イーストウッドの「運び屋」は、まるきりミスキャスト。加えてイーストウッド監督に撮れる題材でもない。「人生、寄り道、楽しまなくちゃね」とかって感じぜんぜんしないんだもん。イーストウッド、せっかち。じいさんが乗ったトラック、ビューーンってスクリーン横切っていく。よたよた走ってる感、まるでない。
+
「誰が撮るべきなんだろう?」って考えたけど、老オーソン・ウェルズだ、っていう結論に落ち着いた。
老オーソン・ウェルズなら、映画会社が蒼くなるのもかまわず贅沢にフィルムを長回しをしまくって、おんぼろトラックがアメリカの田舎をよたよたよたよた寄り道しながら走るところ撮るだろうねえ。トラックの中では、オーソン・ウェルズが、太鼓腹を揺すりながら葉巻をふかしハンバーガーを齧り怪しげな歌を能天気に歌いあげ、若くもなければ美人でもない上にスタイルも悪いアメリカの田舎女たちにでれでれでれでれと媚を売りまくる。このスケベじじい!
おんぼろトラックに乗った老フォルスタッフのコカイン運び屋。
すげえ観たいなあ。
1983年の村上春樹宅
「FM fan 1983年No.7 3/14-3/27」(共同通信社)掲載
「音のあとりえ:『芦屋』発『ジャズ喫茶』経由『作家』行き」より
撮影・平郡重典/イラスト・内山雄仁
イラスト・内山雄仁
☆村上さんの本の層がを担当している佐々木マキさんの絵
☆奥さんの趣味だとかで、ネコの置物がいっぱい
☆THE MARX BROTHERS の映画のポスター
☆この部屋の設計は、すべて奥さんまかせとの事です。ただし、プレイヤーとスピーカーのセッティングは村上さんが指定しました。
☆竹で編んであるやぎの置物 背中のフタを開けると小物入れになる
☆色エンピツが数本
☆村上さん原稿はいつも万年筆で書いています。モンブラン149を愛用
☆スピーカーは自作でJBL ・ツィーター2402 ・アッテネーター3105 ・スコーカーH5039 ・ウーハーD130
☆ピアノ、ヤマハ
イラスト・内山雄仁
☆今は亡き天才ピアニストグレングールドのポスター
☆ネコの置物 メキシコのもの
☆レコード 3000枚ぐらい 6割はジャズで あとはロックとか クラシックなど
☆パワーアンプ Sansui BA-3000
☆プリアンプ Marantz 3600
☆プリアンプ Sansui CA-3000
☆プレイヤー GARRARD 401
☆プレイヤー DENON DP-3000
☆オープンデッキ Technics 1500
☆オープンデッキ TEAC X-10R
☆カセットデッキ Lo-D D-88
☆デッキ TEAC CX-350
☆チューナー Technics BOT
☆カートリッジ PICKERING XV-15/625E SHURE VIS TYPE Ⅲ
☆カメラ Canon AUTO FOCUS AF-35M
製パン覚書
食パン%
イーグル100
砂糖5
塩2
ドライイースト0.8
全脂粉乳3
バター5
水71
「基本の食パン」
食パン1斤
強力粉 250g
きび砂糖 12g
塩 4g
スキムミルク 6g
インスタント ドライイースト(赤) 3g
水 175g
バター 12g
捏ね10分
↓
一次発酵(30℃ 60分)→35℃ 40分→40℃ 40分
↓
丸める
↓
ベンチタイム(20分)
↓
型を準備する
成型する1(楕円形)
成型する2(くるくるくるくる)
↓
発酵させる(スチーム発酵 35℃ 55分)→(スチーム発酵 40℃ 40分)→40℃ 35分?
↓
焼く(予熱あり220℃ →200℃ 30分)→200℃ 30~40分
ハンバーガーバンズ(4個)
Φ10cm 1個109g
+
210℃予熱→200℃ 15分
[材料]
リスドォル100%
水70%
モルト0.2%
カンホアの塩1.9%
セミドライイースト赤0.1%
[捏ね等]
オートリズ(水モルト粉を混ぜて30分〜1時間休ませる)
↓
イーストを入れる(塩は入れない)
↓
4〜5分捏ねる
↓
塩を混ぜる(切り混ぜ)
↓
20分弱捏ねる(力を入れない。入れすぎるとべたつき出す)
↓
グルテン膜を確認(薄ければ薄い程によく延びる)
↓
高さを出したい時は、10回程叩きつける
↓
90分一次発酵
↓
パンチ(三つ折りを2回)(高さを出したい時は長く延ばして三つ折り)
[予熱]
1)上段だけに天板を逆さにして入れる。下段は何もなし。
2)過熱水蒸で最高温度まで
[焼き]
1)過熱水蒸で230℃ 10分
2)上段の天板を外し、下段天板を180°ひっくり返す。
3)オーブン 220℃ 15~20分
「PLAYBOY」の悲しき片思い
「2012年9月15日」に書いたもの。読み返してみたら、面白いんで、再掲。
+
昨日からTwitterで書いてるトマス・ピンチョン→ウォーカー・エヴァンス+ロバート・フランク→カラー写真→ロックンロールの話が面白いんだが、まとめようとすると、どこから書き始めていいのかわからない。
Twitterで書き始めると、バラバラのままでまとまらなくなるよな。
+
1955年を舞台にしたトマス・ピンチョン「V」が、アメリカ東海岸のロードを行ったり来たり、ヨーヨーイングに終始しながら、人生を送っているベニー・プロフェインを主人公にしている。
↓
ピンチョンの小説は、むせ返るような安っぽい色彩に満ちあふれている。
↓
「アメリカのロードの写真」と言えば、ウォーカー・エヴァンスとロバート・フランク。ふたりの写真は、頑にモノクロだけど、実際には、ピンチョン的な色彩が満ちた場所だった筈。例えば、ロバート・フランク「アメリカ人」に頻出する星条旗、写真では落ち着いたモノトーンの訳だが、実際には赤白のストライプに青地に白星のけばけばしい色彩。農民たちが着てる服にしろ、ブルージーンだったりタンガリーシャツだったり、黒く見える車は真っ赤っかだろうし等々。
↓
ロバート・フランク「アメリカ人」は1955年の撮影。ピンチョン「V」で、ベニーがうろついてるのと同時期の記録。
↓
ウォーカー・エヴァンスがカラー写真について語っている文章。
“Many photographers are apt to confuse color with noise and to congratulate themselves when they have almost blown you down with screeching hues alone – a bebop of electric blues, furious reds, and poison greens.”
Walker Evans, Fortune magazine, July 1954 issue, page 77.
https://ginagenis.wordpress.com/2011/04/21/walker-evans-quote-about-color-photography/
このブログの人は、1954年のモノクロからカラー写真への変化を、21世紀のフィルムからデジタルへの変化になぞらえてる。まさにそんな感じだったのかもしれない。1954年に、ウォーカー・エヴァンスは、51歳。熟年に達した写真家が、近頃急に流行り始めたカラー写真やらエレキギターやらに眉をひそめてる感じ。
↓
1954年。この年に、アメリカでカラー写真に大きな変化があった。技術的な変化ではなく、法規制によって、複雑な課金システムが廃絶され、コダクロームが急激にひろがりはじめた。(英語がわかんなくてここんとこ自信がないが、なんか法規制があったことは確かだろう)
Because of its complex processing requirements, the film was sold process-paid in the United States until 1954 when a legal ruling prohibited this.
http://en.wikipedia.org/wiki/Kodachrome
↓
その結果、50年代には、「PLAYBOY」誌などは、既にカラーピンナップを多用している。
http://www.x-al.com/Playmates/index.html
↓
「Playmates」のカラー写真を思い浮かべると、51歳のウォーカー・エヴァンスがカラーを嫌がっていた理由もよくわかる。「私たちは『写真家』だ! エロカメラマンなんぞと一緒にされたらたまらん! なんだ、その仰々しい色彩は・・。エレキとか騒々しいノイズが音楽ではないように、毒々しいカラー写真なぞ写真とは認められん。そうは思わんかね、ロバート・フランクくん?」と、31歳のロバート・フランクに振って、まだ駆け出しの写真家だったロバート・フランクが「ですよねー!」と応じて作られたのが、「アメリカ人」
With the aid of his major artistic influence, the photographer Walker Evans, Frank secured a grant from the John Simon Guggenheim Memorial Foundation in 1955 to travel across the United States and photograph all strata of its society.
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Frank#The_Americans
↓
でも、1955年に18歳だったトマス・ピンチョンに映ったアメリカは、コダクローム的な安っぽい色彩に満ち、ノイズと喧噪に満ちた場所だったし、実際、そうだったのだろう。
↓
ロバート・フランクは、この「1954年」の変化をどうしても受け入れることができなかったのではなかろうか?
1973年、ローリングストーンズに密着して撮影された「Cocksucker Blues」 は、時代錯誤にモノクロで撮影されている上、「ロック」に対する嫌悪感に溢れていた。
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ミック・ジャガーは、ロバート・ジョンソンやハウリン・ウルフが大好きなアメリカかぶれのイギリス人で、ウォーカー・エヴァンスやロバート・フランクの旧いアメリカが好きで好きでたまらないんだけど、旧きアメリカの方では、ミック・ジャガーやミック・ジャガーに熱狂するような連中が大嫌い。
「PLAYBOY」の悲しき片思い。
+
っていうような話。
割りと気に入っている。
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セミの悲鳴
「セミの寿命は、七日間」って、人間目線。
セミの寿命って、約七年ってことだろ? で、死ぬ間際の七日間だけ地上で喧しく大声上げて泣き叫ぶ。セミの「ミーンミーン!!」って、人間語に直せば、「痛いよ〜っ! 苦しいよぉ〜っ! 助けてくれぇ〜っ!」っていう病院で老人たちが上げる悲鳴だよね。死にかけると大騒ぎするんだよ、セミも人間も。そんなもん、夏は涼しく冬は暖かな土ん中でぬくぬく暮らしてる方が愉しいに決まってるじゃないか。セミにとって地上は、病院や施設やらと同じもの。
空蝉は、若くてしあわせだった頃の姿だね、もう二度と戻る事のできない。老いさらばえてこんな姿になって木に停まってる惨めな自分に耐え切れずに悲鳴を上げて騒ぎまくってるのが、夏のセミ。
+
「ミーンミーンミーンミーン!! 苦しいよぉっ! 痛いよぉっ!死にたくないよぉっ! もっと土ん中にいたかったよぉっ! ミーンミーンミーンミーン!.....」
進学校落ちこぼれのイタい青春記
「七帝柔道記」の増田俊也(1965年生まれ)は、旭丘高校柔道部の出身で、「七帝柔道記」には、東海柔道部が悪役でチラっと登場する。
+
名門旭丘高校出身とは言え、増田俊也自身は、明らかに旭丘高校の落ちこぼれ。でも、それを頑ななまでに絶対に認めない。「認めない」っていうか、不自然なほどに無視する。
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普通に読むと、増田俊也は、どう考えても、名古屋大学へ行きたくて2浪した人。
旭丘高校柔道部時代、名古屋大学柔道部顧問に「小坂光之介」(井上靖「北の海」登場人物:大天井のモデル)がいることを知って名古屋大学を目指す。しかし、それがなぜかいつの間にか、「名古屋大学柔道部が所属している「七帝柔道」(ヘンな言葉だ。旧帝大で始まった競技だとしたら、「ななてい」じゃなく「ひちてい」の筈だ。それが「ななてい」ってことは、明らかに戦後に出来たマイナー柔道リーグ)へと進路変更してしまう。まあ、普通に考えれば、「名古屋大学受かりそうにないから、偏差値ランク落として仕方なく北海道大学行っった」ってことだが、その「仕方なく志望ランクを下げた」経緯はなかったことになっている。北海道大学でも柔道(それもマイナーなルールのもやしっ子柔道)ばっかりやってたけど、チームは、「もやしっ子柔道リーグ」の万年最下位。ベベチャ。その上、増田俊也は、ベベチャ柔道部チーム内でも大将にはなれない。練習しないからトップになれない訳じゃない。練習ばっかしてる。練習するのだけが好きで好きでたまらなくて練習ばっかやってるのに、もやしっ子柔道リーグの最下位チームの二番手以下の実力。明らかに才能を欠いているのだろう。才能を欠いているのに練習好きだから練習ばっかやってるが、そこは才能のない男の才能のない由縁、「柔道上達の為に創意工夫する知恵」がまるきりなかったようだ。知恵のない練習好きが、「練習の量をこなせば強くなる筈。練習は量だ。時間がすべてだ」と、謎のスポ根でもって必死になって間違った練習にすべてを棄てて打ち込むという、ダメ人間スパイラルに陥っているダメ男。
加えて謎なのは、もやしっ子柔道リーグの最下位チームであり、試合に勝ったことはないのに、「俺たちは強い。俺たちは俺たちより弱い奴よりは強い筈。だから強い」と、「自分最強説」を信仰して止まない。
女にも無縁。謎のスポ根スパイラルにハマり、無駄な「練習の為の練習」にすべての時間を費やしているので、異性と付き合うこともない典型的な非モテ童貞。非モテ童貞だが、その事実も認めたくないので、「女子から人気はあったんだ。人気はあったんだが、俺様は柔道しか眼中になかった。モテなかったわけではない」とも信じ込んでいる。余りに哀れで泣けてくる。
さらにさらに、「俺様は旧帝エリート」とすら思い込んでいる。しかし、北海道大学は、志望校でも志望学科でもなかったので、学業に興味が持てず、講義には出ない。もちろん学業にもついて行ける筈もなく、当然中途退学してしまう。悲惨。
完全な「進学校の落ちこぼれ」。「進学校の落ちこぼれの末路」。
旭丘高校の落ちこぼれであり、柔道の落ちこぼれであり、二流国立大学の落ちこぼれでもある上に女にもモテない、落ちこぼれの四重苦を背負った落ちこぼれのヘレン・ケラーのようなダメ男。ここまでのダメ男になるとプライドを支えるものは何もない。しかし、「自分には何もない」と認めてしまうと人格崩壊を呼ぶこともうすうす感じているのだろう。「人生の落ちこぼれ」という事実を必死しで否認する。否認した痕跡も残さないほどに無視することで否認する。そして逆に、自分は学歴エリートでトップアスリートで女にもてもて優性人間だと信じ込み思い込んでいる。
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「信ずるものは救われん」(救世軍)
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小説は、人生に落ちこぼれた自分を頑迷に否認したまま、「俺様は初志貫徹したような気がする! 俺様は強いと思う! 女たちはみんな俺様に憧れていたような気がする!」と、最後まで自己欺瞞にカモフラージュされた自己高評価を抱え込んだままに小説は終わる。
イタい。
イタくてイタくてイタくてイタくて、最上級にイタいダメ男の青春記。
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そういえば、「名門旭丘高校」は、旧制「愛知一中」。
日本帝国時代、名古屋の教育ママたちには、「一中→八高」が憧れだった。これを八十年代に反復しようとするなら、「旭丘高校→名古屋大学」だ。
言うまでもなく八十年代中頃の大学受験生にはない価値観。(普通に考えるなら、八十年代には「2群→東大」がエリートコースだったんだろうな。若しくは、医進系の方がステータス高かった。大学受験生たちには、『旧帝』なんて語彙なかった。偏差値でシビアに序列付いてるんだもん。「北大は名大より下」であって、『旧帝』なんていう集合で括る風習はなかった)
これは、きっと増田俊也の親の価値観だな。
「うちの子は、アサヒなんです。ほっほっほっほ。大学? 大学は、旧帝へ行きましたのよ。『旧帝』ですよ『旧帝』! ご存知ありません? 最近は、国立大学でも旧制帝大だった大学だけは、『旧帝』って言いましてよ! 国立大でも最近はいろいろありますものね〜。うちの子は、旧帝の柔道部で、高専柔道やってるみたいですよ。普通の柔道じゃないんですのよ! 『高専柔道』って言って、誰でもやれるような汗臭いだけの汚らしい野蛮な柔道じゃなくて、旧帝大の学生さんしかやってない伝統的な武術なんですってよ。そんなものやれるのも学生のうちだけですからね〜。ほっほっほっほっほ」と自慢したい教育ママの価値観を引きずって八十年代を生きてしまった「進学校のおちこぼれくん」の青春記なのかもしれない。
- 作者: 増田俊也
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2013/03/01
- メディア: 単行本
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