写真等でプロの写真家として生計を立てていた被告がこれに代わる将来性のあるジャンルを 模索して上記写真展に来場していても不思議ではないこと,

と、決めつけている。写真展に来場していても不思議はないが、それ以上の確率で来場していなくても不思議はない。それにしてもえらい言われようだ。でも小林伸一郎側から、

被告は,1980年代から廃墟の写真を撮影しており,1991年(平成3年)には,1980年代半ばから後半にかけて撮影した 東京ベイサイドの廃墟写真13点を掲載した写真集「Tokyo Bay Side」(乙12)を出版した。

と決定的な反証が出てる。「将来性を模索して上記写真展に来場」もなにもそれ以前から廃墟は撮っていたようだ。丸田祥三が、1992年渋谷で、その廃墟写真の個展を行う前に、廃墟の写真を含んだ写真集を出してるんだから。
さらに小林伸一郎は、

さらに,被告は自らが廃墟写真の先駆者だとも考えていないし,先駆者であることの利益があるとも考えていないから,自分が廃墟写真の先駆者であるかのように装って行動したことは一度もない。このように被告にとって「先駆者たる地位」には何の意味もないから,他者の「先駆者たる地位」を冒用しようなどとは一切考えておらず,そのような主観的意図をもって被告が行動したことは一切ない

と言ってる。なぜなら、「廃墟は,写真の普遍的なテーマであり,廃墟写真を掲載した出版物は多く刊行され,写真文化として根付いている」から。
小林伸一郎の方がまっとうな歴史認識だ。石内都宮本隆司らが既に廃墟やってたこをおぼえていたんだろう(もちろんもっと前からあるんだろうが)。「東京ベイサイド」と題した写真集出してる人だから、「ウォーターフロント」ブームと同期していた80年代廃墟ブームも記憶にあったのだろう。



あと、めをひくのは、丸田祥三が、35mmネガカラーかモノクロでお手軽に撮影しているのに対し、小林伸一郎は、6×6か4×5 と中判大判フィルムを使用している点。然も小林伸一郎はカラーの自家現像。小林伸一郎の方が全然装備も規模も投資も大掛かり。写真家としてのキャリアと収入が違うことがはっきり出ている。




小林伸一郎は、「太陽賞」の出身のようだ。

被告は,平成3年に平凡社太陽賞を受賞し,その後雑誌「太陽」のグラビア撮影の仕事をしており,その企画の一 つとして信越線橋梁跡の撮影を行った。それらの被写体は編集部が選択した中に入っていた。その時撮影した写真は「太陽」の平成11年11月号に掲載されたが,その中で使われなかった被告写真10を被告書籍3に掲載して発表した。

2 名誉毀損不法行為の成否(争点4)について
(1) 原告は,写真集「亡骸劇場」に記述された被告の発言は,あたかも被告自ら「廃墟写真」というジャンルをゼロから作り上げたかのような事実を摘示するものであり,この事実摘示を目にした一般人が原告の廃墟写真に 接したときは,反射的に,原告が「廃墟写真」という分野について被告の二番煎じを演ずる模倣者であるとの誤解を生ずるおそれがあることからすると,被告の上記発言は,原告の名誉を毀損するものであり,しかも,被告は,原告がプロの写真家として「廃墟写真」というジャンルを確立した 先駆者であることを知りつつ,上記発言を行ったものであり,故意があるから,被告の上記発言は,原告の名誉を毀損する不法行為を構成する旨主張する。

という丸田祥三の主張に対して、小林伸一郎側は「廃墟写真の先駆者」を称してない。

しかし,上記記述部分は,「鉱山の廃墟」を撮影してきた被告が,「鉱山の廃墟」とは別の種類の廃墟を撮影して,それらの廃墟写真を「亡骸劇場」に掲載するに至った個人的な経緯を述べたものであって,上記記述部 分から,原告が主張するようにあたかも被告自らが「廃墟写真」というジャンルを創設したことを述べたものと認めることはできない。また,上記記述部分には,原告及びその写真作品に言及した記載はないのみならず,被告が「廃墟写真」のジャンルにおいて原告の先駆者であるかのような印象を与える記載もない。


丸田祥三が「自分が発掘した」と称している廃墟についても丸田以前に撮影したものがいると実証している。

原告写真1の被写体である丸山変電所及び原告写真3の被写体である大仁金山木造廃屋や原告写真10の被写体である信越線第6橋梁については,原告が主張する発表の時期よりも前に別の写真家の写真が発表されている。

小林伸一郎のあとに同じ被写体を撮影している者がいることも揚げている。

業界慣行としても,誰かが一度でも撮影した廃墟はその者の許可を得たり,その者の氏名に言及したりしなければ後に写真を発表できないなどということは全くなく,被告の廃墟写真を例にとっても,被告の発表後に他者が当該廃墟の写真を発表している例はいくらでもある(乙9・3頁,乙1・別紙7)。

誰でも撮れるし、誰でも撮って良い、ありふれたモチーフであることを実証している。

廃墟写真は古くからあるテーマであり,原告書籍1(「棄 景」)の発表前にもたくさんの写真集等が発表されていたものであって,原告は廃墟写真の「先駆者」ではない。

裁判官の所謂「廃墟写真」への判断は、小林伸一郎の主張と同じ。

「廃墟」とは,一般には,「建物・城郭・市街などのあれはてた跡」をいい(広辞苑(第六版)),このような廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体は,当該廃墟が権限を有する管理者によって管理され,その立入りや写真撮影に当該管理者の許諾を得る必要がある場合などを除き,何人も制約を受けるものではないというべきである。このように廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体に制約がない以上,ある廃墟を最初に被写体として取り上げて写真を撮影し,作品として発表した者において,その廃墟を発見ないし発掘するのに多大な時間や労力を要したとしても,そのことから直ちに他者が当該廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体を制限したり,その廃墟写真を作品 として発表する際に,最初にその廃墟を被写体として取り上げたのが上記の者の写真であることを表示するよう求めることができるとするのは妥当ではない。また,最初にその廃墟を被写体として撮影し,作品として発表した者が誰であるのかを調査し,正確に把握すること自体が通常は困難であることに照らすならば,ある廃墟を被写体とする写真を撮影するに際し,最初にその廃墟を被写体として写真を撮影し,作品として発表した者の許諾を得なければ,当該廃墟を被写体とする写真を撮影をすることができないとすることや,上記の者の当該写真が存在することを表示しなければ,撮影した写真を発表することができないとすることは不合理である。

普通に正論だろう。


Wikipediaの「丸田祥三」の項には、

類似した写真作品及び類似した文章の発表差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こした

ってあるが、間違い。裁判では文章については問題になっていない。写真の類似についてと名誉毀損に伴う損害賠償しかとりあげられてない。
それからこれもWikipediaには、

2009年11月、被告の小林伸一郎側から、『(※小林の著作)「廃墟遊戯」に掲載された写真のキャプションは、当時、複数の者が大量の資料を探し調査して書いたものであり、資料の一つとして(※丸田の著作)「棄景」を参照した可能性はある』と事実上、一部の盗用を認める文書が、東京地方裁判所と原告の丸田側に提出された。

ともあるけど、これも間違い。

なお,原告は,被告書籍1には,原告書籍1(「棄景」)の丸山 変電所の誤った説明がそのまま記載されていることなどを根拠として,被告写真1は原告写真1に依拠して撮影した旨主張するが,写真の説明書きは,被告が写真を撮影し,写真集が出版されることが決定した後で,被告のスタッフや出版社のスタッフが,鉄道雑誌などの資料を何冊か集めて作成するものであるから,説明書き部分が 似ているかどうかは,被告自身が自らの写真を撮影する前に原告書籍1の写真を見て,これに依拠して被告写真1の撮影に臨んだのかどうかとは関係がない。また,原告書籍1と被告書籍1の丸山変電 所の説明書きの部分は,字数も限られた中での被写体の単なる説明であり,どちらも文章自体に特段の工夫が凝らされているわけではないから,内容が似通ってくるのはむしろ当然である。被告書籍1 の上記説明書き部分を作成するに当たりスタッフが原告書籍1の上記説明書き部分を参考とした可能性を完全には否定はできないものの,被告書籍1の説明書きが少なくとも原告書籍1のみを資料として作られたものでないことは明らかである。そして,上記説明書き部分は,あくまでも,写真集の出版が決まり,被告写真1を掲載作品として選んだ後に,出版社の編集方針として作成されたものであり,被告が原告写真1に依拠して被告写真1を撮影したことの根拠とはならない。

って、小林伸一郎側は全面的に否定してるし、裁判官はそのことについてなにも言及してない。



くだんねえ。すべて、「そうにちがいない!」「そうに決まっている!」という丸田祥三側の思い込みに依拠しているだけ。それらが「法的保護」を要するという証拠はなにもあがっていない。よくこれで訴訟おこした。
丸田祥三側が最高裁へ上告中って話だが、丸田側の上告が棄却されたら、小林伸一郎は、丸田祥三や検証サイトやらを相手に損害賠償訴訟や名誉毀損訴訟やらをおこすんだろうか? 写真スタジオを経営しているようだから、そちらへの損害を計算にいれるとかなりの賠償請求額になることだろう。



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