左翼総会屋雑誌の消滅、そして言葉のインフレ


で、吉本隆明らが舞台にしてた媒体って、実は商業誌じゃなかったらしい。1981年の商法改正まで「左翼系総会屋雑誌」というものがあって、そこが舞台だったようだ。写真関係には、「中平卓馬の」で有名な「現代の眼」もそう。経営者は児玉誉士夫につながるような右翼だったようだが、誌面をつくっていたのは反代々木で反革共同新左翼たちだったようだ。もっとも鈴木邦男野村秋介新右翼も関わっていたのだから・・・複雑といえば複雑。企業と労組政党(どいつもこいつもスターリニストなんだそうだから)へのイヤガラセになればなんでもよかった、ってことかもしれない。
それら総会屋雑誌が商法改正に伴い運営できなくなり消滅した。と時を同じくしてバブル経済が進行、その恩恵で文芸誌も分厚くなり、分厚くなった結果書き手不足がおきて、総会屋雑誌でしか書けなかった吉本隆明らも文芸誌で書けるようになってきた。
分厚く膨れ上がった「売れれば勝ち」の80年代文芸誌。「言葉のインフレ」の中、吉本隆明は書いて書いて書きまくった、「反左翼的サヨク芸人」として。
では読み手は?
共産党にも肩入れできず、革共同で真面目に労働運動する程にリスクをおかす気もないまま年取って地位も金も手に入りはじめて、「転向します」と宣言するのも癪だと思っていた心情サヨクの三十代全共闘シンパたちだったのだろう。
糸井重里が代表格かもしれない。元新左翼広告屋。彼も60年代学生時代は中核派の活動家だったって話だから・・・誰でもサヨクだった時代があったんだろう)
「俺は転向してねえよ、国家と資本が対立したら資本につくのが正しいんだもん、資本と労働が対立した時にはじめて労働の側につけばいいんだからよ、今の労組なんて全部ソフトスターリニストだから国家の手先さ。 だから、結局、やっぱり、資本に味方するのが当たり前ってことだろ? 逆に言うと。」と居直れるからね。反核エコロジーも、国家権力に加担する「スターリニスト」の仕業だから、異論を出して、資本に加担する。「加担する」っていうか、「なにもしない」。
しかし、考えてみりゃあ、「国家vs資本」でなぜ資本に加担するのかの証明がよくわかんない。まあ、最悪の意味で「詩人の文章」しか書けない人だから、単語の意味付けが恣意的で「てにをは」が間違ってて、なに書いてるんだかよくわかんないだけどさ。なんでもかんでも「スターリニスト!」ってレッテル貼りする罵倒も芸がないよね。埴谷雄高のことまで「スターリニスト!」って言ってたもんな。無意味だよね。


  「現代の眼」とか「構造」「流動」とかって左翼総会屋雑誌というものがあった。七〇年代は基本的に総会屋雑誌における陣取り合戦をやっていたわけですよ、全共闘OBたちは。ところがそれが商法改正(一九八二年)になって左翼総会屋がなくなっていくなかで、日本のメディア情況はかなり変わっていったと思うんですよ。よくも悪くもかつてはヒエラルキーがあったんですよ。岩波があり朝日があり、一方で文壇があり書評誌があり、総会屋雑誌がある。商法改正等々によってヒエラルキーが崩壊していくわけです。
宮崎 でもそれは、総会屋雑誌という一隅の出来事にすぎないわけですよね。それがなんで全体のヒエラルキーの瓦解につながったのですか?
  一方でバブルという問題が入ってきて、それ以前から文芸誌が爆発的に紙面が厚くなってくるんです。それから、「パイデイア」「エピステーメー」とか「現代思想」といった雑誌が出てきて、研究者も岩波だけが目標じゃなくなってくる。そうすると書き手が必要になってくるんですよ。それで、かつて総会屋雑誌にしか書けなかったような人たちが吸い上げられてくる。例をあげると、松本健一は「現代の眼」で書いていただけなわけで、それが今やシブい文壇・論壇の人になってしまうわけだ(笑)。桶谷秀昭もそうだし、吉本だってそうです。年に一回くらい文芸誌にお呼びがかかる人だったわけで。
高澤 「海」と「文藝」くらいでしょう、文芸誌では。その当時吉本が「新潮」に書くなんてことは絶対にありえなかった。
  ありえない。その意味でヒエラルキーが崩壊しちゃったんです。
宮崎 ページ数の増大あと編集者のエートスがかわってきて・・・・
  そう変わってきて、もう売れるが勝ちということでしょう。
高澤 七〇年代終わりころから、もう言葉のインフレ化とかいわれてましたよ。
  小説をどんどん量産したいということですよね。なんか知らんけど小説は商売になるということじゃないですか。村上龍村上春樹以降。

(絓秀実 宮崎哲弥 高澤秀次「ニッポンの知識人」1999年)





「ニッポンの知識人」には、「商法改正(一九八二年)」となってたけど、Wikipediaをみると「1981年(昭和56年)改正 - 6月9日公布、1982年(昭和57年)10月1日施行」となってる。施行は1982年なんだから大した間違いではないが、間違い探しに命を賭けてる連中もいるから念のために註。

1981年(昭和56年)改正 - 6月9日公布、1982年(昭和57年)10月1日施行
1975年(昭和51年)のロッキード事件、1978年(昭和53)年のダグラス・グラマン事件等の会社資金不正支出という不祥事が明るみに出された結果、このような事件を会社が自治的に防止できるような措置を講ずるための改正がなされた。
株式制度の合理化(株式単位を5万円に引き上げ、単位株制度・端株制度の導入など)
監督制度の強化
議案提案権、取締役の説明義務、総会決議無効・取消しの訴え
総会屋排除のため、株主への利益供与の禁止
取締役会・監査役の監督権限強化
株主・会社債権者に対するディスクロージャー
新株引受権付社債の新設
商法特例法の大会社の範囲拡大(資本額のほかに、負債総額も基準にする。)、複数監査役制度および常勤監査役制度の法定。

Wikipedia:商法





「総会屋雑誌」の情報もWikipediaに詳しい。「新聞屋」って言われてたのか。「現代の眼」もはっきり上がってるね。「日本読書新聞」もそうなのか? これは意外。確か絓秀実が「日本読書新聞」の編集だった筈。

新聞屋(出版屋、雑誌屋、通信社など)
総会屋とブラックジャーナリストの中間に位置し、内容の無い新聞や雑誌を発行して、購読料・広告代の名目で利益を得ようとする者。このため総会に出席しない者も多い。
ただ新聞ダイジェストだけの季刊雑誌が多い中、『現代の眼』(木島力也)、『創』(小早川茂)、『流動』(倉林公夫)、『日本読書新聞』(末期、上野国雄)、『新雑誌X』(丸山実)など、月刊誌や業界紙として比較的知名度が高く、一般書店で扱われたものも存在し、『イエローペーパー』と総称された。これらの雑誌では、編集内容と総会屋活動とを別個としていた場合もあり、今日のジャーナリズムや文壇で活躍する人間でも、若い頃はこの手の雑誌で働き糊口をしのいでいた人間も少なくない。

で、1981年商法改正が総会屋に及ぼした影響は?

法による規制は1981年(昭和56年)の商法改正以前と以後に大別できる。
同年以前は総会屋に対して商法494条(当時)の『株主が株主総会株主権の濫用をすることにより他の株主の発言や議決権の行使を妨害するように依頼をする[不正の請託]が商法違反にあたる』とする規定が存在していた。1962年の東洋電機カラーテレビ事件はモデルケースの一つである。
1981年の商法改正は総会屋に関していえば端株主を株主総会から閉め出す案が立法化され、「不正の請託」であるかないかを問わず株主の権利行使に関して会社の財産を支出した時点で刑事罰の対象とする点が目を引いた。単位株導入、利益供与禁止制度新設がその柱である。
『単位株制度の導入』の単位株とは額面50,000円に相当する数の株式を1単位とした場合、50円額面の場合(50×)1000株、500円額面の場合(500×)100株の株式を持たなければ議決権を行使できなくなり単位未満の端株を持って株主総会に出席していた総会屋は排除され、会社も株主総会招集通知の通信費や運営の費用を減らせるメリットが生じるとされた。
『利益供与禁止制度の新設』は会社又はその子会社の計算で株主の権利行使に関して利益供与をした場合、会社の取締役、監査役およびこれらの職務を代行する者、支配人その他の使用人と利益供与をうけた者は商法の罰則規定により刑事上の制裁(6ヵ月以下の懲役、または30万円以下の罰金)を受けるものとした。
1982年(昭和57年)の10月1日に改正商法が施行されると、単位株制度は実際に多くの総会屋を株主総会から閉め出し、会社から総会屋への対策費などの支出も減少したが、生き残りをかけた総会屋の活動も活発になる。1984年(昭和59年)1月30日のソニー株主総会では12時間半という記録的な「マラソン総会」となり、「総会屋は死なず」という衝撃を世間に与えた。
しかし、総会屋排除の気運はもはや時代の要請でもあり、書面による株主の質問への一括回答方式、権限が拡大された議長が運営の主導的な立場をうち出すという地道な努力を続ける企業が確実に増えていた。一方で総会屋との水面下の交際が続いている企業も依然としてあり、そんな中、商法改正と同じ年の1997年(平成9年)の金融スキャンダルが発覚、報道された。この件で警察・検察は企業のトップにも峻烈とも思える厳しい態度で臨んだ結果、狭い業界内部で情報が漏れる危険を犯しながら総会屋との交際を続けようとする企業も激減、上場企業の多くは株式の持ち合い保有をやめており、外国資本が参入した証券界では証券取引の監査組織が法令遵守を上場企業に求めるという時代になっている。
2006年5月1日に施行された会社法では、株主の権利の行使に関する利益の供与(会社法第120条)として規制されている。

Wikipedia:総会屋




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