吉田健一のイッヒッヒッ

 大岡昇平が語る「吉田健一」は、松岡正剛が書いてるような「吉田健一」とかなり食い違う。

 松岡正剛は、「吉田健一」とは、畏怖すべき、「日本のヴァレリー」とでも呼ぶべき、ダンディズムに溢れた、神秘文士だ、と書いている。
 しかし、大岡昇平の証言は、まるきり異なる。
 大岡昇平が言うには、「吉田健一」は、奇声を発してキャアキャア騒ぎ、下品で、ひがみっぽくて、「エッヘッヘッ」「イッヒッヒッ」と下卑て笑って嫌がられてる、嫌われ者だったそうだ。

 吉田健一の肖像写真のキャプションに付けるなら、大岡昇平吉田健一像の方が相性がいいような気がする。とてもじゃないが、「畏怖すべき」とか「ダンディズム」とかとは相容れない貧弱な容貌をしているから。アーサー・ラッカムが描くマザーグース婆さんとかいびつな男とか、「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムとかそっち系の容貌だろう。ゴラム系を、ダンディとは呼べないだろう、いくらなんでも。畏怖もしないよねえ、普通。

 まあ、松岡正剛の書評の信憑性なんてその程度のものなんだろうが。


 埴谷 「鉢の木会」自体が割れてきたということ?
 大岡 最初は三島由紀夫吉田健一との仲が悪くなったんだよ。会えば会うほど吉田の奇声にはみんな悩まされた。
 埴谷 おれもあれにはまいった。
 大岡 モーツァルトが聞いたら発狂するだろうという調子っぱずれな声でワアワアやるんだよ。
 埴谷 ことに酔っぱらってくるとひどかったよね。
(略)
 大岡 三島ばかりじゃなくて、吉田健一吉田茂の息子だからね、おれとの仲も悪くなって、(略) というのはつまり、おれは当時吉田茂と同じ大磯にいただろう。茂は選挙会場へ下駄ばきのまま上がってきたり、海岸を独占したりめちゃくちゃだから、地元じゃ評判がよくない。こっちは外国から帰ってきて税金でギューギューいわされていて、なにからなにまで差し押さえられちゃっているというのに、年収は吉田茂のほうがおれより下なんだ(笑)。おれは頭来ちゃってね。
 埴谷 へえ、首相の吉田茂のほうが大岡昇平より年収が下なの? それはおそれいるね。
 大岡 そんなことをオーバーに書くからね。吉田健一だってやっぱりおもしろくないわけだよ(笑)。だから、おれが大磯へ行ったということでおれと吉田の仲がだんだん悪くなったということはいえる。
(略)
 大岡 そういうわけで吉田はかわいそうなんだ。だけどもちろん彼自身悪いところもあるんだよ。三島が家を新築したとき、お祝いにわれわれは招ばれたんだよ。三島の例のロココ風の家というのはおれもあまり気にいらないけれど、新築祝いに招ばれたんだから、いろいろほめるわけだよ。ところが吉田は、なにか置物を手に取って「おっ、これはどうも高そうなもんでございますね、エッヘッヘッ」って調子だ(笑)。料理が出てくると、「あっ、これはとても普段食えない」って(笑)。三島は東京会館のレストランからコックを呼んできてちゃんとした料理を出してるのに、吉田がその調子だから、三島はいやな顔をする。おれたちも困ってね。それで吉田を送って、吉川逸治が帰ってから、おれと中村光夫が残って三島を慰めたよ(笑)。
(略)
 おれの方は、虎の門の福田屋に集まったとき、またキャアキャア、例の声だ。それからあの頃吉田はひがみっぽくってね。三島とおれはとにかく流行作家だけど、吉田はおやじがいつまでも死なないから、始終翻訳してなきゃならない。いうことがいやらしいものだから、「おまえの声にはみんながまんしてるんだ、「鉢の木会」というのは我慢会じゃねえぞ、おまえは抜けろ」って言ったんだよ(笑)。そうしたらあいつ、びっくりしてね。そりゃそうだよ、吉田は発起人で、おれはあとで入れてもらったんだから(笑)。さすがにあいつも、「おれよりおまえ抜けろ」って言ったけど、おれのほうが先手を取ってるから、あいつの声は小さかった。だけど、おれは賞のときには福田にも票を入れたし、吉田にも票を入れた。みんな入れたよ。吉田の『ヨーロッパの世紀末』なんてのは、おれは下敷きの本を知っているから全然認めないけれどもね。ただ彼の小説は、おれは最初からずっと感心してた。
 埴谷 うん、あれは吉田だけにしかできない実に特殊な表現だね
 大岡 六七年に、おれは朝日の文芸時評をやってたから、あいつの小説を、あまりたいしたものじゃなかったけど、お愛想にほめたんだよ。そうしたら次の「鉢の木会」のときに、あいつ、「大岡さん、なんか言ってましたね、イッヒッヒッ」って言いやがった。本当にしゃくにさわる(笑)。それでおれ、中村に電話して脱退したんだ。

大岡昇平 埴谷雄高「二つの同時代史」1984

吉田健一「宰相御曹司貧窮す」


表紙絵は、近藤日出造による吉田健一吉田茂の似顔絵。
反転すると、

こういう印象の人だったんだろう。中味もこんな感じの本。「イッヒッヒ!」がよく似合う。




二つの同時代史 (岩波現代文庫)

二つの同時代史 (岩波現代文庫)